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辻邦生 「美神との饗宴の森で」の先見性
> 現代は「コピー」(写し)の時代であると言われる。(中略)
> 「コピーがいかに情報を多く持ち、快適であっても、
> 生命から引き離されている事実は変りない。どんなに情報が少なく、
> 外面的な快適さが少なくても、「オリジナル」には生命がある。


上記は、著書「美神との饗宴の森で」の中で、
辻邦生氏が20年以上前に鳴らした警鐘だ。

書かれたのは1993年。
インターネットが日本で一般的に使われるようになる以前のこと。

そんな時代からすでにコピーの危うさを自覚していた辻さんの
先見性には驚かざるを得ない。


盗作・模倣などはむろん大昔から存在したではあろうけれど、
20年前のコピーというのは今に比べれば大したことはないはず。
それでも危機感を募らせていたというのはさすが、
創作の人ならではと思う。

ネットが台頭して、あれよあれよという間にコピペが当たり前のように行われるようになり、
それを正規の論文に使う人たちまで現れるようになった。
ここまでの状況は、さしもの辻さんでも想像外だったに違いない。

ただ、今読んでもその真意は伝わるし、
まさに言い得て妙、と思う。


自分で調べたオリジナルの情報量は、
さん然と輝くWIKIPEDIAの前にささやかな灯程度に過ぎず、
貧相この上ない。

だからついついネットに頼ってしまう。
安易で甘美なWIKI並び類似のまとめサイトという大海に飲まれるまい、
と踏ん張ることは難しい。

でもそんなとき、この辻さんの文章は、
リマインドしてくれる。

それは時間をかけて体得した身になる情報とは決定的に違う、
表面的な上澄みに過ぎない、と。

遅々とした歩みでも額に汗すれば、
自分だけが知り得たキラリと光る新発見は必ずあるし、
それはコピペよりも活きがよくて生命力にあふれているはず。


すでにコピペ横行の時代に突入した今、
辻さんの文は、警鐘というよりも、激励へと姿を変えていることに気が付いた。


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2017.08.27 Sun | Books| 0 track backs,
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