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日常風景 * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
豊さは必ずしも幸いするとは限らない
去年ブリヂストン美術館の「カイユボット展」を見て感じたことなのだけれど、
画家にとって、物質的に豊かであることは、必ずしも幸いとはいえないのではないか。

生活のために絵を描く必要がなかったカイユボットの絵は、どことなくあっさりしているというか
情念や執念は感じられず、やや道楽画のような気配があった。

無欲で素直な筆さばきであると同時に、強烈に訴えかけるものがない。

弁護士の資格をとりつつ、生涯定職にはつかなかったが、親からの莫大な遺産で
不自由するどころか、あちこちの別荘で気ままに絵を描いたカイユボット。

同僚の画家の絵を購入したり、モネの家賃を肩代わりするなど、支援は惜しまなかった一方、
ゴーギャンからの攻撃などで画壇から疎遠となり、肖像画といえば、身内ばかり。

数々の絵を見るほどに、伝わってくる、内向きの姿勢。
写真家の弟を信頼し、同じ肌合いのグループ内で、穏やかに暮らすことを信条としていたように思われてならない。

ゴッホのように貧困のうちに命果てるわけでなく、
パリの一等地のアパルトマンに暮らし、物質的にはこれ以上ないほど恵まれていた。

でも、ある意味画家としては気の毒だ。
渇望感の欠乏という意味で。


こんな思いを新たにしたのは、昨日泉屋博古館で聞いたアーティストトーク。
「ちょっとパリまで、ず~っとパリで」展に出品されている斎藤豊作の絵を前に、
洋画家の久野和洋氏が語っていた。
まるで同じことを。

「満たされることは必ずしもよくない」と。

斎藤豊作という画家は、資産家のフランス人令嬢と結婚し、城を購入し悠々自適の生活。
その頃から、創作をすることはなくなったという。

原色をつかった大胆な作品「秋の色」の頃はまだ、画家としての野心に満ちていた印象だ。
モーリス・ドニのようなナビ派の画風を彷彿とさせ、革新的な筆遣いを模索した様がうかがえる。
留学中に体感したであろうヨーロッパの澄んで乾いた空気をキャンバスにのせている。

それがいつのまにかしりつぼみになってしまった状況を、久野氏は、そんな言葉で残念がった。


他にも含蓄に富む話が多々あったが、中でも印象的だったのはギャラリートークの最後に語った言葉:
「絵は全て自画像である。描かれた内容はたとえ風景がであっても自分の分身であり、生き方の結晶である。」


本ギャラリートークの内容の全般は、こちらに記しました。
→ http://masciclismo.blog.fc2.com/blog-date-20140420.html


*** 展覧会情報 ***

公式サイト:http://www.sen-oku.or.jp/tokyo/program/index.html
場所=泉屋博古館
特別展「住友グループの企業文化力II ちょっとパリまで、ず~っとパリで ―渡欧日本人画家たちの逸品」
日程=平成26年3月15日(土)~5月11日(日)  ※この後京都へ巡回
休館日=月曜日、5月7日(水) *但し5月5日は開館
2014.04.20 Sun | Art| 0 track backs,
「ちょっとパリまで、ず~っとパリで」 2014年3/15-5/11 @泉屋博古館
泉屋博古館における「ちょっとパリまで、ず~っとパリで」展において、
久野和洋氏(洋画家・元武蔵野美術大学教授)のアーティストトークを拝聴してきた。
内容以下のとおり :
 

かつて自分(久野氏)は、欧州留学を果たした。
シベリア鉄道でヘルシンキを経てヨーロッパへ。飛行機でなく船を選んだのは、距離を体感したかったから。
但し帰りは飛行機。パリから買うと安かった。
格安のせいか、オルリー空港を出たあと、飛行機が火を噴いた。空港へ戻り消防車がきて助かった。死ぬときは死ぬと実感。

自分よりもっと以前に渡欧した人たちは船で40日かかって行った時代。更に前例に乏しく手探りで学び、真剣味が違う。

久野氏自身は14世紀の画家が好きでジョットやドゥッチョの模写を続けた。
(この名前が出てきて嬉しかった。特にジョットは私の大好きな画家。)

思う存分それを行ったことが、あとあと糧になった。

かつては野球にいそしみ、キャッチャーだった。運動神経=スポーツと芸術には相関関係ある、というのが氏の考え。
集中力などパワーが必要なときに生かされる。
小磯良平はラガーマンで、リコーのラグビー部を創設。
佐伯祐三は、野球部で3番。甲子園に出てもおかしくないほどの腕だった。
(びっくりだ!)

かつて自分は変人だったと思う。学校時代も教師が自分を避けていたほど。

(以下、展示作品をいくつかピックアップしつつ、学芸員の人とともに紡がれた言葉)

●黒田清輝
行政官として偉大だが、彼への評価は好みが分かれる。
「庭園」の絵は土の色などさりげない題材、仰々しくない。

●浅井忠
久野氏の好きな画家。浅井はイタリアから招聘されたフォンタネージに師事。
フォンタネージは暗い絵が多く、それに影響を受けた画家も数少なくなかった。
浅井は東京美術学校を2年でやめて関西へ。安井曽太郎、梅原隆三郎を育てた。

●斎藤豊作
2回渡仏。2度目はそのまま現地に居つき、フランスで亡くなった。
資産家と結婚し、城で優雅に暮らし、絵を描かなくなった。
満たされることは必ずしもよくない。
フランスと日本では画風が違う。空気のせいか(日本のような湿気があるかないかの違いで絵の透明度が違う、と私は思う。)

●鹿子木孟郎
住友の援助のもと渡欧。数枚絵を買ってくれと住友から渡された金は、絵描きに使い込んだ。
かわりに模写をいっぱいしたのでいいだろう、と開き直るおおらかさ。
アングルの模写などを通じ、水表現に苦心。模写により技術磨いた。
模写でもそれは自ずと原画とは別物になり、原画と並べるのは酷というもの。
「ノルマンディーの浜」は大きな作品だが、はがさず額ごと輸送してきた。立派な額。
現地で賞を獲った作品。

●藤島武二
パリ・ボザールで習った。迷いのない筆=黒衣の婦人(ブリヂストン美術館の対になる作品)

●北村四海
100㎏の大理石彫刻。ロダンの影響。
美術館側としては重すぎて設置に困る。
ブロンズが好まれたのはその辺の理由故だろう。

●藤田嗣治
「Y婦人の肖像」は、ルーブルのダヴィド作「レカミエ夫人」の構図の真似。

描かれた猫のニュアンス=野獣性と家畜性

●坂本繁二郎
権威に媚びず、コローが好きだった。人間性をじわじわと感じる。
「二馬壁画」=心を込めた筆遣い。住友の麻布別邸の壁に据えられた。いまは額装。
久野氏の大好きな画家


最後に:
「絵は全て自画像。自分の分身であり、生き方の結晶である。」

***

公式サイト:http://www.sen-oku.or.jp/tokyo/program/index.html
場所=泉屋博古館
特別展「住友グループの企業文化力II ちょっとパリまで、ず~っとパリで ―渡欧日本人画家たちの逸品」
日程=平成26年3月15日(土)~5月11日(日)  ※この後京都へ巡回
休館日=月曜日、5月7日(水) *但し5月5日は開館
主催=(公財)泉屋博古館、日本経済新聞社
住友グループ各社が長きにわたり収集した様々な絵画作品の第2回特別公開展。
19世紀末から20世紀前半期にパリに留学した黒田清輝や藤鳥武二、あるいはパリに居続け異邦人画家として活躍した藤田嗣治(レオナール・フジタ)などの知られざる逸品を紹介します。
2014.04.20 Sun | Art| 0 track backs,
「日仏翻訳交流の過去・現在・未来」
日仏会館の掲題レクチャーを聞きに行ってきた。


● フランス語で「もののあはれ」はどう訳す?

日本の古典翻訳に造詣が深いパリ大のダニエル・ストリューヴ氏が、
「(源氏物語の)ものの”あはれ”は、フランス語でどのように訳すのか?」という質問への答えに窮していた。
結局、pitié(憐れみ)では言い表せないし、フランス語には同等の言葉はない、訳は難しい、というのが回答だった。

日本人の目からいうと、「attendrissant」=ほろりとくる、などなかなか近い言葉じゃないかと思うのだけど、どうだろう。


● 荻野アンナさんの言葉:

ラブレーの研究者であるアンナ先生。
そのラブレー、フランス語で一番長い動詞を編み出したそうなのだが、
なんとも摩訶不思議な長ーい単語だった。(アンナ先生が当該単語を口頭で披露した)。

どうやら擬態語・擬声語で構成されているらしく、その和訳に挑戦された2人の訳者の和文を比較されていた。
最初の訳者が基礎を作り、続く訳者がそれを最適化したような格好。
Connotation、いわゆる含蓄を擬声語の中にさりげなく入れる手法には舌を巻いた。

また、翻訳は二次元でなく、立体・三次元・空間の広がりがあることを本日のレクチャーを通して感じたとも語っていた。

Traduire(翻訳する)は、Trahir(裏切る)であり、原文そのまま反映されることはなく、裏切りつつ発見する、それが翻訳である、との感想も。

ああ、でもアンナ先生、今日はお得意のダジャレはなかったなぁ。


● 新しいモリエールの切り口

モリエール全集翻訳を手がけられた青山伸子先生(青山学院大学 文学部 教授)のお話が聞きごたえがあった。

モリエールの喜劇は、幕間劇により深みをもたされている、との新解釈から、
これまで軽視され、顧みられなかった寸劇の訳を精力的に全集に盛り込んだそうだ。

ちょっとした幕間劇が、物語が織りなすドラマにスパイスを与える役割をしているという説。
我々の人生と似ているかもしれない。

日常のほんの些細な一コマが、日々の生活に彩りを添えているのを感じることはあるから。
2014.04.20 Sun | Language| 0 track backs,
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