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日常風景 * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
情報過多と質の話
昨日もらったメールで引用されている藤原新也氏の文章の中にある「私たちの感覚体はマスメディアの過当競争、過剰表現によって昨今非常に鈍感になっており、大きな声、おおげさな身振りにしか反応しなくなっている」、、という一文。

まさにそれに近いことを感じていた矢先のこと。それに私は「単純さ」「平易さ」が加わるのではないか、と思っている。

自分の言葉で表せば、「近頃情報量は多いけれど、インパクトがあって単純明快なものが主流になっている」、そんな感じ。

それはどういうニュースが受けているか、リアクションが多いか、ということを見てつくづく思うことなのだが、自分の文章の書き方についても言えること。

先日実家で小学校・中学校時代に私が書いた読後感や作文に目を通す機会があった。
今の私が使っていない、いや忘れかけているような難しい言葉や言い回しが多々あって、冷や汗ものだった。

あの頃は、ちょっと背伸びをして小難しいことを書きたがる年頃で、今はインターネットという限られた枠の中で要約的なものをシンプルな言葉で表すことが多い。
そうこうしているうちに、知らぬ間に書く力が退化していたというわけだ。

それにしても、(下記の)「畳に針を落とすような微細な音を聞き分ける」っていうのは、なんとも風情のある言い回し。

じゃあ私はこれから、

「勝利を信じて逃げたのに、ラスト50mでプロトンに飲み込まれ、ボロボロになってゴールにへたりこんでしまった選手の背中をそっとさすってやるマッサーの暖かいまなざし」、、

みたいなもの - 死闘の影でひっそりと繰り広げられる激しいバトルとは対照的ともいえるほんのひとときの静かなぬくもり - みたいなものを書き分けていこうか ・・?! などと一瞬高い志を持ってみたりする。


=====新着メールから=====

今話題の映画「おくりびと」
まだ見ていないのですが、なんでも主演の木本雅弘が藤原新也氏の著書にヒントを得て長年温めていた企画なのだとか。
藤原氏がご自身のブログで映画の出来栄えを誉めておられます。

その中で印象に残ったのが下記。

「私たちの感覚体はマスメディアの過当競争、過剰表現によって昨今非常に鈍感になっており、大きな声、おおげさな身振りにしか反応しなくなっている傾向がある。
そのことは私の仕事に対する読者の反応にも現れていて、畳に針を落とすような微細な音を聞き分ける地味な文章や写真を読む力が確実に衰えている。

(中略)普通で地味なものには反応出来ないという読者がいるわけだ。

(中略)思えばかつての小津安二郎の「東京物語」のようなとりたてて何が起こるわけでもないのに除々に自分の内部の感情が高まって行き、最期にはある種のカタルシスを覚えるというような地味な映画が興行として成立していた時代というのは、今よりずっと民度が高かった時代なのかも知れない。」

肝に銘じなければ、と自戒いたした次第。

<<以上>>

以下の写真は:

08ツール スタートを待つアグリテュベルのフレディ・ビショー。

ツールには200人近い選手が出ているのに、人の口にのぼるのはごく限られた一握りの選手ばかり。ツールに実際行って、いろんな選手を目の当たりにするにつけ、その不公平さに対するある種フラストレーションのような思いを募らせる。

ある日レース前に彼女が来ていて、だから張り切って満身創痍のアタックを仕掛けて、上りで脚がついていかずにズルズルと遅れたビショー。そんな彼の姿を現地レポートで伝えたのは(第10ステージ)、ヒーロー偏重主義の今の流れに対するささやかな私の抵抗。

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2008.10.22 Wed | Society| 0 track backs,
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