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「ボストン美術館 ミレー展」 / 三菱一号館美術館
● 静かなる力強さに溢れていた「ボストン美術館 ミレー展 傑作の数々と画家の真実」展 at 三菱一号館美術館内覧会

相変わらず懐の深いボストン美術館。

今年「ボストン美術館 華麗なるジャポニスム展」、「ボストン美術館浮世絵名品展 北斎」と立て続けに開催された後、
今度は三菱一号館美術館で「ボストン美術館 ミレー展 傑作の数々と画家の真実」展が始まった。

ボストン出張最終日、ヘロヘロになりつつ夜間開館を見に行った時は、「ラ・ジャポネーズ」以外何を見たのか記憶にない。
日本で特別展を見る方がよほど身に付くというのが正直な感想だ。


本ミレー展に向き合う前に、井出洋一郎氏著『「農民画家」ミレーの真実』をまず一読。
ミレーの真価を認識した上で、手放しの礼賛の流れを打ち破ることに重心が置かれているため、
ミラーを美化して考えたことのない私にとってはやや気勢がそがれた感じはあった。

私の中のミレーの印象は、抒情性漂う彼の絵は静かな精神性を感じさせるけれど、色合いは沈み、
内省的で地味、といったもの。
展覧会で、新たなる側面を発見できるかな、などと気を取り直すことにする。



入って2室目、フォンテーヌブローの森づくしの一室に足を踏み入れた時は心ときめいた。

フォンテーヌブロー駅からレンタサイクルで大型トラックに煽られながらやっとたどり着いた新婚旅行の一コマが蘇る。
あの深い森を、展覧会場で追体験できるとは。


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* 以下写真はブロガー・特別内覧会の機会に許可され撮影させて頂いたものです。


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静けさを形容する際、「森閑」という文字が充てられていることの余りある適切さを
実感した瞬間。



こんな絵も描いていたのか、と意外性があり心惹かれたのは、
「刈入れ人たちの休息(ルツとボアズ)」というタイトルの群像画。
「ルツ記」に出てくるワンシーンで、貧しいルツをボアズに紹介された農民たちの姿が
きめ細やかに描かれていた。(写真左)


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困惑のルツ、ざわざわと冷やかな視線を投げる農民たち。
人々の心の動き、気まずい空気が、キャンバスという無機質な媒体を介しているとは思えぬ人肌感を伴って、立ち昇っていた。



更なる発見は、農村で暮らす人々の絵のバリエーション。

農作業中の人々だけでなく、糸紡ぎ、バター作り、編み物、縫い物など、
様々な場面における日々のひたむきな生活ぶりをミレーは描いていた。


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この時代、貴族と農民は、優と劣といった相対する存在として語られることが多いが、
ミレーの農民たちには卑屈なところがなく、慎ましさの中の高潔を感じた。


ミレーは敬虔なキリスト教徒ではなかったと井出先生の書は暴露しているが、
画中のみなそれぞれが、内なる自分と向き合っている。

自然を相手に翻弄される日々の中、平穏さを保つために何か強いものを信じているかのような表情。
それはやはりある意味教義を超えた信仰心ではないか。



以前、東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館の「ノルマンディ展」で
ひろしま美術館の古河先生がおっしゃっていた指摘をふと思い出す。
ミレーはノルマンディ生まれなのに、近代文明の絵は描かなかった、と。

当時外に向けて もっともひらけていたルアーブルあたりの港町では、
ブーダンやデュフィ、マルケの絵が示す通り、貨物蒸気船や煙突の煙などが現実の風景であり、
近代化の波がひたひたと迫っていた。
しかしそれら一切に背を向けたミレー。

彼の絵は、農民一揆を暗示する絵として当時批判もあったようだが、
当時の空気感を差し引いても、それはやはりお門違いだと思わざるを得ない。

産業革命という文明の変革にすら関心の矛先を向けなかった彼が、
農民改革などというものに興味を覚えたとは思えない。


恐らくミレーという人は、ザワザワしたものに浸食されぬ世界に理想を求め、激変を好まず、
穏やかに、たおやかに暮らすことをよしとした人なのでは。
どこか頑なに。



その他ちょっと思ったこと:



●「種まく人」
この力強さは、実物を見てこそ、と思った。
手にする麦(或いは蕎麦)が、手の周りで飛び散っている、そのリアリティ。


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ごついブーツ大地を踏みしめる筋肉質の男の存在感、旋回運動直前のひねりの躍動感、など
人間の逞しさの権化のような世界観だった。



● 「花輪を編む若い娘」カミーユ・コロー
見とれてしまって写真を忘れた。
コローらしくないような、メルヘンを感じさせる一枚。
惹きつけられたことは確か。ただ、10頭身以上と思われる身体が奇妙で、
更に、かぐわしさを伝えようと技巧に走ったのでは?といった意図も感じさせ、
私としては、ブリヂストン美術館お気に入りの一枚「森の中の若い女」の素直な美少女の方に、軍配かな・・?
(「森の中・・」は「花輪・・」より1~3年ほど前に描かれていた。)



● 「敬虔な友(エマオの晩餐)」(レオン・=オーギュスタン・レルミット
キリストが目の前に現れ驚く様子が茶色く沈んだ色の中に動的に表されていた。


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張りつめた様子がひしひし伝わってくる一方で、
農民画家がエマオの晩餐を描くと、自然とこういう構図になるのだろう、と思った。
農民画では、人々は横・或いは斜め向きに描かれていることが多いから。

正面から正々堂々と見据えて描いたあのカラヴァッジョの構図は大胆すぎて
肌に合わなかったのでは。
ドラマチックさでは、カラヴァッジョの方が圧巻の力をもっている。



●今後見てみたい展覧会
今回、農民画の影響を受けた日本の画家の作品が展示されていた。


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写真左の和田英作の「春日山麓」などは、やはりどこか日本的なものが感じられ
西欧の影響が彼の中でどのように変化しつつ沈着していったのか、その経時変化を知りたいと思った。
そうした変化が辿れる展示も面白いのではと。

以前庭園美術館で見たローランサン展がそういう意味では鮮やかだった。
初期~円熟期~ プライベートの不幸や戦争を反映した暗さ~ (原田マハさんがいうところの)脂がのっていた時代のコピーへと転じる時代・・
画風が時代と境遇を如実に反映していて、彼女の人生を追うことができた。


或いは、ブリヂストン美術館で以前試みられていたように、
同じモデルを描いたふたりの画家(浅井忠と和田英作だったかな?)の平行展示なども
画家による捉え方、掴み加減の違いがわかって興味深かった。


内覧会冒頭、高橋館長は「Intimateな美術館を目指したい」、とおっしゃっていた。
上述のようなちょっとした試みは、親密な美術館向きなのでは?




ボストン美術館 ミレー展 傑作の数々と画家の真実
場所:三菱一号館美術館
会期:2014年10月17日(金)~2015年1月12日(月・祝)
年末年始休館:12月27日(土)~2015年1月1日(木・祝)
開館時間:10時~18時(金曜(祝日と1月2日を除く)は20時まで)※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜休館(但し、祝日・振休の場合は開館。1月5日は18:00まで開 館。)
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2014.10.30 Thu | Art| 0 track backs,
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