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レース界は訃報続き、とペールラシェーズのお墓
追記)

ちなみに下記で最初に書いたフィニヨンだが、ペールラシェーズの墓地に眠ったそうだ。

有名人の宝庫といわれるこの墓地を、私はまだ訪れたことがない。
いつかパリに行ったら、行ってこよう。

とはいえ写真で見る限り、マルコ・パンターニのお墓は群を抜いて豪華だった。
なにより愛情でむせかえっていた。

霊廟のてっぺんの十字架は車輪の形になっている。


P1670111.jpg




ロードレース界で、相次いで2人の人が亡くなった。

ひとりは89年、ツール・ド・フランスで、グレッグ・レモンと世紀の大接戦を繰り広げたローラン・フィニヨン。
癌が体中に転移していて、余命はカウントダウンに入っていた。

本人はドーピングとの関係を疑っていたけれど、野菜を一切食べない主義だったそうだ。50歳、若すぎる死だ。


しかし、もうひとりはもっと若い。43歳のチームマッサージャーのチェマ。

しかも、フィニョンのように闘病中だったわけでもなく、突然死。
バクテリアによる感染症というが、瞬く間に亡くなるほど強い感染力のあるものが、レースの場に存在していることが怖い。

スペインのレース ブエルタ・ア・エスパーニャに帯同していて、急に腹部に痛みを覚え、そのままチームから離脱して病院へ。

木曜に容態が悪化して帰らぬ人となった。

選手たちをも襲った滞在先のホテルで発生したとみられる食中毒との因果関係はわからないようだが、原因は食物経由、と言われている。


最初に知り合ったのはバスクのチーム エウスカルテルと同じ宿になったとき。
その後春先のクラシックで再会し、チームバスを案内してもらったり。

07年に再度会ったときには、バスクチームを離脱し、サウニエルというスペインのライバルチームに移っていた。
驚いて、移籍の理由を聞いたら、
「バスク単一チームには飽きた。もっと広い世界を見たかった。今は移籍して大満足」と。

サウニエルはスペインチームといいつつ、イタリア人やその他ヨーロッパ人も数多く在籍していた。

新しい職場で嬉々としている感じだった。

今年はさらにインターナショナルなチームスカイに移籍。
一流のイギリスチームで、ステップアップといった感じだった。


同僚で大親友のオスカルというマッサージャーは、チェマと一緒いスカイに一緒に移籍したのかどうかわからないけれど、相当な打撃を受けているはずだ。

レースの場で、しかも突然死。もしホテルの食事のせいであれば、ほかの選手たちだって犠牲になった可能性もある。

去年バッレリーニ イタリア代表監督がオートレースの事故で亡くなったことがあったけれど、あんなふうに、リスクの高い乗り物に同乗していた、といった状況ではない。
普通にレースに帯同して、それで亡くなった。


衝撃は大きく、ブエルタからチームごと撤退したのもわかる。
精神的に続けるのは厳しい。


食中毒でリタイアした選手フレチャは、昨日のレース前に会場にきて黙とうをささげていた。


次の週末から開始となるブリテン一周に、スカイは出場するのだろうか。
現地にいって、この目で確かめてくる。
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2010.09.05 Sun | Cyclde Road Race| 0 track backs,
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