日常風景 * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
ディルク・バウツ(派) 『悲しみの聖母』と『荊冠のキリスト』 <極上の涙表現>
 涙で目が充血しているキリスト

北方ルネサンスの画家は、涙の表現に細心の注意を払っていた、
改めてそう実感する絵に出会った。
(というか、この絵はしょっちゅう見ていたので、気が付いた、と言うべきか。)

話は少し以前にさかのぼる。

去年ボッティチェリ関連の講演会で
小佐野重利先生が、フランドル絵画の涙表現の秀逸性を指摘されていた。
それがイタリアルネッサンスの人間表現に直結したというのだ。


そんなことが念頭にありつつ、昨日訪れた国立西洋美術館。
実は意図した講演会が満員で入れず、
急きょ手持ちの年間パス(近代美術館発行の)で西洋美術館の常設展に行ってきたのだった。

いくつかの絵に集中してじっくり見るつもりで立ち止まったのが、
長年本美術館では好位置に置かれ、お馴染みのバウツ(派)の板絵。(油彩)

よく見ると、『荊冠のキリスト』に描かれた涙するキリストの目がかなり充血して、真っ赤だ。

写真 (82)


隣の聖母( 『悲しみの聖母』)も同様に目が真っ赤。

悲しみの表現=従来描かれてきた涙、というどちらかというとExternalな視線から、
人間の内側の血管機能とも直結する充血というややInternalなものにまでたどり着いたその過程が、
人間表現の進化の過程のようで興味深い。

写真 1 (44)


しょっちゅう見ていた絵であり、そういえばこのキリストの目は赤かったとほんのり記憶はあるのだが、
視点を狭めることで、一層くっきりと実感できることがあるものだ。
小佐野先生、ありがとうございます!


ちなみに、この日私が入れなかった講演会の顛末はこちら:

行こうとしていたのは、国立西洋美術館で開催中の「グエルチーノ展」に関連して宮下規久朗先生の講演会。
バロック、ことカラヴァッジョといえば宮下先生、
高名な先生だから、競争は高いとは思っていた。


講演は14時からで整理券配布は12時から。
通常配布の時は早目に行くのだが、前回配布のとき、早く行き過ぎたイメージがあったため
夕食の準備をしておくなど、わざわざ時間ギリギリ、というか12:08頃に行った。
到着して、カウンターに行こうとするのだが、既に人の列ははけていた。
なにやら嫌な予感。

講演会のチケット整理券はもう終わったのでしょうか・・・と聞くと、男性係員が、そんなのとっくになくなってます、
とつれない。
わざわざこのために1時間近くかけて来ただけに(展覧会は既に見たので講演会のみの予定)
もうがっくり。
係の人の声には、”こんな時間に来てももう遅いのだ”的なニュアンスがあったが、
こちらはそんな状況を把握しているわけではないので、そう言われても・・
打ちひしがれた心に、そうした上から目線的な声が追い打ちをかけた。

.
関連記事
2015.04.12 Sun | Art| 0 track backs,
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
"shw-greenwood" template design by Shallwill