■ 泣けてしまった写真展
先週末、六本木フジフィルムスクエアの「星野道夫アラスカ 悠久の時を旅する」写真展と、「星野道夫の旅を語るトークショーに行ってきた。
定員150人という会場はぎっしり満員だったトークショー。
奥様の直子さんが、今は亡き夫が残した写真をもとに、作品の裏側にある秘話、星野道夫という人の軌跡を語っていく。
正直、この写真家がどういう方か知らずに申し込んだだけでなく、すでに96年に故人となっていたことすら知らなかった。
フジフィルムスクエアの写真展は、開館以来ほぼ展示毎に都度、足を運んでいるものの、トークショーやレクチャーの類はこれでまだ3度目。
アラスカにも興味はないし、正直、ただふらりと気が向いて申し込んだだけだった。
けれど、ふらりと申し込んだ自分を大いに褒めたい、そう思うほどの感動だった。
トークによってあらかじめ写真の裏に秘められた話・背景を承知した上で行った方が、展示の真価が味わえる。
動物への、そして自然へのぬくもりある視線、
動物を追いかけて、見渡す限り誰もいない気が遠くなるほど寂しくて孤独な氷原に立ち向かう芯の強さ、
それらを感じながらスライド写真に見入り、トークに聞き入っていたら、涙が自然にこぼれて、止まらなくなってしまった。
どうやらツボにはまったというか、完全に琴線に触れてしまったようだが、なんといってもやはりこれだけのすばらしい足跡を残した人が、今はもういない、という事実に愕然とし、それがひたすら悔やまれた。
冒頭、道夫さんのこんな逸話が披露された。
10代の頃電車に乗っていて、ふと、今この時刻にどこかで木をまたいでいるヒグマが存在する、ということに思い当たって、動物と自分は同じ時間を生きていると改めて実感した、と。
そもそも、この人と動物たちとの関わりがなんだか、並々ならないものらしいぞ、ということが伏線として挿入される。
そして学生時代、書店で買った本に出ていたエスキモーの村・シシュマレフ村の写真に魅せられ、彼は英語で手紙を書く。
あて先は複数のエスキモー村の村長さん。
内容は、アラスカの大自然と動物たちに魅せられた。ついては、自分を受け入れてくれる先を紹介してくれないか、と。
住所も村長さんの名前も知らないから、村の名前を書き、あて先はその村の「Major(市長)殿」となっている。
返事はなかった。半年ほどは。
しかし、なんと一番行きたかったシシュマレフ村の村長さんから、遂に返事が届いた。
これは1970年頃のことなので、電子メールは存在しない。
メールのない時代だからこその展開だ。
今なら簡単に村のアドレスなどがつきとめられ、さらっと書いて、ぽっと送信ボタンを押せばコンタクトできる。
そんな簡便な方法で相手にメッセージが伝えられるから、受け取った方も、ぽいと無視して終わってしまう。
国際郵便Par Avionなどと朱書きして、住所もわからずあとは配達人頼み、それでも書くと決意し、投函して、、、そんな手間をかけた熱い思いがあるからこそ、それが半年後に返事として結実するわけだ。
通信事情の飛躍が潰してしまった感動は、枚挙に暇がないことだろう。
(会場には、手紙も、村長からの返信レターとともに展示されていた。)
村長が受け入れを許可してくれ、彼は飛んでいく。
そして、その後彼の人生が決まる。
写真家として、誰も見たことのない、野生の世界を切り開いていく。
動物に寄り添い、
時に気も狂わんばかりの見渡す限りなにもない風景の中で、動物が来るのを待ちわび、
忍耐あってこそ手に入る貴重な情景を我々はこうして享受することができる。
ブリザードに向かう熊の親子の隊列は、すなわち彼自身ブリザードに耐えているということ。
動物たちと同じ環境に身をおき、同化していく。
時間をかけたからこそ垣間見える、彼の前でくつろぐ熊たちの姿もある。
なにもない広大な雪原にぽつりと存在する熊を見るとき、それは写真家の姿でもあることに気づく。
トークで披露された話にはこんなものもあった。
写真を撮影するために、セスナで大自然の只中まで運んでもらい、1ヵ月後のこの時間にまたここに迎えに来て、と言って、あとは途方もない大自然の中にひとりぽつんと取り残されたという事実。
時間を数え間違えたら?もしそのパイロットが病気でこられなくなったら?など考え始めたら、不安でいてもたってもいられなくなる。
無限の自然とその中で誰にも知られずにそれぞれの生の営みを送る動物たちの貴重な写真の数々は、身を賭してまで撮影に挑んだからこそ手に入れることができた。
そんなふうに熊やカリブーや野生動物たちに寄り添った人が、クマによって命を落とすというのは、なんともやりきれない。
でもその話はトークショーには出てこない。
なぜ46歳の若さで逝ったのか?事故で亡くなったその事故とは?とネットで調べて知った。
それは、「動物奇想天外」のロケ中の出来事だったという。
通常ならクマは寄ってこないはずだった。
鮭の産卵期で食料はたんまりある。
しかしカムチャッカ半島のクリル湖畔に野営した際、彼が知らなかったことがあった。
そこのクマは人に飼いならされており、野生の熊とは異なる挙動をする、つまり、人の食料に手を出すことを覚えてしまったクマなのだと。
動物の生態を熟知していた彼だからこそ、安全な場所にいた他のクルーとは別にひとりテントを張っていたそうだ。
襲撃の様子はTBSにより事故報告が出ているらしく、あらましを読むことができる。
愛を仇で返されたようなクマの襲撃事件は、なんとも痛ましい。
星野道夫さん公式サイト
なお、本トークショーでは、アラスカの水が配布された。
(目下お気に入りで使用中のアスタリフト=富士フィルムの化粧品=のサンプルとともに)

そして夜にはこんな風景になる、富士フィルムスクエア前。

スノーマンの後ろ側にはポケットがあり、なんと!クリスマスプレゼントが。

写真展:「星野道夫アラスカ 悠久の時を旅する」
開催期間:2012年11月16日(金)~2012年12月5日(水)
開館時間:10:00~19:00(入館は18:50まで)期間中無休
会場:FUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア)内 富士フイルムフォトサロン
出展写真家:星野道夫(故人)
作品点数:約100 点(予定)
主催:富士フイルム株式会社
企画:クレヴィス
公式HP:http://fujifilmsquare.jp/detail/121116012.html
先週末、六本木フジフィルムスクエアの「星野道夫アラスカ 悠久の時を旅する」写真展と、「星野道夫の旅を語るトークショーに行ってきた。
定員150人という会場はぎっしり満員だったトークショー。
奥様の直子さんが、今は亡き夫が残した写真をもとに、作品の裏側にある秘話、星野道夫という人の軌跡を語っていく。
正直、この写真家がどういう方か知らずに申し込んだだけでなく、すでに96年に故人となっていたことすら知らなかった。
フジフィルムスクエアの写真展は、開館以来ほぼ展示毎に都度、足を運んでいるものの、トークショーやレクチャーの類はこれでまだ3度目。
アラスカにも興味はないし、正直、ただふらりと気が向いて申し込んだだけだった。
けれど、ふらりと申し込んだ自分を大いに褒めたい、そう思うほどの感動だった。
トークによってあらかじめ写真の裏に秘められた話・背景を承知した上で行った方が、展示の真価が味わえる。
動物への、そして自然へのぬくもりある視線、
動物を追いかけて、見渡す限り誰もいない気が遠くなるほど寂しくて孤独な氷原に立ち向かう芯の強さ、
それらを感じながらスライド写真に見入り、トークに聞き入っていたら、涙が自然にこぼれて、止まらなくなってしまった。
どうやらツボにはまったというか、完全に琴線に触れてしまったようだが、なんといってもやはりこれだけのすばらしい足跡を残した人が、今はもういない、という事実に愕然とし、それがひたすら悔やまれた。
冒頭、道夫さんのこんな逸話が披露された。
10代の頃電車に乗っていて、ふと、今この時刻にどこかで木をまたいでいるヒグマが存在する、ということに思い当たって、動物と自分は同じ時間を生きていると改めて実感した、と。
そもそも、この人と動物たちとの関わりがなんだか、並々ならないものらしいぞ、ということが伏線として挿入される。
そして学生時代、書店で買った本に出ていたエスキモーの村・シシュマレフ村の写真に魅せられ、彼は英語で手紙を書く。
あて先は複数のエスキモー村の村長さん。
内容は、アラスカの大自然と動物たちに魅せられた。ついては、自分を受け入れてくれる先を紹介してくれないか、と。
住所も村長さんの名前も知らないから、村の名前を書き、あて先はその村の「Major(市長)殿」となっている。
返事はなかった。半年ほどは。
しかし、なんと一番行きたかったシシュマレフ村の村長さんから、遂に返事が届いた。
これは1970年頃のことなので、電子メールは存在しない。
メールのない時代だからこその展開だ。
今なら簡単に村のアドレスなどがつきとめられ、さらっと書いて、ぽっと送信ボタンを押せばコンタクトできる。
そんな簡便な方法で相手にメッセージが伝えられるから、受け取った方も、ぽいと無視して終わってしまう。
国際郵便Par Avionなどと朱書きして、住所もわからずあとは配達人頼み、それでも書くと決意し、投函して、、、そんな手間をかけた熱い思いがあるからこそ、それが半年後に返事として結実するわけだ。
通信事情の飛躍が潰してしまった感動は、枚挙に暇がないことだろう。
(会場には、手紙も、村長からの返信レターとともに展示されていた。)
村長が受け入れを許可してくれ、彼は飛んでいく。
そして、その後彼の人生が決まる。
写真家として、誰も見たことのない、野生の世界を切り開いていく。
動物に寄り添い、
時に気も狂わんばかりの見渡す限りなにもない風景の中で、動物が来るのを待ちわび、
忍耐あってこそ手に入る貴重な情景を我々はこうして享受することができる。
ブリザードに向かう熊の親子の隊列は、すなわち彼自身ブリザードに耐えているということ。
動物たちと同じ環境に身をおき、同化していく。
時間をかけたからこそ垣間見える、彼の前でくつろぐ熊たちの姿もある。
なにもない広大な雪原にぽつりと存在する熊を見るとき、それは写真家の姿でもあることに気づく。
トークで披露された話にはこんなものもあった。
写真を撮影するために、セスナで大自然の只中まで運んでもらい、1ヵ月後のこの時間にまたここに迎えに来て、と言って、あとは途方もない大自然の中にひとりぽつんと取り残されたという事実。
時間を数え間違えたら?もしそのパイロットが病気でこられなくなったら?など考え始めたら、不安でいてもたってもいられなくなる。
無限の自然とその中で誰にも知られずにそれぞれの生の営みを送る動物たちの貴重な写真の数々は、身を賭してまで撮影に挑んだからこそ手に入れることができた。
そんなふうに熊やカリブーや野生動物たちに寄り添った人が、クマによって命を落とすというのは、なんともやりきれない。
でもその話はトークショーには出てこない。
なぜ46歳の若さで逝ったのか?事故で亡くなったその事故とは?とネットで調べて知った。
それは、「動物奇想天外」のロケ中の出来事だったという。
通常ならクマは寄ってこないはずだった。
鮭の産卵期で食料はたんまりある。
しかしカムチャッカ半島のクリル湖畔に野営した際、彼が知らなかったことがあった。
そこのクマは人に飼いならされており、野生の熊とは異なる挙動をする、つまり、人の食料に手を出すことを覚えてしまったクマなのだと。
動物の生態を熟知していた彼だからこそ、安全な場所にいた他のクルーとは別にひとりテントを張っていたそうだ。
襲撃の様子はTBSにより事故報告が出ているらしく、あらましを読むことができる。
愛を仇で返されたようなクマの襲撃事件は、なんとも痛ましい。
星野道夫さん公式サイト
なお、本トークショーでは、アラスカの水が配布された。
(目下お気に入りで使用中のアスタリフト=富士フィルムの化粧品=のサンプルとともに)

そして夜にはこんな風景になる、富士フィルムスクエア前。

スノーマンの後ろ側にはポケットがあり、なんと!クリスマスプレゼントが。

写真展:「星野道夫アラスカ 悠久の時を旅する」
開催期間:2012年11月16日(金)~2012年12月5日(水)
開館時間:10:00~19:00(入館は18:50まで)期間中無休
会場:FUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア)内 富士フイルムフォトサロン
出展写真家:星野道夫(故人)
作品点数:約100 点(予定)
主催:富士フイルム株式会社
企画:クレヴィス
公式HP:http://fujifilmsquare.jp/detail/121116012.html
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2012.11.23 Fri | Art|
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