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日常風景 * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
森本草介氏の展覧会
最近三越本店のギャラリーがなかなかいい美術展をやっているので、
毎回行くようにしている。

今回は、ホキ美術館から貸し出された森本草介氏の作品展示

どんな画風の画家かも知らず、ただ写実主義といったウワサを聞いて足を運んだのだが、
写実の中に幻想がある独特の世界を築いた人だった。


驚くべきは、ほつれ髪、青白い血管が浮き出る様子、ネックレスの金具部分など、
実物のような細密さ。

その一方で、静謐なその佇まいには現実の生活感はなく、
画家の理想郷のようであり。

モノクロームではないもののフィルターを通したセピアのような抑えめの色彩のせいだろう。

風景画についても、絵ハガキのようなリアルな描写でありながら、
どこか一歩引いたような視線を感じる。


今回の絵を見ていて、ふと、現代の画家たちの立ち位置が気になった。

ルネッサンスのヒューマニズム、古典主義、印象派、キュビズム、フォービズム、シュールレアリスム、抽象画など、
さまざまな潮流に乗って描いてきた画家たちは、ある意味制約の中で逆説的に自由な筆を披露できた。


でも今は時代を映すスタイルが見当たらない。
最適な表現法を見出すべく、ひとりひとりが過去と違う方向を闇の中で模索しているような印象がある。


例の偽ベートーベン事件で多数の人から参照されていたブログ(森下唯さんのオフィシャルサイト)が、的をついている。

http://www.morishitayui.jp/samuragochi-niigaki/

(能力ある作曲家は)使い古された書法も聞き飽きた調性の世界もつまらない。面白いものを、自分だけの新しい音楽を書きたい。そういうわけだから、自分の作品として、あえて過去の語法に則ったスタイルの音楽を書く人間は、現代にはまずいない。


その点、ゴーストライターとなった新垣隆氏は、発注書に従って、作曲技法にのっとり、
自己を主張しようあがくことなく、素直に技法にのっとって書いたからこそ、奇跡的な名曲ができた、という意見。


なるほど、と思った。
現代では、過去に試みられてきたことは、その効果がわかりきったこと=陳腐とみなされ、
己の味を出そうとするせいで、素直な表現方法が選択されにくくなっている。

無限に広がる自由な表現方法から、なにか自分のものを見出そうとみな躍起になる。
けれど、古典的な約束事という制約を課して創造される作品にしかない奥深さもある。

絵画の世界も同じではあるまいか。
自由がいきすぎたものに、何の訴えも感じないことがある。

いえ、文学の世界でも。
須賀敦子さんと建築家・陣内秀信さんの対談の中にこんなくだりがあったと記憶する。
現代の文学や建築は、自由闊達過ぎる、かつてのように規則に縛られた中でこそ
いいものが生まれる。

古典回帰の時代は、いの日にかやってくるのだろうか?

***


さてこちら、SASさんの展覧会感想記:


Email from SASさん

土日、大雪の中、三越とヒルズに行き、なかなかに濃い時間を過ごしてきました。

ちょっと意外だったのですが、森本氏だけでなく、ラファエル前派も写実の仲間だという事で、
同じ写実でもこうも違うものかというのが最大の収穫。

森本氏の写実は、
対象の持つ様々な成分を可能な限り濾過して、エッセンスだけを抽出した、そんな感じ。
飲み物に例えるなら、純水。

一方のラファエル前派は全く逆で、
風景画なら木の幹の中を流れる樹液、人物画なら血や感情までも表現している様です。
例えるなら、フルボディの赤、いや、どぶろく?

本質をそのまま描こうとしている意図はどちらにも共通に感じられますが、
その「本質」の捕らえ方が全く逆ですね。

流派が違うといえばそれまでなんですが、
ちょっと思ったのは、森本氏の写実は、西洋の画家には未だかつてなかった流派なのでは?という事。
そう考えると、森本氏は現代日本の「何か」を象徴しているのか?
考えすぎですかねぇ。

見終わって、森本氏にジャングル(それも雨季ね)を、ロセッティに砂漠を描かせたら面白そうだな、と思いました。

2014.02.16 Sun | Art| 0 track backs,
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