FC2ブログ
日常風景 * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
ヘマトクリット60%超、危ない値
1999年10月以来インプットしてきたロードレース関連ニュースを新しいプロバイダーに移行している作業中、
時折完全に失念していたニュースにぶちあたり、愕然とすることがある。

今朝は、故マルコ・パンターニのヘマトクリット値が60.1%の後、16%に激減したという話。
当時、ドーピング検査は甘かったので、この乱高下の意味が余りわかっていなかったのか、
今改めて知り、驚いている次第。

==> ロードレースニュース・アーカイブ

.
2014.10.14 Tue | Cyclde Road Race| 0 track backs,
過去の記事に改めて驚く
つくづく人間の記憶はアテにならない。

1999年10月から綴ってきた自転車ロードレース関連のニュースを現在復刻していて、
読み返しながら、自分でそれを書いたことをすっかり忘れているケースがある。

そして、まるでそれらを初めて読んだ時のように、読みながら自分でびっくりしているわけだ。

例えば、2000年10月28日のドーピング裁判の記事。
フェスティナチームの尋問で、本チームは薬物まみれではあったものの、
ロードレース界においてそれは、平均的レベルであった
という証言が飛び出していた。

フェスティナといえば、チームぐるみでどっさり薬物を運んできては使用していた
汚染された組織。
これが「中庸」と称されていた時代は恐ろしい。

後で振り返ると、常識の落差に愕然とする。

http://blog.livedoor.jp/maillotblanc/

.
2014.09.06 Sat | Cyclde Road Race| 0 track backs,
ツール・ド・フランス ~ 私の好きな風景
今朝のエントリーでツール・ド・フランスのことに触れた。
今宵、再びツールの話題。

自転車ロードレースには1日で決着がつくクラシックレースの他に、ステージレースと呼ばれる数日間にわたる転戦レースがあって、
前者に比べ後者では、勝敗以外の周辺ストーリーを拾う機会が多く、その分味わいが増すことがある。

周辺ストーリーといってもそれは、現地取材に基づく詳細な報道でも、決して浮かび上がってくることのない、レースの片隅のごく小さな点景だったりする。

とはいえ、ああ、現地に来るというのは、こういうことなのだなぁ、としみじみ思う。


2年前のツール。
パリでの凱旋レース前日は、実質的最終決戦の場、ボヌヴィル。未知の町。
特に期待もせず行ったところが、中世の空気漂う珠玉の町だった。
単に街をさまよい歩くだけでも心が浮き立つような。

そんな折、1軒の可愛らしい家を見つけた。


P1110511_201408212209590fb.jpg


せり出した出窓が個性的で、
周囲の壁に後から貼り付けたのか、或いは古い櫓をそのまま生かして後付けの家に合体させたのか。
へんてこだけど愛嬌のある姿がもつ引力に引き寄せられるがごとく、しげしげ眺めていた。


P1110511a.png


すると、すれ違いざまに、口をきいたこともないチームの監督が、声をかけてきた。
「It's nice, isn't it?」


選手を擁するチーム関係者たちは、連日転戦につぐ転戦。
いくら通過地点が風光明媚な場所であっても、それはある意味ビジネスの場所。
周囲の景色はもはや部屋の壁紙のごとく、“意識的な心の視界“から取り除かれるのでは、そんな漠然とした考えがあった。

けれどこうして風景の中に惹かれるものを見つけ、共感者からの相槌を求める人がいた。


まるで何事もない普通の日常生活のような1シーンが、結果を決定づける重要な場面において展開されるなんて。
ちょっと意外性を感じるとともに、ヒューマニスティックな心の余裕に出会え、ちょっと心がほんわかした。


その時のエントリー

2014.08.21 Thu | Cyclde Road Race| 0 track backs,
今夏ツールで無念のリタイアとなったアルベルト・コンタドール
今年のツール・ド・フランス。
大ケガでリタイアし、野心を果たせなかったアルベルト・コンタドールの記事などを、昨日発売の「サイクルスポーツ」(ツール別冊)に執筆しました。

***

コンタドールのことを初めて知ったのは03年。
当時の記事やロマンディ一周で見たコンタドールの様子をロードレースのページ(URLは以下)にて掘り起こしてみた。

http://masciclismo.blog.fc2.com/blog-entry-19.html


05年、生で見た時の感想は、スター性のある選手だなぁ、と。

RIMG0036.jpg

2014.08.21 Thu | Cyclde Road Race| 0 track backs,
ちょっとした偶然
私がイタリアでロードレース「ジロ」を見た丁度その同じ日に、
観光がてら別の地点で見ていた人がいた。

以前からメールを何度か頂いたことがある方で、こんな偶然もあるのかと。

ロードレースの頁にエントリーしたとおり、
同じ日のレースとはいえ、片やスタート地点と、片や私はTV中継も始まらない途中ののんびりした街、と
観戦ポイントが異なるので、目にした光景も随分違う。

2014.06.01 Sun | Cyclde Road Race| 0 track backs,
なんとも緩かったロードレース2000年
1999年以来ホームページ上にアップしていたロードレースニュース。

目下ゆるゆるとLivedoor Blogの方へ移行中。そんな中やっと2000年5月のニュースを移行完了。

読み返してみれば、EPOの検査がツールで漸く行われることになったとか、
血液検査で疑惑が浮上した選手に対し監督が走行続行を切願するシーンなど、
呆れるほど緩かったなぁと今改めて感じる。

結局、監督や関係者たちが元選手というケースが多く、薬物に対して不感症になっていた実態がそこにある。

ロードレースNews~2000年5月まで
2014.05.08 Thu | Cyclde Road Race| 0 track backs,
文明国の中の僻地: ベルギーにて その2 言葉が通じず、私がとった行動
ロードレース観戦では、観光では絶対訪れないような場所に足を踏み入れることもしばしば。

それは例えば
人々が日常生活を営んでいる風景しか見いだせない場所であったり、
辺鄙な場所であったり。 


もっともそれが後者のケース、即ち辺境の地であれば、カルチャーの違いを十分覚悟の上で乗り込むから、
まあそんなものかと、すべてを想定内という心のポケットに放り込むこともできるだろう。

ところがそれが、何度か訪れたことのある国で、しかも西欧ともなれば、
「想定」として用意しておく心の準備も最低限となり、
だからこそ、自分の常識範囲をちょっとでも超えると、大いに動揺したりする。

先のエントリーで述べたビルゼンの町がまさにそれだった。

この町での僅か1泊2日の滞在は、いろいろな意味で忘れられない。


その日観戦したロードレースの会場は地元の人たちでにぎわい。
人気の高さが偲ばれるのだが、日本における観戦風景と、ある大きな違いがあることに、当初気づかなかった。

思い知らされたのは、事件が起こってから。
カメラ撮影をしようとする私の肘を叩くおじさんが出現したときだ。

写真が1枚無駄になった。

何をするのかびっくりして見上げると、彼はへらへら笑っている。
そんなことが数回続いた。

そして気が付いた。

カメラをもって応援している人が皆無、だと。
写真撮影風景が珍しくて、おちょっかいを出してみたい、といった単純な出来心だったらしい。


呆れたが、まあそれはいい。死活問題ではない。
が、問題は夕食。

レースが終わると屋台も店じまいして、あっという間に町がスッカラカンになってしまった。
人影すらなくなり、人影を探してさまよった。

すると、トルコの肉料理シシカバブを手にしたカップルを発見。
駆け寄り、どこで買ったか聞いてみる。
もちろん通じない。

シシカバブを指差したら、警戒心むき出しの目で見られた。
おねだりしたと勘違いされたらしい!!!

アジア人が滅多に足を踏み入れることのないこの場所で、親切な応対は絶望的とみられた。

なんかいい方法はないか?
ほら、万国共通のジェスチャーとか。
苦肉の策で繰り出したのが、「お腹が空いたー」というポーズだった。
(お腹を抱えてよろよろしただけ。)

ミラクル!
通じた。
女性の方が指差す右前方のかなたに総菜屋らしきものが見えた。


食料店を見つけるだけで、こんなにも苦労するとは。

そもそもこのレースが是非とも見たかったわけでもなかった。
たまたま週末をはさんで欧州に出張で滞在していて、地理的に都合がいいというだけの理由でやってきた。

ベルギー一周と呼ばれるそのレースは、一時期開催中止になっていて、偶然それが12年ぶりの再開の年だった。
だからどんなレースかもよく知らず、勝手もわからない。

その上言葉がまったく通じないというフラストレーション!


さて、無事にシシカバブの店に入ったはいいが、またしても問題発生。

まず、店主に、店が日曜も開店しているかを聞いてみた。
30代後半とおぼしき店主は、案の定、英語もフランス語もダメだった。
しかし、こちらも翌日の食料確保のために必死だった。 

男性客が、通訳を買って出てくれたのはよかったが、理解不能。
店にいたすべての客が、フラマン語以外は話さない。

やがて入店してきた中年女性が少しだけ英語を知っていて、やっと通じた。
訛りの強い英語で「この店はね」、と言って彼女が指差したその先はカウンター。

よくよく見ると店の営業時間と曜日が書かれた小さな紙切れが貼られていた。
なんでこれがさっさと目に入らなかったのか・・! 自己嫌悪。

あとから入ってきたその女性は、結局私より先に注文した。
大家族のようで、その数10個以上。

おかげで、途方もなく待たされた。
気がつけば店はもぬけの殻。最後の客になっていた。


やっと私のシシカバブが出来上がった。店主が困惑気味の顔でこちらを見ている。
申し訳なさそうでもあり、憐れんでいるようでもあり、でもちょっぴり暖かい。

品物を手渡す際、彼が短いフレーズを投げかけてきた。
言葉が通じないことを知りながら。

もちろんフラマン語だったのだけれど、この時、入店以来初めて、彼の言葉を理解することができた。

「随分待たせてごめんね」。

スポイトで垂らされた一滴の暖かい液体がじんわりと心の中に広がっていく、そんな感覚を味わいつつ店を後にした。


****

私が泊まったホテル。
宿ですら、英語もフランス語も一切通じず。
ヨーロッパにいるとは思えなかった。
P5269567.jpg


やたら中庭がだだっ広い。

P5269565.jpg
2013.11.02 Sat | Cyclde Road Race| 0 track backs,
文明国の中の僻地: ベルギーにて その1
知人がブダペスト経由フィンランドから船に乗ってロシアに入国した。
単なる観光旅行で。
しかも女子ひとり。

情報社会にあって、それほど体験談を聞くことが多いとは言えないブダペストでは、
見るものあれこれ新鮮らしく、小さな発見(地下鉄のドアの開閉がすごいパワフルとか)の連続のよう。

未知の世界って、脳がいろいろ刺激されるから、
ルーティンな日常に、活気が加わっていいなぁ、と羨む。
(言葉の通じない国で右往左往する不便を押してこそ得られる発見なわけだけど。)


ひるがえって自分。
旅行といえば、王道のヨーロッパばかり。

こうしたアドベンチャラスな体験は余りないのでは、
まったく勝手分からない国でジレンマを感じたこともないのでは、
等と自問してみる。

・・・ふと、ある場所が浮かんだ。
言葉が全く通じず、頭の上からつま先までジロジロ容赦なく舐めるように見られたあの場所。

ベルギーだ。
正確にはベルギーの片田舎ビルゼン。


文明国にあって、これほど”素朴であり続けられる”(むっとした気持ちを封印して、敢えてポジティブな言い方をしてみる)場所があるのかと、驚愕した。

      ・市内にはホテルはない。(はずれに1軒)

      ・ホテルの朝食時、朝ごはんだけ食べに来ていた兄妹2人に半端なくガン見された。そばにいた父親は注意するでもない。

      ・彼らと目を合わせると、さっと目を伏せるのだけど、またすぐ盗み見する。それを繰り返すこと10回ほど。日本人初見物であることは明らか。

      ・普通に使えていたクレジットカードがホテルで読み取り機を通らず(2時間どこかへ持っていかれたときの恐怖)

      ・食事をしようと出かけたら、中心部の店は午後5時で閉まってしまった(食べそびれる危機を迎える)

      ・日本人がよほど珍しいらしく、ロードレース観戦中も、ちょい嫌がらせの入った野暮なおちょっかいをされる(私が持っていたカメラを強奪するマネをするなど)

      ・英語、フランス語は一切通じない。(フラマン語圏なので、ドイツ語は逆に通じた模様。あとで気づいた。)飲食店の人のみならず、ホテルでも。

      ・ホテルの電気は一工夫しないと使えない。部屋の中に大もとの電源があり、それを自分で開かねばならないと気づいた。ホテルの人から説明は一切なし。言葉通じないし。元電源探すのに一苦労。

      ・テレビのチャンネル数は2つか3つ。

      ・テレビ番組は、毎時繰り返し同じものを放送。(だからチミル引退のニュースは思う存分見ることができわけなんだけど。)

      ・一方で、これだけの閉鎖性をもつ田舎でありながら、自転車レースに対するパッションは、他のベルギーの地域と、なんら変わりはないのだった(これが不思議)



    ー 老若男女が、パブリックビューイングに見入る。

    P5259482.jpg


    ー ベルギー色の応援も

    P5259481.jpg


    ー アンドレイ・チミルは区間優勝して、そのままスパっと引退というシナリオを最初から考えていたらしく、妻と息子同伴できていた。そして目の前で思惑通り優勝。シナリオ完璧。

    P5269541.jpg


    ー 翌日はジャージも着用せず、レース前に挨拶をし、そのまま去って行った。宿敵からのねぎらいの言葉あり。地味だけど、ハートフルな引退式になった。

    P5260101.jpg


    ー 本レース一番のサプライズは、出走サインの際に突如三船雅彦選手が登場したこと。日本人がツアー・オブ・ベルギーに出場しているとは思わず、スタートリストのチェックをせず。知っていれば心の準備もできたのに。(だから望遠レンズを交換する暇なし。)

    P5260032.jpg



    というわけで、レース自体は見ごたえがあったのだが、
    それ以外は不便の連続。特に困ったのは上述の通り夕食だった。(続く)

2013.10.31 Thu | Cyclde Road Race| 0 track backs,
ツール・ド・フランス100回記念大会閉幕
2003年、ツールが100周年大会だったときに現地に行き、パレードの素晴しさに感動した。

歴代優勝者が特殊車両で行進したり、昔の自転車乗りを再現するシーンがあったりと、
おもちゃ箱をひっくり返したような楽しさだった。


きっと100回記念の今回も、そんなサプライズな演出がきっとあるはず、そう思って駆けつけてみて、
予想とは大きく異なり、真のサプライズとあいなった。


なんともパリのエスプリに満ちた、決してあれこれ無駄にじたばたするような演出ではなく、
すっきりと、凱旋門という勝利の象徴のみを用いて、イルミネーションで
100回の歴史を総括する手法。


さすがフランス。
なんともスマート。

いやはや脱帽の一夜なのだった。

P1400287.jpg

P1400300.jpg


P1400261.jpg


カウントダウン中。
ゼロになると、華やかな趣向が始まる。

P1400215.jpg

P1400292.jpg

P1400250.jpg

P1400232.jpg

P1400243.jpg

P1400247.jpg

P1400248.jpg


ああ、100回目の歴史がついに刻まれた。

P1400201.jpg
2013.07.22 Mon | Cyclde Road Race| 0 track backs,
中世の街 ボヌヴァル
今日のツール・ド・フランスは、ボヌヴァルからシャルトルまでのタイムトライアル。
大聖堂で有名なシャルトルで見るのが定石か、とは思ったけれど、事情によりスタート地点のボヌバルへ。

そのためシャルトル行きはならなかったが、
大学の卒業旅行でシャルトルには行っていたので、まあよしとする。

とはいえこの、ボヌヴァル、なかなか侮れなかった。
行ってびっくり、風光明媚な町だったので、ツールに感謝。
こういう機会でもなければ絶対に来なかっただろうから。

行くと決め手から、一箇所だけ、絶対に見てこようと思っていた場所がある。
サンフロランタンの寺院。
中は許可ない人は入れないとのことだったが、ツールのヴィラージュ脇にあったので、
探さずとも見ることができた。

もともとの土台は9世紀にまでさかのぼり、その後12,13世紀18世紀に建て替えられたりしたそうだ。
年代が混ざっているせいか、なかなか不思議なアベ(寺院)である。


P1110516.jpg


この城壁もかなり古そう、そう思い、町の人に聞いたところ、
やはりもともと城砦の街で、完全に閉鎖された街だったとのこと。

なんと城砦内に入るには、通行料を支払わねばならなかったそう。
そうやって街を外敵から守ったのだ。


P1110935.jpg


そして、その通行料が一体いつまで続いたのか、年号について、
おじさんがちは、喧々諤々議論になった。

P1110282.jpg


遠くに教会の尖塔が見える。

P1110269.jpg


城砦の話、通行税の話など、街の生い立ちを聞かせてくださったおじさんの一人がこちら。
実はこの街で、自転車展示会をしていることを看板で知り、行ってみたのだ。

意外なお宝満載で面白く、ついでに係りの人たちに街のことをいろいろ教えてもらった。
このおじさんは、元自転車コーチだったそうだ。
ぜひ記帳していって、といわれたので、日本語で書いた。

P1110860.jpg


いたるところに水路があって、リトルベニスのよう。
カナル(運河)がステキ、と地元の人に言ったら、
「これはリヴィエール(小川)」と訂正された。
遠くの橋も、中世の橋。


P1110458.jpg


こんな造りは櫓の名残なのだろうか。(下の写真2F右側部分)
変わったかわいらしい家だなぁと思い見上げていると、
そばを通りかかったマリオ・シレーア(リクイガス監督)が、「It's nice, isn't it?」
と話しかけてきた。

チームの監督さん、選手管理に忙しく、景色など目も向けないのかと思ったけど
そうでもないらしい。
ちゃんと周囲の美しいものを愛でる余裕もあるのだ。


P1110511.jpg


そして私が大好きな一例がこれ。
街のウィンドウにいっせいに自転車の絵が描かれたり、オブジェが設置されるなどしている。
ツールがきたことを心底楽しみ、喜んでいる。

ツール、ありがとう、という感謝の声もよく耳にする。
大会を招致するということは、それほど特別なことのようだ。

そういう歓迎ムードに包まれた町を歩くのは、自分自身も心が浮き立つ。

選手の名前ひとつ知らぬままツールを見に行った私が、ぞっこん
ツール好きになってしまったのも、おそらくそうした街からにじみ出る
アルファ波のせいだったのかなと思う。

P1110426.jpg


そしてオマケ。
シャルトルの大聖堂には今回いけなかったけど、
この街にもバラ窓のある教会があり、観客たちも三々五々訪れていた。
空を横切り洗濯紐にかかっている旗のようなものは、ツール4賞のジャージ柄だ。

P1110524.jpg
P1110530.jpg
2012.07.22 Sun | Cyclde Road Race| 0 track backs,
神宮クリテ
今日はこんなのを見に行ったださ。
P1050014.jpg

神宮外苑で行われたロードレースクリテリウム。

自宅から徒歩で行き、その途中で、
・切らせていたブイヨンをスーパーで購入:
・図書館に本返却:
・友人に教わったマークシティ内のこじゃれた100円ショップひやかし:
・磁気がおかしくなったクレジットカードの再発行手続き:
・靴の部品が取れたため、靴屋さんで同じものが注文できるか相談:

と、歩行経路に沿って、ミッションを少しずつ完了。

上記の中には一部ここ数週間ほどペンディングにしていたものもあったので、
ああ、これでやっとすべてクリア。
昨日はYシャツ9枚一気アイロンがけを済ませ、なんか貯金ができたみたいで嬉しい。

それというのも、昨日、めでたく原稿がすべて終了したのだ。
まあ校正は別にして。
それを書くために英文資料98ページを読んだりしたので、いろいろと未処理の家事もあり。
これでスッキリ。
資料の方はこの上なく興味深かった。
会社でこしらえる英文契約や、チェックせねばならない技術仕様書に比べたら英語自体はよほど平易ながら、
そのボリュームで、根気が続くかしら?と心配したものの、そこそこ一気に読み進んだ。
奥が深かった。

さー、これから、たまりにたまった美術書を読むぞ。
2012.02.19 Sun | Cyclde Road Race| 0 track backs,
収容所の廊下
今机上にあるメトロポリタン美術館の卓上カレンダーは、
好きな絵画あり、まったく興味がわかない工芸品ありの日めくりで、
毎日めくらず、好きな美術品のところで止まったまま一週間、
そんな感じで使っている。

昨日は、一気に7月13日までめくってしまった。
その間気に入る図柄ではなかったのだ。

そしてこの7/13の絵は、ゴッホのもの。
初めて目にするものだった。

gogh.jpg

「The Corridor of the Assylum /収容所の廊下」、と名付けられた1枚は、
彼が1年ほど滞在したサンレミド・プロヴァンスにある収容所の廊下を
弟のテオに見せるために描いたのだという。


黄色が目立つ色彩に、実際の様子よりややサイケデリックに脚色されている印象をもつ。
実際サンレミド・プロヴァンスに行って、彼が収容された収容所の中庭の回廊を見たけれど
白いよくある教会の回廊式だった。


絵の中では床も波打っていて、心もとなく、精神の不安定さがにじんでいるかのよう。

この廊下の先に何が待っているのか、
吸い込まれそうなその奥のドアのやや手前には男がひとり。


彼が収容されたとき、患者は少なく、人影まばらで他の部屋はがらんとしていたそうだ。

気の遠くなるような不安感や孤独感、
そういったものが南欧系の色彩でありながら、この絵には漂っている。


ひまわりの絵を描くのにこってりと使われた黄土色に近い黄色い絵の具が、
ここでは天井を覆っている。


昨日の日経新聞の「絵画のある場所」は、
奇しくもゴッホの「ひまわり」を取り上げていた。
2011.07.09 Sat | Cyclde Road Race| 0 track backs,
小嶋敬二選手の太腿
伸縮性のある自転車通勤も可能な背広が出た、という話に関連して、
でも、競輪選手は着れないね、みたいな話になり、
そういえば、去年修善寺のサイクルセンターでこんなもの見つけたっけ。。。

というわけで、競輪の小嶋敬二選手の太ももの模型。
74cmらしい。

P1830766.jpg
2011.03.02 Wed | Cyclde Road Race| 0 track backs,
フィニヨンとチェマの話 続々報
昨日のエントリーの続き。
往年の名選手とレース帯同中のマッサージャー。ロードレース界で相次いで亡くなった人が出た話。

フィニヨンは「お香典は辞退」なのだとか。



マッサージャーのチェマさんの突然の悲報。
覚悟が出来ていてさえ、親しい方との別れは辛いもの。
心中お察しいたします。

デビッド・ミラーがCNに追悼文を寄せていて、ちょっと驚きました。
なんとなく気難しそうなイメージがあったもので。
http://www.cyclingnews.com/features/txema-gonalez-a-tribute-from-david-millar

ミラーにとって、彼は単にマッサージャーという存在以上のものだったのですね。

そしてフィニョン。
ご遺族はお花の代わりに病院への寄付を望んだとのこと。
日本でいえば「お香典はご辞退申し上げます」でしょうか。

http://www.cyclingnews.com/news/fignon-laid-to-rest-in-paris-cemetery

(Iさんから)




チェマの話でいえば、ミラーの証言でもあるように普段は温和な気配りの人で、仕事をうまくこなす人だったけれど、人の評価は結構辛口だった。

同郷のベロキやガルデアノのことは結構辛辣に批判していたし。
でも仕事ではそういうのを出さずに、業務を淡々とこなしていた。
プロだったと思う。


翌日朝刊はどこも1面にフィニョンの姿が、朝のTELEMATIN(ニュースショー)の
新聞紹介はその話題のみでした。
フランス人ツール勝者では一番若い上、ずっとメディアの第一線に居たから
想像以上にインパクトがあったようです。

(塩鮭さんから)



当時を知らない私ですら、その存在感を感じていたし。



僕の様な年寄りにはフィニョンは忘れられない大スターです。

同時代にイノーやレモンというライバルもいましたが、僕はフィニョン派でした。

イノーの様な強面でも、レモンの様な異分子(当時の自転車界にとって)でもなく、何となく孤高の雰囲気とスポーツマンには見えない風貌が好きでした。

もちろん89年のツールは忘れられませんが、ゲータレード移籍後の気迫あふれる走りも印象的でした。



これくらいの選手になるといくらでも資料はあると思いますが、今日は秘蔵?の写真をお送りします。

といってもこれ、実は1994年のCONTAX STというカメラのカタログにあったものです。

当時僕は綺麗な写真の沢山出ているこういうカタログが好きで集めていたところ、たまたまこの写真に出くわしたという訳です。

左から3人目、ゲータレードのジャージがフィニョン、中央奥にマイヨジョーヌのインデュラインが見えます。

他の選手は良く判りませんが、懐かしいジャージが一杯です。

シャンゼリゼ周回中の写真だと思いますが、TULIP COMPUTERの薄緑のジャージがあるところから、1992年の様です。



今のファンが今の選手だけを見がちなのは、ある意味当然なのでしょうけど、その中からその競技の歴史やそれを支える文化などを掘り下げる人が出てきてほしいと、確かに思います。

でも、高校で世界史が不人気だとか、若い人が巣ごもり傾向だ、などのニュースを聞くと、ちょっと期待薄かな、と寂しい気持ちになりますね

1992_FIGNON_2[1]

(SSさんから)



フィニヨン、写真の先頭のほうに見える。
インドクラインはイエロージャージですね。
2010.09.06 Mon | Cyclde Road Race| 0 track backs,
レース界は訃報続き、とペールラシェーズのお墓
追記)

ちなみに下記で最初に書いたフィニヨンだが、ペールラシェーズの墓地に眠ったそうだ。

有名人の宝庫といわれるこの墓地を、私はまだ訪れたことがない。
いつかパリに行ったら、行ってこよう。

とはいえ写真で見る限り、マルコ・パンターニのお墓は群を抜いて豪華だった。
なにより愛情でむせかえっていた。

霊廟のてっぺんの十字架は車輪の形になっている。


P1670111.jpg




ロードレース界で、相次いで2人の人が亡くなった。

ひとりは89年、ツール・ド・フランスで、グレッグ・レモンと世紀の大接戦を繰り広げたローラン・フィニヨン。
癌が体中に転移していて、余命はカウントダウンに入っていた。

本人はドーピングとの関係を疑っていたけれど、野菜を一切食べない主義だったそうだ。50歳、若すぎる死だ。


しかし、もうひとりはもっと若い。43歳のチームマッサージャーのチェマ。

しかも、フィニョンのように闘病中だったわけでもなく、突然死。
バクテリアによる感染症というが、瞬く間に亡くなるほど強い感染力のあるものが、レースの場に存在していることが怖い。

スペインのレース ブエルタ・ア・エスパーニャに帯同していて、急に腹部に痛みを覚え、そのままチームから離脱して病院へ。

木曜に容態が悪化して帰らぬ人となった。

選手たちをも襲った滞在先のホテルで発生したとみられる食中毒との因果関係はわからないようだが、原因は食物経由、と言われている。


最初に知り合ったのはバスクのチーム エウスカルテルと同じ宿になったとき。
その後春先のクラシックで再会し、チームバスを案内してもらったり。

07年に再度会ったときには、バスクチームを離脱し、サウニエルというスペインのライバルチームに移っていた。
驚いて、移籍の理由を聞いたら、
「バスク単一チームには飽きた。もっと広い世界を見たかった。今は移籍して大満足」と。

サウニエルはスペインチームといいつつ、イタリア人やその他ヨーロッパ人も数多く在籍していた。

新しい職場で嬉々としている感じだった。

今年はさらにインターナショナルなチームスカイに移籍。
一流のイギリスチームで、ステップアップといった感じだった。


同僚で大親友のオスカルというマッサージャーは、チェマと一緒いスカイに一緒に移籍したのかどうかわからないけれど、相当な打撃を受けているはずだ。

レースの場で、しかも突然死。もしホテルの食事のせいであれば、ほかの選手たちだって犠牲になった可能性もある。

去年バッレリーニ イタリア代表監督がオートレースの事故で亡くなったことがあったけれど、あんなふうに、リスクの高い乗り物に同乗していた、といった状況ではない。
普通にレースに帯同して、それで亡くなった。


衝撃は大きく、ブエルタからチームごと撤退したのもわかる。
精神的に続けるのは厳しい。


食中毒でリタイアした選手フレチャは、昨日のレース前に会場にきて黙とうをささげていた。


次の週末から開始となるブリテン一周に、スカイは出場するのだろうか。
現地にいって、この目で確かめてくる。
2010.09.05 Sun | Cyclde Road Race| 0 track backs,
"shw-greenwood" template design by Shallwill