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鳥文斎栄之(ちょうぶんさいえいし)と春画
春画、いわゆるポルノ情景の浮世絵を目にする機会は少ない。

以前民間の美術館で、ごく一部に春画が置かれていたことがあり、フイをつかれたことがある。

展覧会の中心主題からやや離脱し、鑑賞者たちとしては心構えがないものだから、
どうリアクトしてよいのやら、小ぶりの展示ケース周辺には、困惑の空気が漂っていた。

展示されていたものは配慮から、かなりソフト系のものに終始した。
しかし、春画といえば、細部への執心が露わな強烈なものがほとんどだ。


公立の機関での春画展示はNGだそうで、江戸東京博物館で、以前、着衣の春画を1点展示しようとしたが、
展示不可となったと聞く。


このほど日本初となる本格的な春画展が開催と聞き、開催場所に注視していたところ、
永青文庫だという。


大英博物館での企画展も後押しとなり、注目度は高いかもしれない。


さて鳥居清長ばりの、スラリとした美人を描いた鳥文斎栄之にも
春画の作品があるのだが、風紀取り締まりが厳しくなった、いわゆる寛政の改革の時代に
春画を描いていたことを知り、驚いた。


見つかったらしょっぴかれて、絵師生命はおろか、処遇次第で健康、ひいては命にもかかわる。

なぜそれが可能だったか?
答えは、肉筆画に転じたから、なのだった。


寛政の改革により、浮世絵による春画はおろか、花魁姿ですら取り締まり対象となり、
各絵師は、町娘を使うなどして腐心した。

鳥文斎栄之の場合、旗本出身で相当家柄がよく、この改革に対抗するなど
無謀なことだった。

そこで、彼は転身を決意する。
浮世絵から、肉筆画へと。
浮世絵=版画は量産され、出回り、風紀かく乱は即刻見つかる。

しかし個人から発注を受ける肉筆画は単一であり、注文主が、手元に置いて
こっそり愉しむわけだから、発覚することもない。

かくして、なぜ寛政の改革のさなかに春画が描けたのか?
という素朴な疑問は解消するのだった。
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2015.05.16 Sat | Art| 0 track backs,
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