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ホドラー展(国立西洋美術館)感想
~~~ フェルディナント・ホドラー展 / 国立西洋美術館 ~~~

◆ 絵がたどり着く先: 

特定の画家にまつわる展覧会では、初期の頃から晩年にかけ、様々な画風の変化が見られるものだけれど、
初期の頃は往々にして写実的風景画などからスターとする例が多い気がする。

今回内覧会で見た国立西洋美術館のホドラー展もしかり。


初期の頃は、山と湖が織りなす自然を描き、特に湖面の輝きや波立つ様子が絶妙で、
ああ、飯田橋駅そばにあるカナルカフェから見下ろす川の水面が、まさにあんな具合の光の乱反射だった、
などとリアルに思った。

画面から伝わる雰囲気はやや寂しげではあるものの、
見聞きしたスイスの天候の厳しさを鑑みれば(★)、
画家本人が暗い思いを抱えていようがいまいが、全体の空気感としては、あんなものだろうと思えた。

    (★ ロマンディツアーと呼ばれる自転車レースに行った時、電車から見た湖が余りに美しく、
    「こんなに風光明媚な自然に囲まれて、犯罪など起こす気にもならないのでは」と
    車中で知り合った人に投げかけたところ、
    「冬の自然の厳しさは、尋常ではない。自殺者が後を絶たない」と深刻な顔で返された。)


ただ彼の場合、その変貌の仕方が、印象派→キュビズム・フォービズム・ナビ派といったスタンダードな流れでなく
独特の象徴主義へと枝分かれしていく。


P1620847.jpg



解説によると、彼の人生には死の影が付きまとい、モチーフにも反映されているというが、
身近な人の死、病弱、痴情のもつれ、不安感の渦中にいたムンクのような
おどろおどろしさ、陰惨さは感じない。


むしろ、絵筆によって精神の均衡を保とうとしたかのようなある意味ポジティブな印象で、
死を漂わせていたとしても、それは死生観に耽溺する形ではなく、生への執着と受け取った。


別途呟いた通り、
画布の上には、リズムによる躍動感と、パラレリズム(*)による精神の均衡。
生命の力を掴もうとしたかのごとく。 

(*チューリッヒ展のホドラーは、パラレリズム(平行主義)を強調し、こちらのホドラーは、リズム感の説明に多くを割いていた。)


この、反復や左右対称を用いたパラレリズムという手法。
ポッライウォーロの「聖セバスティアヌスの殉教」を想起させるものがあるけれど、
ポッライウォーロが目指した人体表現の習作的な意図から推し進めて、もっと
それらを内包する世界観を表そうとしたのがホドラーなのでは、という印象。


後期の風景画は初期の頃のものに比べ、眼前の瞬間的風景をとらえるのではなく、
どこか普遍的な、ある意味リズムを奏でる宇宙全体を描き込もうとしたかのよう。

当該展示場は、壁も床も真っ白で、張りつめたアルプスの空気が充満していた。



聞こえるものだけがリズムではない。
生きている限り、世界は無音・有音の様々なリズムを奏でている。
ホドラーの絵からは、生命力が立ち昇っていた。



名称
日本・スイス国交樹立150周年記念
フェルディナント・ホドラー展
会期
2014年10月7日(火)~2015年1月12日(月・祝)
会場
国立西洋美術館 [東京・上野公園]
(〒110-0007 東京都台東区上野公園7番7号)
http://www.nmwa.go.jp/
http://hodler.jp/

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2014.10.09 Thu | Art| 0 track backs,
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