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日常風景 * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
ダンテのお墓はラヴェンナにあった
9月、ボローニャ往復航空券がとれたので、パンターニゆかりの地リミニ、チェゼナティコを訪れ、その後アッシジまで足をのばすことを決めた。

さて、そのほかどこをまわろう、、、と考えて、イタリア政府観光局に、ボローニャから近いお勧めの場所はありますか?と聞いたところ、「ラヴェンナ」という答えが返ってきた。

今では観光局の人に大感謝だ。その一声がなければ、らヴェンナなど、余り馴染みがなく、訪問することは思いつかなかったと思う。

ラヴェンナは地球の歩き方の詳細版には載っていない。「イタリア」という一冊に大雑把に収められているだけ。
余り情報を持たぬまま、ただ現地の共通券でカバーされるモザイクの宝庫4か所はとにかくすごそうだということで行ってきた。

観光局で頂いた地図を便りに歩いていたら、ダンテの墓なる場所が目に留まった。
ダンテとラヴェンナ?結びつかないが、とにかく行ってみよう。

というわけで地図を頼りに行きあたったのがこちら。

P1670684.jpg

1944年3月23日から1945年12月19日までダンテのお骨がこの下におさめられていたといったようなことが書かれている。

ちなみにこの碑にあるLe Ossaは、「骨」の複数形。単数形だとIl osso。ちょっと紛らわしい活用だ。
腕を表すbraccioも、複数形で女性形みたいに braccia となる。


英語で骨はBoneだが、フランス語では=Os。
ギリシア語で骨を表すosteonがラテン語でOsに変形してできた単語。

でも、英語でもOsというのが骨の意味で用いられている。
osteopath 整骨医がその1例。

P1670685b.jpg

こちら↓にはダンテの名前。

どうやらダンテはフィレンツェを脱出しラヴェンナに住みついたあと、「神曲」を発表。
その後ラヴェンナで客死したという。

そこで彼の遺骨をめぐってラヴェンナとフィレンツェの間で争奪合戦が展開。
ラヴェンナが頑として譲らず、一時はこんな葉っぱの生い茂る場所に隠されていたらしい。
この争奪戦は、最終的にラヴェンナに軍配があがったらしい。

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P1670686.jpg

こちらが霊廟。

P1670682.jpg

内部

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2009.12.01 Tue | Travel-Italy| 0 track backs,
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