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日常風景 * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
「また会う日まで」、でも、「永久に別れを」、、、でもなく「さようなら」
もらったメールをもとに、しばし立ち止まり、ハタ、と考えてみる。
「さようなら」という言葉の意味。

「Good-bye」「Adios!アディオス」「Adieu!アデュー」はそれぞれ、God、Dios、Dieuのように神と結びついている。
後ろの2つは、永久の別れというConnotationで、それが一般化したのがGood-byeという感じかな。

以前フランス語学校で、先生が「オールヴォワール(元の意味は、また会いましょう)」と言って退室しようとしたとき、「アデュー!」と嫌味っぽく言った生徒がいた。彼女は教師のことが大嫌いなのだった。一同爆笑。先生苦笑。本人真剣。


世界各国のさようなら表現一覧を見つけた。

意味の汲めない外国語が多いのでなんともいえないけど、この「神」の流れを汲む言い回しと、再度会いましょう、の意から派生した言葉の2種類が目につく。

後者の例としては、au revoir, ドイツ語のauf wiedersehen, イタリア語のarrivederci, ”再見”もそうだ。

メールをくれた人によると、そんな中、さようならだけが異質なのだという。
今回、この言葉の中に一種の諦観が混ざっていることを初めて知った。

ということは平安末期か鎌倉時代あたりにさかのぼる言葉なのかな?と思い、
言葉の起源を知恵袋で見てみると、さにあらず。
もっと最近、江戸時代なのだという。
確かに「左様なら」、という表現法って、なんとなく「拙者は・・」などと言っていた武士の時代チックな雰囲気がある。

運命をそのまま受け止める姿勢、桜の散り際を潔しと美的感覚でとらえる心、諸行無常を感じてきた魂は、江戸の時代にも脈々とつながっていたらしい。

まあ、これも鎖国の賜物ってことだろうか。以下、メールから:



最近読んだのが「日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか」(竹内整一・著 ちくま新書)

タイトルから、何かピンときませんか?

そう、「遠い朝の本たち」に出てくる、アン・モロウ・リンドバーグの「さよう
なら」=「そうならなければならないのなら」についての、須賀の感想です。

やはり、引用されていました。


本来接続詞である「左様ならば」を語源とする別れの言葉は、世界的に見て例が
無いものであるそうな。

下記は著者が解説する本の概要。

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/17957.html

で、現在この文章が出てくるアンの「翼よ北に」を図書館で予約中です。

最近、みすず書房から新装版で出ているようです。

http://www.msz.co.jp/book/detail/04868.html
また、あれこれ検索していたらば、アンの「さようなら」についての原文が見つ
かりました。

'For Sayonara, literally translated, "Since it must be so," of all the
good-bys I have heard is the most beautiful. Unlike the Auf Wiedersehens
and Au revoirs, it does not try to cheat itself by any bravado 'Till we meet
again," any seductive to postpone the pain of separation. It does not evade
the issue like the sturdy blinking Farewell.

Farewell is a father's good-by. It is "Go out in the world and do well, my
son." It is encouragement and admonition. It is hope and faith. But it
passes over the significance of the moment; of parting it says nothing. It
hides its emotion. It says too little.

While Good-by ("God be with you") and Adios say too much. They try to
bridge the distance, almost to deny it. Good-by is a prayer, a ringing cry. "You
must not go - I cannot bear to have you go! But you shall not go alone,
unwatched. God will be with you. God's hand will be over you" and even -
underneath, hidden, but it is there, incorrigible - "I will be with you; I
will watch you - always." It is a mother's good-by.

But Sayonara says neither too much nor too little. It is a simple
acceptance of fact. All understanding of life lies in its limits. All emotion,
smoldering, is banked up behind it. But it says nothing. It is really the
unspoken good-by, the pressure of a hand, "Sayonara."' (Anne Morrow
Lindbergh, North to the Orient, 1935)

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2009.04.29 Wed | Books| 0 track backs,
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