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日常風景 * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
「トリエステの坂道」のカラヴァッジョ
みすず書房から出ている須賀敦子さんの「トリエステの坂道」は、
表紙がカラヴァッジョの静物画になっている。

みずみずしさを失い枯れかけた葉や、腐りかけた果物が、
世の中の穢れを露骨な形で、というより、ねっとりと見せつける一枚。


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そしてこの本に納められた短編のひとつ「ふるえる手」」には、カラヴァッジョの絵に触れたくだりがある。
(とはいえ、くだんの静物画には、須賀さんは興味を示していない。)

ローマにあるサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会のカラヴァッジョの祭壇画「マッテオの召出し」を見たとき、
「たましいを揺りうごかすような作品」に出会い、「ほんものに接した」と感じる作者。

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その前後に、作家ナタリア・キンズブルグと交流する話がはさまれて、
帰国後しばらくしてから再訪したローマで再び「マッテオの召出し」を鑑賞する機会を再び得たとき、
「テーブルにのせた、醜く変形した男の両手だけが克明に描かれ」ていることに気がつく。

マッテオがキリストに召しだされるその瞬間を劇的に描いたこの一枚の中で、
いわば端々にあたる一部分に大きく心を動かされる。

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この絵に向き合ったときだけでない。
ヴェネツィアのトルチェッロ島の小さな教会の天井画マリア様になぐさめられ、
シエナにあるグイドリッチョの群青色に惹かれるときも、須賀さんを引きつけるものは、
どこかメインパートというより、マージナルだったり地味だったりするものが多い。

芸術作品の裏に潜む思いがけないひそやかなものに共鳴する大胆な感性にはいつも驚かされる。

イタリアで大きな人生の転換期を迎え、
敏感になった心の襞が、そうした芸術品の中の奥深いところと響きあう、
そんな情景が須賀さんの本には随所に出てくる。


須賀さんの目を通したぎこちない「手」には、
カラヴァッジョ本人の罪深い手が重なるだけでなく、
病に冒され紅茶を入れるにも不自由で
思わずテーブルにこぼしてしまったキンズブルグのぎこちない手が二重写しになっている。

描かれた手が、その絵を初めて鑑賞した時の光景を呼びさまし、その記憶が絵の中の対象物に重なりあう。

芸術との対話という意味で、須賀さんの場合はいつもユニーク。

そして一旦惹かれたら、それをとことん追求する。
例えば、ヴェネツィアのコッレール美術館で見た
コルティジャーネ=高級娼婦(かどうか解釈が分かれる)の絵のときもそう。

芸術をどこか一段高い所に据える見方でなく、
偉大な画家でも生身の人間としてとらえつつ、
対等な関係を作り上げている。

強い意志で生きてきた人の自信が滲んでいるような。
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2011.06.01 Wed | Books| 0 track backs,
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