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日常風景 * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
国立近代美術館のベストセレクションカタログが秀逸
昨日、竹内栖鳳展に行く前に、国立近代美術館設立60周年のときに発行されたカタログを読み返してみた。
文章が秀逸で、それ自体が美術作品のよう。

例えば、

目の前の作品が100年前に作られたものであれ、50年前に作られたものであれ、いま、ここにいる自分を感動させてくれないかぎり、どんな”名作“も文字通り絵に描いた餅に過ぎない。しかし、名作というものが、感動を惹起するか否かといった現在のわたしたちへの効力や威力に尽きるかといえば、そうともいえない。すべての作品はある時、ある場所に一回限りの生をうけた歴史的存在としての一面をもつからである。その誕生の歴史的一回性こそが、個々の作品の現在の生命を - わたしたちの目には必ずしも見えないところで - 支えているものであれば、感動や衝撃は、そうした生命の源泉たる歴史への糸口に過ぎないともいえよう。(中略)おのおのの作品が根をおろし、おのおのの生命のための滋養を汲み上げている起源の土壌にまでふれることができたとき、わたしたちは本当の意味で歴史の門口に立つことになるのではないだろうか。


という冒頭の「時代はめぐる - 東京国立近代美術館の60年」と題された松本透氏の文章など。


ある作品を見て、好き、とかキライとか、惹かれる、とかいった感覚を経た上で、その作品が美術史の潮流の中でどういう役割を果たしたのか、など具体的な知識が加わることで、もう一歩奥へ踏み出せるというか。


重要文化財の新海竹太郎作「あゆみ」を例にとると -

慎ましやかな表情と、からだにかかる水の表現が独特で惹きつけられると同時に、兼ねてからギリシャ彫刻との類似性を感じていたけれど、ドイツ留学を機会に、西洋美術の古典的な裸婦像の導入に挑戦した動力となった人物だそう。

単体の女性像だけに注視するのでなく、ちょっと歴史的背景に目を向けて俯瞰的にこの作品を見てみれば、西洋美術に触れて心動かされた彫刻家の野心と意欲が、このひそやかな女性像の奥底に秘められていたようなのだ。

私はこの彫像を見ると、

今ルーブルから来日しているギャビーのディアナを想起する。
 

遊脚と支脚の置き方に基づく動的表現は異なるけれど、風情がどことなく。
やっぱり新海のこの作品は、ギリシャ彫刻なのだと思う。
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2013.09.09 Mon | Art| 0 track backs,
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