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日常風景 * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
「ちょっとパリまで、ず~っとパリで」 2014年3/15-5/11 @泉屋博古館
泉屋博古館における「ちょっとパリまで、ず~っとパリで」展において、
久野和洋氏(洋画家・元武蔵野美術大学教授)のアーティストトークを拝聴してきた。
内容以下のとおり :
 

かつて自分(久野氏)は、欧州留学を果たした。
シベリア鉄道でヘルシンキを経てヨーロッパへ。飛行機でなく船を選んだのは、距離を体感したかったから。
但し帰りは飛行機。パリから買うと安かった。
格安のせいか、オルリー空港を出たあと、飛行機が火を噴いた。空港へ戻り消防車がきて助かった。死ぬときは死ぬと実感。

自分よりもっと以前に渡欧した人たちは船で40日かかって行った時代。更に前例に乏しく手探りで学び、真剣味が違う。

久野氏自身は14世紀の画家が好きでジョットやドゥッチョの模写を続けた。
(この名前が出てきて嬉しかった。特にジョットは私の大好きな画家。)

思う存分それを行ったことが、あとあと糧になった。

かつては野球にいそしみ、キャッチャーだった。運動神経=スポーツと芸術には相関関係ある、というのが氏の考え。
集中力などパワーが必要なときに生かされる。
小磯良平はラガーマンで、リコーのラグビー部を創設。
佐伯祐三は、野球部で3番。甲子園に出てもおかしくないほどの腕だった。
(びっくりだ!)

かつて自分は変人だったと思う。学校時代も教師が自分を避けていたほど。

(以下、展示作品をいくつかピックアップしつつ、学芸員の人とともに紡がれた言葉)

●黒田清輝
行政官として偉大だが、彼への評価は好みが分かれる。
「庭園」の絵は土の色などさりげない題材、仰々しくない。

●浅井忠
久野氏の好きな画家。浅井はイタリアから招聘されたフォンタネージに師事。
フォンタネージは暗い絵が多く、それに影響を受けた画家も数少なくなかった。
浅井は東京美術学校を2年でやめて関西へ。安井曽太郎、梅原隆三郎を育てた。

●斎藤豊作
2回渡仏。2度目はそのまま現地に居つき、フランスで亡くなった。
資産家と結婚し、城で優雅に暮らし、絵を描かなくなった。
満たされることは必ずしもよくない。
フランスと日本では画風が違う。空気のせいか(日本のような湿気があるかないかの違いで絵の透明度が違う、と私は思う。)

●鹿子木孟郎
住友の援助のもと渡欧。数枚絵を買ってくれと住友から渡された金は、絵描きに使い込んだ。
かわりに模写をいっぱいしたのでいいだろう、と開き直るおおらかさ。
アングルの模写などを通じ、水表現に苦心。模写により技術磨いた。
模写でもそれは自ずと原画とは別物になり、原画と並べるのは酷というもの。
「ノルマンディーの浜」は大きな作品だが、はがさず額ごと輸送してきた。立派な額。
現地で賞を獲った作品。

●藤島武二
パリ・ボザールで習った。迷いのない筆=黒衣の婦人(ブリヂストン美術館の対になる作品)

●北村四海
100㎏の大理石彫刻。ロダンの影響。
美術館側としては重すぎて設置に困る。
ブロンズが好まれたのはその辺の理由故だろう。

●藤田嗣治
「Y婦人の肖像」は、ルーブルのダヴィド作「レカミエ夫人」の構図の真似。

描かれた猫のニュアンス=野獣性と家畜性

●坂本繁二郎
権威に媚びず、コローが好きだった。人間性をじわじわと感じる。
「二馬壁画」=心を込めた筆遣い。住友の麻布別邸の壁に据えられた。いまは額装。
久野氏の大好きな画家


最後に:
「絵は全て自画像。自分の分身であり、生き方の結晶である。」

***

公式サイト:http://www.sen-oku.or.jp/tokyo/program/index.html
場所=泉屋博古館
特別展「住友グループの企業文化力II ちょっとパリまで、ず~っとパリで ―渡欧日本人画家たちの逸品」
日程=平成26年3月15日(土)~5月11日(日)  ※この後京都へ巡回
休館日=月曜日、5月7日(水) *但し5月5日は開館
主催=(公財)泉屋博古館、日本経済新聞社
住友グループ各社が長きにわたり収集した様々な絵画作品の第2回特別公開展。
19世紀末から20世紀前半期にパリに留学した黒田清輝や藤鳥武二、あるいはパリに居続け異邦人画家として活躍した藤田嗣治(レオナール・フジタ)などの知られざる逸品を紹介します。
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2014.04.20 Sun | Art| 0 track backs,
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