日常風景 * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
本日の桜と、「あをによし ならのみやこは咲く花の にほふがごとく いまさかりなり」
「あをによし寧楽の京師は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり」


春の季節にぴったりなこの歌は、万葉集に収録されている
大宰少弐小野老朝臣(だざいのせうにおののをゆのあそみ)という人の一首だ。

週末の万葉集講座で、こんなお話があった。


ここでいう「花」は、何の花か、特定しなくてもいいのではないか。
例えば桜、などと特定すると、では品種はなにか、といった話に陥りやすい。
花のままの方が、イメージを膨らませられ、より豊かな風情がある。

ちなみに万葉集では、登場回数上位は、萩、梅、桜の順だそうだ。
これはよく知られた話で、当時(奈良時代)は、好んで愛でられたのは桜より梅だったというのが定説。

とはいえ、この登場回数のみで人気や重視の程度を測れるとも言いきれない。
萩が多いのは、秋の歌として歌う機会が多かったせいかもしれない、さらに、
1日で散るから桜は素晴らしい、といった桜を称える歌がすでに登場しているという。

なので、従来の説=奈良時代は梅>桜、という説が必ずしも正しいとは言い切れないのではないか、と。

歴史上の定説というのは生き物のように変わるもの。
積み重なる研究により、従来の説が変化を遂げる様はなかなか面白い。


この話で思い出すのは清少納言の、「濃きも薄きも紅梅」というあの一節だ。(枕草子)
彼女は、木の花は、なんといっても紅梅をNo.1と見なしていた。

その後無常観の漂いと共に桜断然優位に立つのだが、
いつか読んだ、桜で辿る日本史(本のタイトル忘れた)にそうした流れがまとめられていて、面白かった。


さて、今回の万葉集講座では、
改めて当時の人たちの繊細さ、情感の豊かさに驚いた。


成人男性が、自然を愛で、花に自分の人生を重ね合わせている、
(むろん昨今のサラリーマン川柳とは大違いの内容で、)
そんな風流なマインドが、昔は老若男女を問わずあった、
それは極めて貴重で稀なことではなかったか。


世界中を概観しても、そのような繊細さを持ち合わせた民族は数少なかったのではないだろうか。

実にためになる3時間だった。
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で、本日の都心の桜。


日銀前
写真 2 (35)

三井本店
写真 3 (21)

山梨物産展前の写真に映った桜
写真 1 (36)

日銀前の通り
写真 4 (5)
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2015.03.29 Sun | Language| 0 track backs,
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