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日常風景 * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
三菱一号館美術館 名品選2013 -近代への眼差し 印象派と世紀末美術 
昨夜、首記の名品選ブロガー・内覧会で、ちょっと意外な出会いがあった。

ラファエル作「アテネの学堂(学園)」に登場するラファエロの自画像が、
なぜかドガによって模写されていた。


今年5月にヴァチカン博物館で見たオリジナルのラファエル作「アテネの学堂」はこれ:


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自画像は、右端にちょこっと添えられている。
こちらを見ている人がラファエロ自身。

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そして、三菱で見たドガ作ラファエロが、暖炉の上に。
しかし、顔半分に陰りがあり、美男子とうたわれたラファエロもここでは、やや冴えない。
ドガよ、どんな意図をもってこれを描いたの?
敬愛の念から発生した絵にしては、暗い仕上がりになっていて・・
よくわかりません。

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*本エントリーにある三菱一号館美術館内の写真は許可の上撮影しています。


(蛇足ながら、南北線東大前の駅には、アテネの学堂のこれまたゆるい模写がある。)

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かと思えば、老年のレンブラントの肖像まで。
こちらはフェリックス・ヴァロットン作。

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このヴァロットンという画家は、初耳だったけれど
独自の画風で目を引いた。

シニカルで、一見真っ向勝負に見える絵にもなにかしら仕掛けを施さないと気が済まない。
そしてときにミステリアス。

『息づく街パリ』の連作などは、一瞬タンタンを連想させるタッチだけど、
無垢な感じはない。

下記左の口絵に、『息づく街パリ』の現代Paris Intenseと書かれている。
凝縮されたパリ、といった直訳を、よくこんなステキな訳に置き換えられたものだ。

右の一枚は、みんなが街中でてんでばらばらに歌いだしているシーン。

今、世界で「突然ミュージカル」(日常生活に溶け込んでいた人たちが、実は仕込まれていて、突如ミュージカルを繰り広げる)などというのが流行っている。

けれどこちらは100年以上前に、突然ミュージカル状態になっている。
今のパリでもあり得る光景だ。


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左は事故で馬車の下敷きになった人を助け出そうとしているシーン。

この絵の不思議なところは、画家の視点だろう。
不幸な人への憐憫の眼差しは感じない。
平面的で肉体感がないせいか、客観的すぎてシュールな感じ。
ことさら敢えてシュールに描いているふうには見えないけれど。


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それからいまだよくわからないナビ派の絵も。

モーリス・ドニは、色の薄さが坂本繁二郎的で、どれを見ても(主題はさまざまなのに)同じに見える、
というのが素人の正直な感想だ。

この絵なんかは、菱田春草が手が不自由になってまっすぐな線が引けなくなったときに描いた「賢首菩薩」の絵を思い浮かべた。


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帰宅して春草の絵を再度確認したら、ドニの絵の方がよほどはかなかった。

以下は、国立近代美術館「美術にぶるっ」、の内覧会時に撮影した「賢首菩薩」(中央)


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印象派に続いてドニやヴァロットンが出てくると、とても戸惑ってしまう。

なんで印象派とフォービズム(或いはキュビズム)にいかずに世紀末に飛ぶのか。
いい、悪いでなく、単純に、なぜ?

館長の高橋明也先生が、国立西洋美術館在籍時代「ジョルジュ・ラ・トゥール展」を手掛けたと聞けば、
ひとひねりが好きなのかな、という感想もありだけど。


とはいえ、落ちやすいパステルでしかも巨大で某運輸会社も辟易したとかいうルドンの「グランブーケ」を購入した英断ぶりは素晴らしい、の一言に尽きる。

実物は神々しくて艶めかしくて。
ふわふわとした造形と色彩のハーモニーがあの大きさで眼前に現れると、
カタログなどで見たのとはまるで別物のよう。(他の人もそんなことをぼそっと述べてた。)

これは静物画ではない。
カタログに閉じ込めれば静物画に収まるのだろうけれど。

ではなんといえばいいのか、動物画?

花びらが乱舞して、闇の中に浮かび上がる様には、ほんとうに吸い寄せられるのだった。


P1460506.jpg



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2013.10.04 Fri | Art| 0 track backs,
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