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フランス人とイタリア人のメンタリティと、塩野七生とツール・ド・フランス
塩野七生の「イタリア遺聞」を読んでいて、ふとフランスに思いを馳せた。
キッカケはこのくだり:

レースがいつ頃からヴェネツィアで作られはじめたのかを示す確実な史料は、今のところみつかっていない。


まったくなにも残っていないというのが驚きだった。
15世紀という時代を考慮したとしても、少しぐらい何か残っていてもいいのに、と。
産業・文化の足跡を残そうという気概は薄かったのだろうか。

写真は、09年ブラーノ島のレース



一方で、同書によると、13世紀のヴェネツィアの要人の財産目録は、事細かに書き物で残っているという。

経済的なものが優先、そんな社会だったのか。

そう思った瞬間、ツール・ド・フランスのことが浮かんだ。

ツールが開始となったのは1903年。
ひとっ飛びに20世紀の話なので、これと15世紀ヴェネツィアのレース編み記録を比較するのもなんだけど、
でもやっぱりツールの100年以上の歴史が綿々と語り継がれているのはすごいことなのだなぁ、と。

1903年初回大会ですら、ゆうに1ページを割いてレースをきっちり再現することができる。
詳細な記録のおかげで。

ジロやブエルタのアーカイブもむろん存在するけれど、あれほどまでの緻密さではないし。

フランス人って、文化遺産を残そうという魂を昔から持ちあわせていたのではなかろうか。

文化遺産を残すことに尽力した文化相のアンドレ・マルローやジャック・ラングは、突然変異で誕生したのではないのだろう。

にしても、ツールのレース記録のきめの細かさは圧巻だ。

49回ツールを取材したピエール・シャニーが著したツールの歴史本“La fabuleuse histoire du Tour de France ”の分厚さ・重さといったら。
一体重量何キロあるのだろう。

初回大会以来、かなり正確なアーカイブが大切に保存されている。

そんな中、ちょっと面白いのは、否定的なインシデント、例えばツールの最中のズルなどについては、曖昧のままにされている。
まるで記録をとることを放棄しているかのよう。

だから、先日アンコウさんと話に花が咲いたのだが、画びょうがまかれた最初のレースはいつだった、、、とか、初回優勝者ガランのズルは電車によるキセルだったか、あるいはそうではなかったか、といった議論に結論がないわけだ。

そういうバッドニュースについては、ツールの記録者はしらんぷりしている。
諸説紛紛のままなのだ。

そのほか、小さなニュースの中には正当なヒストリーとして残されてはいないものの、
エピソードとしてきらめいているものもある。

Jスポーツのサイトにちらりと書かせて頂いたけれど、
1919年が最初、といわれるマイヨジョーヌ(黄色いリーダージャージ)の登場が、実は1913年だった、という話もある。

これは証拠不足で正式に認知されていはいないけれど、それでも抹殺されずに残っている”エピソード”の一つなのだ。

。。。
とここまで書いて、この話の起点が塩野七生のイタリア本だった、ということを思い出した。



イタリア遺聞 (新潮文庫)イタリア遺聞 (新潮文庫)
(1994/03)
塩野 七生

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2012.09.11 Tue | Society| 0 track backs,
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