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チューリヒ美術館展 / 国立新美術館
19世紀後半~20世紀前半の絵画が印象派一辺倒でないことを再度実感 / チューリヒ美術館展 -印象派からシュルレアリスムまで

 私が買った前売り券

国立新美術館で開催中のチューリヒ美術館展。
スイスと日本の国交樹立150周年の一環らしい。

是非行きたかったので、前売りチケットを買うことに。
普通に買うのはつまらない。
クレーの絵《スーパーチェス》 の柄がついたブックカバー付き前売りチケットにした。

P1620814.jpg

最近は、様々な抱き合わせチケットが入手可能なのだ:

http://zurich2014-15.jp/ticket/


◆ 混雑状況

会期開始直後、9月中の週末・及び閉館時刻2時間前という条件だったせいか、比較的空いていた。
おおぶりの絵が多いし、絵の間隔が結構とられているので、かなりゆったりと見ることができた。
ただ、以下のサイトで混雑状況をチェックすると、結構混雑という文字が目立つ。
10月に入ってからは、どうやら込みだした模様。

http://komu.artafterfive.com/exhibition?a=89



◆ ポスト印象派のバリエーションの妙

今回前売りチケットまで購入した理由は、普段力点が置かれることの少ないポスト印象派を堪能したかったから。

その目的は大いに達成できたのだが、同時にそこでクロード・モネの悲劇性を感じてしまった。

象徴派の画家たちが永続的なものをどう表現するかに心血を注いだのに対し、
瞬時で消滅するもの、刻々と時間とともに変わりゆく対象物を追い求めたモネ。

彼にとって完結という概念はなく、
死に際まで、生が続く限り、うつろいゆく色を描き続けなければならなくなった。

妻の死に顔すら、色の変化として彼の心の中では事物されていたほどに。
(「死の床のカミーユ」は、オルセーにある。)


セザンヌはモネに対して、「モネは一つの目に過ぎない。しかし何という目だろう!」と言った。
Ce Monet, ce n'est qu'un oeil, mais quel oeil !
賛辞のようでもあるけれど、やはり目に過ぎないのだ、という前文部分の意味に気が付いた。

ホドラー、セガンティーニ、キリコ、ココシュカらの圧倒的な画面と比較したせいだろうか。

今回幅6mに及ぶ《睡蓮》が今回きていたけれど、
そんなわけで悲哀を感じつつ、見ていたのだった。

もっとも闇夜に浮かぶビッグベンなど、惚れ惚れしつつ見たモネの作品もあったのだけど。



ちなみに、今年ベルリン美術館巡りを意図したの(結局風邪でキャンセルしたが)は、あることを悟ったからだった。
ドイツの画家の絵を、意外に見る機会が少ない、と。

私自身、ドイツの美術館というとノイエピナコテークしか行ったことがなく、
ドイツの美術館から絵画が来日する機会は少ない。

この偏りをどうにかしたいな、と思っていた矢先、
チューリッヒ美術館展が開催されると知り、開始直後にいそいそと訪れたわけだ。


この展覧会、非常に見やすく、19-20世紀絵画の流れが印象派だけに支配されていたわけでないことを
知らしめてくれた。

開場は、以下の見取り図の通り、画風により分類されている。
http://zurich2014-15.jp/highlight/

非常に明快。
様々な画家が、様々な表現方法を試みたことがよくわかる。



公式サイト


展覧会名: チューリヒ美術館展 -印象派からシュルレアリスムまで

東京会場
会期: 2014年9月25日(木)〜12月15日(月)
休館日: 毎週火曜日 *ただし、10月14日(火)は開館
開館時間: 午前10時〜午後6時 金曜日は午後8時まで
*入場は閉館の30分前まで
会場: 国立新美術館 企画展示室1E
〒106-8558 東京都港区六本木7-22-2 http://www.nact.jp/
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2014.10.21 Tue | Art| 0 track backs,
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