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三枝昂之氏の「昭和短歌の精神史」その2
先の話の続き。
自由形式よりも、定型においてこそ、自由さが発揮できるというアイロニー。

これは短歌の世界だけでなく、人生全体に敷衍できるのではないだろうか。

がんじがらめのサラリーマンは、ほんの少しの余暇を割いて貪欲に充実の時を求め、
ああ、もっと時間があればなぁ、と夢想する。
だけど、いざ100%自由人となってしまった時、夢が折角叶ったというのに、実際のところ戸惑ってしまうのでは。

むろん、サラリーマンの代わりに子育て中の母に置き換えてもいい。

ある程度の社会的義務とか拘束があった方が、開放感を満喫できる。
そうしたしがらみから解き放たれた時こそ、自由さを求めるのに人は必死にならねばならなくなる。


くだんの本から、三枝昂之氏の言葉を引いてみる:

自由律衰退の原因は何か。
・・・
原因は自由律短歌自身に内在していた。・・・

「一首ごとに新しい形式を打ち立てることが要求される」のが自由律短歌であり、
その形式の過酷さへの「徹底した畏れと怖れの自覚のなかにしか、類型化をまぬがれるということはできない」




昭和短歌の精神史昭和短歌の精神史
(2005/07)
三枝 昂之

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2014.02.27 Thu | Books| 0 track backs,
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