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日常風景 * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
イタリア古寺巡礼
キッカケは、先日読んだ「アルプスの谷 アルプスの村」(新田次郎著)。

富士フィルムギャラリーで開催された新田次郎が愛した山々の展覧会でこの著書のことを知り、さらにお勧めと教えてくれた人がいて、手に取った。

何のキッカケになったかというと、その昔、ヨーロッパを旅した人たちの新鮮なまなざしに惹かれるようになった、そのキッカケのこと。

新田氏が旅したのは1960年頃のはずで、地球の歩き方もネットもない時代。
事前調べをどうやったのかフシギだけれど、とにかくあちこちフットワークよく動き回る。

そこで出会ったものたち、見たものが生き生きと描かれ、やはり未知のものに対する鮮烈な印象は、既知のものをなぞったものよりも読者に感動を与える。

須賀敦子さんも、同じような時期に海外を飛び回っていた。
それを題材にした珠玉の作品に圧倒されるけれど、彼女の場合は海外のものたちを自分のところに引き寄せる力がすごくて、驚きの要素は新田氏に比べると少ない気がする。
そこに住んだ人の視点になっているから、当然であり、同化しながら書かれているので、いちいち目新しいことを書き留めるという手法でもない。

第一、帰国してかなりのときを経て、自分の中でエッセンスだけが抽出され、昇華された後に書かれた作品ばかりなのだから、やはり新鮮味という点で、”一介の”旅行者のエッセイの方がうぶなのは当たり前といえる。

というわけで、すっかり味を占めてしまった。
一介の旅行者のエッセー。しかも、うんと昔にヨーロッパに行った人の。

でも、鴎外とか漱石とかじゃなく、もっと渋いところに手をつけた。

和辻哲郎氏の「イタリア古寺巡礼」。
なんと氏がイタリアを訪れたのは1927年。戦前だ。
新田氏の時代よりもうんとさかのぼることになった。

そして思惑は当たった。

先入観のない純粋な目を通して見たヨーロッパ、ことイタリアの芸術。
美術家ではないのに、ありえない造詣の深さ。

イタリアで数々見たヴィーナスも、有名だから、といった偏見を取り払い、自分の心で見る。
そして、独自の観点で美を品定めしていく。

ヴィーナスの肉体の盛り上がりが彫刻の内から隆起している、と称え、
部屋の片隅に追いやられている彫像であっても、独自の価値を見出せば、それを最大限の賛辞をもって言葉に紡いでいく。
逆に、いくら美術館での評価が高い彫刻であろうと、単に表面だけ磨いて凹凸をつけただけのもの、と切り捨てたりもする。

彼の心眼は見抜く。
いい、悪いは自分が決める。世間の評価に左右されない信念がある。

先入観抜きの、純粋な目と心で見るからこその言葉たち。


ガイドブックとくびっぴきでいくら彫刻と対峙しても、文字先にありきの鑑賞でしかない。
心の目で見ることは難しくなる。

無垢な心で、自分の目をひたすら信頼して鑑賞することの素晴らしさ。
むろん芸術に対する膨大な予備知識なしではなし得ないころだけど。

自分の美術鑑賞のありかたが恥ずかしくなる、そんな一冊だ。


ひとつ面白いなぁと感じたのは、日本との比較が頻出すること。

イタリアで見る景色をつど日本の山や平野と比較する。
それは、「アルプスの・・」の中で信州の山との比較を何度も試みていた新田次郎氏とあい通じるものだ。


海外の景色の日本との違いと類似を、あそこまで書き立てていて、やはりとりもなおさず出会った光景を事前にビジュアルで見ることなく、いきなり実物を見たからこそのリアクションなのだろうと思う。


ここまで鮮烈な感動をつづったエッセーは、もう今後望めまい。
ネットの発達による情報過多はよいことばかりではない。

不便さと引き換えでしか、見出せない価値もある。



イタリア古寺巡礼 (岩波文庫)イタリア古寺巡礼 (岩波文庫)
(1991/09/17)
和辻 哲郎

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アルプスの谷 アルプスの村 (新潮文庫)アルプスの谷 アルプスの村 (新潮文庫)
(1979/02/01)
新田 次郎

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2012.10.13 Sat | Books| 0 track backs,
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