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須賀敦子が歩いたトリエステ ー Via del Monte 「山の通り」 その2
■ トリエステの「山の通り」と、ヴェネチアの「溜息橋」: 前者は罪人が絞首台に向かうための道、後者は罪人が牢獄に向かう途中の橋。どちらも現世への未練の溜息が何度も聞かれた場所に違いない

(続き) めでたく須賀敦子の本で触れられていた「山の通り」を見つけたものの、釈然としなかった。確かあの本(「トリエステの坂道」)によると、彼女はこの道を探すのにずいぶん苦労していた。見つけにくい裏通りだったとのこと。

でも、私が見つけたこの道は、サン・ニコローの通りにあるサーバの書店から山の方に向かってすぐのところ。いとも簡単に見つかる幅の広い道だった。なんかへん。

帰国後「トリエステ・・・」を読み返してみた。証券取引所の裏手からこの道は出ていると書かれている。

取引所、そういえばどこかで見たな、、、ということで自分が歩いた道を写真でたどってみた。まったく偶然ながら、証券取引所の写真を撮っていた。Borsaと書かれていたので目を引いた。イタリア語でも株式はBorsaというのかぁ、そんな発見があり、撮ったもの。

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さらにその脇にはこの↓建物があり、今調べたらこれは旧証券取引所で現在は商工会議所なのらしい。

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でも、やっぱり今は、これらの建物の付近にVia del Monteはない。最新の地図によると、私が見つけた高台の広い道が坂の入り口になっている。

これはもしかしたら、2004年にサーバの彫刻がたてられたのを機に、その彫刻のある場所の付近を坂の入り口に変更したのではないだろうか?

つまり、昔はもっと長い道で、一番麓の地点からこの道は始まっていて、今「芸術家通り」という名前になっている道も、かつては「山の通り」の一部だったのでは?でも今では短縮され、「山の通り」の起点は先のほうにずれたのでは?、と思うのだ。まあ、この辺は謎だ。

いずれにせよ、今のトリエステにおいては、サーバの書店 ~ サーバの彫刻 ~ 彼が詩に読んだ「山の通り」の3点セットが、すべて数歩の距離でつながり、なんとも緊密な空間を創り出している。


この山の通りの上にはその昔、絞首台があり、罪に問われた人たちがこの死への道を通ったそうだ。(ネットもない時代に須賀敦子は、よくもまあ、そんな細かいことまで知っていたものだ。)

ヴェネチアにある「溜息橋」のことを思い出した。この橋は牢獄に続く橋。その上で、罪人たちが溜息をついたところからこの名がついた。

絞首台跡地は今では公園になっていて、ぐるぐる歩いていると、戦没者記念の碑があちこちに建っていた。

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付近のなんの変哲もない道には、「戦闘通り」という名前がついていた。

戦争のたびに国境紛争で翻弄されたトリエステ。昔の傷跡は、悲惨なかたちであからさまに残っているわけではないけれど、あちこちでひっそりと息づいていた。

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2009.05.15 Fri | Travel-Italy| 0 track backs,
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