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日常風景 * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
ポルトガル/リスボン お勧めの観光地 ① サン・ロケ教会 Igreja São Roque その1
リスボン回想:

「サン・ロケ教会が素晴らしかったよ」
国際会議の合間に出掛けてきたという日本人の研究者2人からそう言われ、
昼休みに一目散で行ってきた。

感想は?と問われれば、一言、「無理してでも行ってよかった」。

なぜこの教会を私は今まで見逃していたのだろうと考えて、
やっぱり「地球の歩き方」の影響だろうと思う。

「地球の・・」の評価は「★★」。3つ星ではない。

どういった記載がされているかというと、
外見の割に中は豪華、メノウの礼拝堂が素晴らしい、天正遣欧使節の少年達が宿泊した場所、、
といった程度の情報はあるけれど、ただそれだけ。
余りそそられる内容でもない。

が、今回行ってみて、うーん、この記事はUnder-ratedだ、と思った。
つまり実物は評価以上と。

そしてこの場所には、本には掲載されていない大きな目玉があった。
入って左奥にひっそりと隠れているSacristy 聖具室。


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付属美術館でもらったパンフレットによると、この場所は17世紀に建立。
聖具を入れるためのものだろう、大きな引き出しのついたチェストがあり、
材質は、シダとシタン材。象牙がはめ込まれている。

チェストの上は、3段に絵画が飾られているのだが、注目は一番下。
右周りにフランシスコ・ザビエルの生涯が20枚の油絵で描かれている。

17世紀のポルトガルの画家アンドレ・レイノーソ。
同国初のバロックの画家なのだとか。

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キリスト教流布に果たした功績が讃えられ、死後 ザビエルは聖人化(canonization)されることになった。
その際(1619年)に、これら一連の絵画作品がこの場所に安置されたそうだ。


彼が日本に上陸したのは、1506-1552年のその生涯のうち、後年のこと。
絵画の順番でいうと15番目から18番目が日本がらみになっている。

まず15番目の絵。
「ザビエル、鹿児島経由日本入りする」

P1940269.jpg

16番目。
「ザビエル、山口の宮廷にて、大名に説教をする」

お侍たちの絵が、和洋折衷なのが面白い。
レイノーソは、想像でこれを描いたのだろう。
靴や服装の見本は中国の宮廷の様子だろうか。
しかし一番右手のお侍は、チョンマゲらしきものを結っていて、なかなかいい線いっている。

P1940275.jpg

17番目。
「ザビエル、日本で病気の女性を癒す」
となるとキリストの奇跡に重なるものがある。

宣教師も師匠同様ミラクルメーカーでなければならないらしい。

日本人女性は、なんだかマリア様を彷彿とさせる。
これまた和というより洋っぽい雰囲気だ。

P1940271.jpg

18番目
「ザビエル、日本から中国へ、嵐の航海」
ザビエルは、日本のあと、マカオ西方の上川島に上陸したと伝え聞く。

悪天候の中、船の帆は張り裂け、ドラマチックな作品。
風や波のうねりが、なかなかうまく表現されている。

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19番目。「ザビエル、上川島に死す」
木の根元で居眠りしているようにも見えるけれど、天使が手招きして、彼は静かにあの世へと。

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最後の1枚。
「ゴアの聖ポール寺院にて、ザビエルの遺体を受け取る」

明るい色調。
嘆き悲しむというよりは、天国に召された者の幸福感がにじみ出ている。

まあ、舞台稽古のようなオーバーアクションと言えなくもないが。


P1940274.jpg

なにはともあれ、予期せぬ場所でザビエルの日本探訪の足跡に出会い、
改めてポルトガルと日本の結びつきを再認識した次第。


天正少年使節団は1584年8月10日リスボンに着き、この場所で迎えられた。

須賀敦子さんが1950年代に渡欧したことですら驚きに値するというのに、
インターネットも、ガイドブックもない16世紀に異国を訪れた少年たちは
一体どんな感想を持ったのだろう。

426年前に日本人が足を踏み入れたという由緒正しき教会。
ザビエルの絵のある聖具室のみならず、内部に8つある礼拝堂も素晴らしい。

でも、ガイドブックでは2つ星。ちょっと侮っていやしないか。
いやいや、それでいいのかも。
とっておきの穴場として、そっとしておくのも悪くない。
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2010.10.17 Sun | Travel-Portugal| 0 track backs,
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