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三菱一号館「冷たい炎の画家 ヴァロットン展」キュレータートークで印象に残った言葉
先日、三菱一号館で開催中の「冷たい炎の画家 ヴァロットン展」を見てきた。

同館で以前行われた世紀末展でヴァロットンの作品は一部見ており、
物事の見方がシニカルな作家、というイメージを持っていた。


先日、日仏会館におけるマリナ・デュクレ(フェリックス・ヴァロットン財団名誉学芸員)氏のヴァロットン関連講演会を聞き、
様々な手法にチャレンジした創作意欲旺盛な芸術家、というイメージが新たに加わった。


講演会では、スライドで年代別に作品紹介があり、写実から木版時代を経て、
Simplifierした=単純化した油絵へと移行するさまが如実に見て取れた。
ナビ派の時代あり、20世紀に入ると神話の影響あり。


実際、展覧会場でもそれが確認できた。
初期の作品《帽子を持つフェリックス・ヤシンスキ》で描かれた浮き上がるリアルな青白い静脈は、
その後の《マルト・メロ》ではさらっとした描き方に変わり、手の細部には無頓着になっていく。

正確に写し取らずとも、その本質を伝える技の魅力に惹かれたかのよう。


氏によると、一時期影響を受けたナビ派的なSans profondeur(奥行きのない)の手法には
浮世絵の影響もあるという。


デュクレ氏の講演会の中で心に残った言葉:

●Seule le temps judge d’art.
過去、評価されなかったヴァロットンの再評価について、氏が語った言葉。
彼の作品は同時代のフランス人には強烈(Dur)すぎた。
しかし、あらゆる表現方法に慣れたNouvelle génération=新しい世代が、彼の絵を評価するに至った。
時のみが芸術を評価しうる、と。


●彼の絵はSurréalismeではなくHors de la natureである。
超現実という言葉は強すぎる、むしろ、自然の枠を超えた絵と言った方がふさわしい。



もっとも展覧会を見ていると、写実、ナビ派といった手法はともかく、主題と画風に強烈なものが多く、正直、毒っ気にあてられた。
《息づくパリ 暗殺》の中でキラリ、と光る刃のように不気味な毒っ気だ。

デュクレ氏が、彼の絵を(フランス人にすら!)「Dur」と表した意味がよくわかる。



だから《リュクサンブール公園》のような絵が登場すると、ほっとする。
ルノワールの《舟遊びの昼食》や《雨傘》のように、賑やかなざわめきが聞こえるかのよう。


《月の光》の絵も渋いけど、惹かれた。蒔絵のような色合い、川に映る空、渋い色調の中のきらめき。


とはいえ、のんびりと眺められる絵はごく一部。
見て心がザワザワする絵が多い。

心の闇を絵筆にぶつけた人、という感想をもった。


先日目黒美術館のシャガール展で感じた愛情の深さとは対極的な冷たさがあり、
グランパレで行われた展覧会のタイトル「Le feu sous la glace」=氷の上の炎は、言い得て妙。
日本では、「冷たい炎の画家」という言葉に置き換えられ、この表現もうまい。



例えば、作品番号121番《引き裂かれるオルフェウス》の残酷さ。
オルフェウスをよってたかって八つ裂きにするバッカスの信者マイナスたちの中でも
一番獰猛な中央の女は、彼の妻(!)と瓜二つだ。

(作品番号120番「憎悪」に出てくる彼の妻の顔と、上記の獰猛な女性が同じ人相なので。)



同じ神話の場面を描くにしても、余韻を描くのではなく、
オルフェウスの手首を握って石を振りかざす、まさに殺生の場面を選んでいる。

それまでの彼の作品では、暗ににおわすシーンや意味ありげな描き方が多かったのに、
ここへきて感情の炸裂を抑えられなかったかのよう。



妻を失い悲嘆にくれるオルフェウスがトラキアのマイナス達に殺される場面は、
これまで幾多の芸術家が題材に選んできた。

2012年、西洋美術館の「手の痕跡」展で見たロダンの作品(写真撮影OKだった)では、
切り落とされた首を、ひっそりと置くことで、それとわからせていた。



オーギュスト・ロダン 《オルフェウスとマイナスたち》

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足元にころがるオルフェウスの首。

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(この時の解説では、妻にしか興味がないオルフェウスがマイナスの巫女たちをないがしろにしたから殺された、
と書かれていたが、今回の解説では、知り得た秘儀の内容をオルフェウスがマイナスたちに教えなかったから、
となっていた。)



それに比べ、ヴァロットンのグロテスクなまでの直接さ。
妻への怨念がこもっているかのよう。


他にも例えば、《万国博覧会 ラリックのショーウィンドウ》で群れをなす女性の浅ましさ。

フランス語のいわゆる「ミゾジニー」(Misogynie=女嫌い)という言葉を浮かべると、彼の絵は説明がつく気がする。


「夕食、ランプの光」で描かれる寂しく巨大な彼自身のシルエットとあわせると、
女性運がよほどなかった人なのかなぁ、などと。


年表には、レジオンドヌール拒否と書かれおり、気難しさゆえか、
或いはそれまでのエトランジェの扱いへのあてつけなのか。
いや、もしかしたらMisogyneというより、Misanthrope=人間嫌いなのか。
肖像画も晩年のものを除き、すべて斜に構えている。


彼の冷淡さは、近代的なセンスによって平衡が保たれており、その味付けがなかったら余りに寒々しく、
絵に抗していく気力がそがれてしまいそう。



もっとも、一連の戦争画では、一番凄惨な場面を描かずに、廃墟のみを描き、欠落部分は鑑賞者に委ねられている。
人間に対する激情はときに直接的表現を用いつつも、戦争に対してはユーフェミズムを用いている。
その差はなんなのだろう。
義理の息子を巻き込んだ戦争への怒りは、人間という具体的な対象者を越えた
何か世界全体のような概念に対する怒りだったとか?


少なくとも、彼にとって芸術とは美を表現するもの、或いはエンターテイメントなどではなく、
魂をぶつけ合うものだったのだろう、ということは推測できた。



解説によるとモンパルナスに彼の墓地があるそうだが、去年時間つぶしで訪れたモンパルナス墓地では
墓碑を見つけることはできなかった。

入口にある著名人の一覧に、その名がなかったからだ。
やはり少し前のフランスでは、知名度はいまひとつなのらしい。


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墓地見取り図の脇には縦のアルファベット順で著名人の名前が並んでいるが、VALLOTTONの文字はない。

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p.s.1 ルナールの「にんじん」の展示があった。日仏双方の本の表紙に彼の絵が使われていて、タイトルが「Carotte」でなく「Poil de Carotte」であるのを知った。
原題は、「人参の毛」だったのだ。

p.s.2 上記の「にんじん」が出展されていたのだが、仏文の本の所蔵者は、高橋館長ご自身だった。



http://mimt.jp/vallotton/

展覧会名称 : ヴァロットン ―冷たい炎の画家
会  場 :三菱一号館美術館(東京・丸の内)
〒100-0005 東京都千代田区丸の内2-6-2
会  期 :2014年6月14日(土)~9月23日(火・祝)
開館時間 :10:00 ~18:00(金曜(祝日除く)のみ20:00まで)
※入館は閉館の30分前まで
休 館 日 月曜休館(但し、祝日・振替休日の場合は開館/9月22日(月)は18時まで開館)
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2014.06.25 Wed | Art| 0 track backs,
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