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日常風景 * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
「遠い朝の本たち」
須賀敦子さんの本は、読んでいてなんとなくほっとする。
その理由を、
文体が美しいから、だとか
オリジナルの比喩がいいあんばいにちりばめられているから、だとか
作家になったのが遅く人間として幅が広がってからの作品が揃うから、だとか
そんな風な上っ面の理由だと決め込んで、これまで納得していた気がする。
でも著書のひとつである「遠い朝の本たち」を読んで、その本当の理由がわかった。

中学生のとき、彼女は飛行家リンドバーグの妻アン・モロウ・リンドバーグの本に触れる。
そして感銘を受ける。
物事の本質をしっかりと捉えているからこそ書ける本だ
と作家の凄さを子供ながらに痛感する。
本質を見極めているからこそ、それを筆にのせるとき、
物事の実態以上にも、以下にも書かない。
平たく言ってしまえば、大げさな言葉を使わなければ、
余白だらけの書き足りない描写もない。
そんなことに、彼女は中学生にして心うたれ、動かされたのだった。

そうか、須賀さんの本もまさにこれなのだ。
物事をその深いところまで射抜く落ち着いた目があるからこそ、
どんなに比喩的な表現をして、どんなに多彩な言葉で文章を紡いでいっても
(文章を紡ぐという言葉がぴったりな作家だと思う)、
それが決して浮わついたりすることなく、
じわーっと読み手の心に染み込んでいく。
つまり、言葉だけが独り歩きしていない、
実体が伴っている点において傑出している。
だから読んでいて非常に心地よい。

ところで、ここで彼女がいう「本質をしっかりと捉えて書く」ということは、
今この時代になって、ますます貴重なことに思えて仕方ない。

最近世の中に溢れている いまどきの話し言葉がちりばめられた文章を
悪いというわけではない。
きっと、ああいうベタの口語体の小説に眉を顰めていては
「古臭い」、ということになるのだろう。
写真の登場で古典派だの印象派の絵画がすたれ、抽象画の時代に突入してもなお、
印象派が恋しいという状態から抜け出せずにいる、、、、そんな状況と重ねることができるかもしれない。

口語体の小説をなんとか認めたいとは思う。
だけど・・
物事の本質を射抜くことなく、
なんとなーく、Ambience だの、感性だけで書かれた小説・文章が世の中余りに多い。
どんどん世界が雄弁になっていく一方で、
物事の見方が未熟なまま、
しっかり実体と向き合うという姿勢がないまま、
表層的な部分のみを捉えて発言するものや、なんとなく流されているにおいがするものが増えてやしないか?

・・・いや、やっぱりこんなことを口走っている私は「古臭い」のだろう。
今や「蛇にピアス」が芥川賞を受賞する世の中なのだから。

****
下記は連休中のもの。世界の大使館シリーズ久しぶりに復活?ノルウェー大使館。

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2008.05.19 Mon | Books| 0 track backs,
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