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20ミリSv(シーベルト)の妥当性
小中学校の屋外活動を制限する限界放射線量が年間20ミリシーベルトに引き上げられ、
小佐古敏荘氏が、これに抗議するかたちで内閣官房参与の職を降りた件。


この20ミリシーベルトという数値には、2つの側面があると思う。

・ 一つは純粋に科学的に人体への影響を考慮したときの数値。

この場合、20ミリSvという数字は、法外な数字とは言えないし、
例えばCTスキャンを年3回受ければ同等になる。
鉱山の近くに住んでいて、飛行機に年何回も搭乗し、CTを1回でも受ければ、そんなレベルに到達する。

つまり、ある環境や状況下においては、普通に日常生活をしていて、そのレベルに到達することもあり得る。
なので、今回の政府判断が、著しく常軌を逸していたということは決してない。

でも、この件は、科学的な割り切りだけでは片付かない、そこに問題があると思う。


ここで、この数字のもうひとつの意味を考えてみることにする。

・ つまり、心情的な側面

例えば、今回福島原発で作業をしているような状況とかでなく、
普通に発電所周りの輸送や原子力廃棄物関連の仕事などを行っている原子力作業従事者を例に取る。

彼らは、放射線管理手帳、いわゆる放管手帳を所持して、年間の被ばく量を記録している。

そういう人たちが原発関連の仕事に従事した際の1年間の累積数値を確認した場合、
せいぜいコンマ幾らかのマイクロシーベルト(ミリにも達しない)程度、という人が大半ではないかと思う。
原発周辺は、低線量、というのが売りなのだから。

しかし、そうした原子力作業従事者が、あるとき、年間の被ばく量を確認してみたら、
20ミリシーベルトに達していたとする。

正直、いや~な気分になるはずだ。
いくらそれが許容量だとしても、いくらその人が原子力のスペシャリストだったとしても、
通常の原発地基地内でのルーティンな作業であれば、
そんな数値にはならないから。


影響はないけれど、それでもカウンターが上がるのを見ると、玄人ですら、いい気持ちはしない、
それが、20ミリシーベルトという数字の意味なのだと思う。


だから、人体への影響は大丈夫なのだ、と上から一方的に決めつけることへの反発は
あってしかるべきだろう。

子供たちは原子力従事者ではない。
自ら志願して資格を取った人たちではない。
こどもはこども。

無論、外で一切遊ぶな、とか、圏外に出ろ、とか言う選択と、
あるいは
20ミリSvという規定値を飲んでもらうという選択の2つしかないような今回の場合、
最終的にはこれ(20ミリSv)しか選択肢はないのかもしれない。
外で遊べないストレスとて、度外視できないだろうから。


ただ、子供たちにそういう数値を押し付けねばならないかような状況では、
一方的な上から下への押さえけのような威圧感を与えることなく、
もっと住民の人たちへの感情を考慮して、
慎重に討議を重ね、根回しして、説明する配慮は不可欠だろう。

20ミリシーベルト、この数字は、心情的にはやはり抵抗感が少なからざるある数値なのだから。
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2011.05.01 Sun | Society| 0 track backs,
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