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須賀敦子さんと矢島翠さん (須賀敦子全集2を通して)
久しぶりに「須賀敦子全集2」を手に取った。

今回のお目当ては、巻末の矢島翠さんの解説。
今年8月30日に亡くなられたという矢島さんを偲ぶための再読、なんとなくそんな感じだろうか。


その中に、須賀さんのフランス時代のことに触れている一文がある。
「須賀敦子は文化の異質性の前に立ちすくんだ組だった。」


私自身、この点がかねてから喉に刺さった小骨みたいに気になっていた。
まだ敗戦国の影を引きずっていたであろう1950年代の日本から欧州に渡って、イタリアという国に出会って開花した人が、フランスで挫折したという事実。

もっとも、それが須賀さんでなければ一向に不思議なことではない。
異質性の前に立ちすくむこと自体は、大学の卒業旅行で訪れた時、フランスの第一歩で私が体験したこと。

フランス語をしゃべらない者に対する誇り高き拒絶は、降り立った地シャルルドゴール空港からパリ滞在中を通して、ひしひし感じたことだったから。

でも、須賀さんの並はずれた世界観をもってですら、フランスに同化しきれなかった、その理由は何だろう。


その原因を矢島翠さんは、フランスの国家中心主義と、イタリアの人間中心主義にスポットを当てて解説している。

大国意識がイタリアには欠如していた。それが、外国人の接近を容易にした、と。


それを須賀さん自身は、
「パリの合理性に息がつまりそうになっていた自分には、イタリアの包容力がたのもしかった」
そんな言葉で言い表していた。
(手元のメモに書き抜いた言葉だけど、どの本からだったか失念。)

これももとをただせば、矢島さんのロジックと直結する。
大国意識による自国倫理観を押し付けるパリと
その欠如による寛容性をもちあわせるイタリアと。


そういえば、イタリア語を少しかじろうとした時、世界地図の上でこの言語の適用範囲がほぼイタリアのみに限定されているのを実感した。
南米を覆い尽くすスペイン語圏との見事なまでの対比。

20世紀以降、イタリアには主だった植民地政策がなかった。
そもそも国内の統一でそれどころではなかったのかもしれない。

ローマ時代~ルネッサンス時代、文化で世界を圧倒したこの国は、20世紀以降、武力で世界を席巻したことはない。
プライドの置き場所が、フランスと異なっても不思議ではない。


そしてもうひとつ須賀さんの作品の中でずっと不思議に思っていたことがある。
その辛かったと推測されるフランス時代の記述が極端に少ないこと。

多感な時期の2年間は、いくらイタリア滞在の前のこととはいえ、初海外でもありインパクトの大きさでいえば、それなりだったはずなのに、須賀さんの筆はその周辺をかすめるだけにとどまっている。


矢島さんはこう綴る:

「しかしそうした暗い一時期は、劇的に誇張されてながながと語られることはない。その後の彼女が自分のものにした、あまねく光のゆきわたる回想のパースペクティヴのうちに・・・・静かに、さりげなく置かれている。それがかえって読む者の胸を突き刺さずにはいない。」


明快な矢島さんの筆によって、はっきりと輪郭をもったかたちで改めて認識させられる。

フランスを語る時の控えめさにより、主観に偏り過ぎない距離感を生み出し、
そして、饒舌よりも沈黙が伝える痛さの方が人の心を揺さぶるのだ、ということを。



須賀敦子全集〈第2巻〉須賀敦子全集〈第2巻〉
(2000/05)
須賀 敦子

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2011.09.24 Sat | Books| 0 track backs,
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