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日常風景 * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
フィニヨンとチェマの話 続々報
昨日のエントリーの続き。
往年の名選手とレース帯同中のマッサージャー。ロードレース界で相次いで亡くなった人が出た話。

フィニヨンは「お香典は辞退」なのだとか。



マッサージャーのチェマさんの突然の悲報。
覚悟が出来ていてさえ、親しい方との別れは辛いもの。
心中お察しいたします。

デビッド・ミラーがCNに追悼文を寄せていて、ちょっと驚きました。
なんとなく気難しそうなイメージがあったもので。
http://www.cyclingnews.com/features/txema-gonalez-a-tribute-from-david-millar

ミラーにとって、彼は単にマッサージャーという存在以上のものだったのですね。

そしてフィニョン。
ご遺族はお花の代わりに病院への寄付を望んだとのこと。
日本でいえば「お香典はご辞退申し上げます」でしょうか。

http://www.cyclingnews.com/news/fignon-laid-to-rest-in-paris-cemetery

(Iさんから)




チェマの話でいえば、ミラーの証言でもあるように普段は温和な気配りの人で、仕事をうまくこなす人だったけれど、人の評価は結構辛口だった。

同郷のベロキやガルデアノのことは結構辛辣に批判していたし。
でも仕事ではそういうのを出さずに、業務を淡々とこなしていた。
プロだったと思う。


翌日朝刊はどこも1面にフィニョンの姿が、朝のTELEMATIN(ニュースショー)の
新聞紹介はその話題のみでした。
フランス人ツール勝者では一番若い上、ずっとメディアの第一線に居たから
想像以上にインパクトがあったようです。

(塩鮭さんから)



当時を知らない私ですら、その存在感を感じていたし。



僕の様な年寄りにはフィニョンは忘れられない大スターです。

同時代にイノーやレモンというライバルもいましたが、僕はフィニョン派でした。

イノーの様な強面でも、レモンの様な異分子(当時の自転車界にとって)でもなく、何となく孤高の雰囲気とスポーツマンには見えない風貌が好きでした。

もちろん89年のツールは忘れられませんが、ゲータレード移籍後の気迫あふれる走りも印象的でした。



これくらいの選手になるといくらでも資料はあると思いますが、今日は秘蔵?の写真をお送りします。

といってもこれ、実は1994年のCONTAX STというカメラのカタログにあったものです。

当時僕は綺麗な写真の沢山出ているこういうカタログが好きで集めていたところ、たまたまこの写真に出くわしたという訳です。

左から3人目、ゲータレードのジャージがフィニョン、中央奥にマイヨジョーヌのインデュラインが見えます。

他の選手は良く判りませんが、懐かしいジャージが一杯です。

シャンゼリゼ周回中の写真だと思いますが、TULIP COMPUTERの薄緑のジャージがあるところから、1992年の様です。



今のファンが今の選手だけを見がちなのは、ある意味当然なのでしょうけど、その中からその競技の歴史やそれを支える文化などを掘り下げる人が出てきてほしいと、確かに思います。

でも、高校で世界史が不人気だとか、若い人が巣ごもり傾向だ、などのニュースを聞くと、ちょっと期待薄かな、と寂しい気持ちになりますね

1992_FIGNON_2[1]

(SSさんから)



フィニヨン、写真の先頭のほうに見える。
インドクラインはイエロージャージですね。
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2010.09.06 Mon | Cyclde Road Race| 0 track backs,
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