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ラヴェンナ / サンタポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂 ① - モザイク作りを見る (ラヴェンナ回想編 その1) 
◆◆◆ ラヴェンナ/サンタポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂のモザイク画に関するエントリー ◆◆◆

● ラヴェンナ / サンタポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂 ① - モザイク作りを見る (ラヴェンナ回想編 その1) 
● ラヴェンナ / サンタポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂 ② モザイクで見る「最後の晩餐」と「ユダの接吻」(ラヴェンナ回想編 その2) 
● ラヴェンナ / サンタポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂 ③ イエスの生涯の26枚のモザイク(ラヴェンナ回想編 その3)
● モザイクに見る最後の審判 * 昔の最後の審判に地獄図はなかった理由
● 宗教画の中の魚 / こんな意味があったという話


* * ラヴェンナ解説 * *

エミーリア・ロマーニャ州のラヴェンナは、ビザンチン(ビザンティン)文化が開花した場所で、6世紀のモザイクがかなり完全なかたちでその姿をとどめている。

アクイレイアの床面モザイクも壮観ではあったけれど、高度な技術によるモザイクがここまでふんだんに、あちこちで見られるのはここラヴェンナだけではないだろうか。

とはいえ、ルネッサンス期の芸術活動からは完全に取り残されたせいで、町中に絵画や彫刻が溢れているフィレンツェとは大違い。

中規模都市ではあるけれど、どことなくひなびた感じもあり、とにかくモザイクが町の顔。


事前に参照させてもらったNTTデータの情報によると:

・紀元前2世紀にはローマ人がラヴェンナに進出。
・アウグストゥスがこの場所に東地中海艦隊の基地を構え、
・イタリア半島と東方世界との交易の最大の要所となった。
・ヴェネツィア誕生前のことである。
・帝国が東西に分かれた後、西ローマの最初の皇帝ホノリウスにより、ラヴェンナが首府となる(402年)。
・476年西ローマ帝国が滅亡後も、約三百年にわたりローマに次ぐキリスト教の中心地となった。

なのだそうだ。


早熟すぎて、のちの発展から取り残された感はあるし、もてはやされるルネッサンス期より以前の古い芸術中心の町なので、日本ではそれほど有数の観光地としてみなされていない。

けれど、一時の栄華が町中に今も漂い、それが今まで見た類いの芸術と一味もふた味も異なっている。馴染みがない分妙に新鮮で、今回尋ねたイタリアの町の中でも、アッシジとともに私の中でNo.1。



* * いざ町に足を踏み入れる * *

まず、ラヴェンナの駅に到着して、一番最初に訪れたのが、このサンタポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂。
素晴らしかったこのバジリカの話は後回しにして、ここで見学”後”の話を。

回廊を歩いていたら、こんなものが目に入った。

Laboratorio del mosaico
モザイクのラボラトリー

さっそく入っていみることに。

P1670643.jpg

女性がモザイクづくりに励んでいた。

P1670634.jpg


やはりラヴェンナにあるガッラ・プラキディア廟堂(Mausoleo di Galla Placidia ガッラ・プラチーディア) 内の有名な鳩のモザイクを模倣している最中。一度に2つ作っている。

P1670639.jpg

ああ、こんなところにまでキティちゃん。

P1670632.jpg

芸者も。

P1670640.jpg

チェ・ゲバラも。

P1670641.jpg

再び回廊に出ると、その先にはトイレもあります。

P1670645.jpg

さらに入り口右手にはカフェテリア(セルフサービス)も。
雰囲気はいいし、お安い。
その話もまた後日。

ラヴェンナへ行くには
ボローニャからは列車で1時間19分。私が宿泊したリーミニからも1時間ほどで行ける。列車の間隔は大体1時間に一本。たまに2時間に一本となる。

イタリア国鉄の時間チェックはこちら:
http://www.ferroviedellostato.it/


これまでのラヴェンナ関連のエントリー:

・ ラヴェンナから(現地生中継 09/9/25)

・ ラヴェンナ紀行 回想編 その2 / サンタポリナーレ・ヌオーヴォ聖堂 ② モザイクで見る「最後の晩餐」と「ユダの接吻」 09/10/7 

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2009.10.04 Sun | Travel-Italy| 0 track backs,
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