日常風景 * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
山種美術館 / ブロガー内覧会 『竹内栖鳳―京都画壇の画家たち展』
■ その2 : 小さな生き物たちと、省筆という概念

先日参加した【青い日記帳×山種美術館 ブロガー内覧会 『竹内栖鳳―京都画壇の画家たち展』(@山種美術館)】続き。

☆ 写真は内覧会にて特別に許可されて撮影したものです。

今回の展覧会は竹内栖鳳―京都画壇の画家たち、と銘打っているとおり、栖鳳以外にも、円山応挙から派生している画家たちなどの絵も展示されていた。

そのうちの何枚かの絵においては、小動物たち様子が微笑ましく、そうしたものたちへの画人たちの温かい眼差しに、思わず心がなごむ。

例えばこの掛け軸。
右隅に緑色の小さな物体が。

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秋の虫。

さらっとした筆遣いでこの表現力。

先週末行った三の丸尚蔵で読んだ、竹内栖鳳作「雨霽」の絵の解説を思い出す。
彼のデッサン力はズバ抜けていたけれど、それをさらにつきつめて、省筆で表現を極めた人だった、そんな内容だった。

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こちらの絵のタイトル:

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そして浮世絵を髣髴とさせるこの一枚で見つけた小さな昆虫。
見返り美人的構図の視線の先にあるのは・・(左下)。

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蛍なのだそう。

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絵のタイトルからも明らか。
上品なタッチは上村松園。
真夏の様子の中にも涼やかな空気が漂っている。

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さらに、清い水の流れの只中(丁度絵の中央)に、なにやら染みのようなもの。

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こちらは鳥。
急流に沿うように、飛翔するかのように水面をいく。
動きのある作品。

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山元春拳の作品だった。

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画面の中のちいちゃな生き物たちが、それぞれの絵野中でアクセントとなり。

大きな画面の中に愛らしいそれらの生物を見つけたときは、なんだか得した気分になる。
そしてそれを描いた画家たちに、ある種のお茶目さを感じてしまう。
描いた本人たちは真剣そのものだったかもしれないけれど。
2012.10.31 Wed | Art| 0 track backs,
三の丸尚蔵館 「描き継ぐ日本美-円山派の伝統と発展」
昨日、日経新聞に、秋篠宮ご夫妻が三の丸尚蔵館の円山派の絵画を鑑賞されたという話が掲載されていた。
丁度 「描き継ぐ日本美-円山派の伝統と発展」が開催中のだという。

関東でも円山派ブームが起こりつつあるのか、丁度山種美術館で見たばかりなので、余韻の残るうちに、ということでさっそく行ってきた。

昼前から雨になるという予報をもとに、開館と同時に行こうと思ったが、やや出遅れ、到着は9:30。
三の丸尚蔵館 はまだガラ空きのようだったが、雨が今にも降り出しそうだったので、先に庭園から眺めることに。

人影まばらな朝の東御苑。
これはお得な気分。(お得、といってもどのみち無料ではあるけれど)。
どんよりした空模様だけど、それでもすがすがしい。


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紅葉もちらほら。

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色づき始めた木々をバックに、10月寒桜も咲いている。

とはいえ、秋~冬の桜は、貧相で元気がない。
キレイな言い方をすれば、健気な感じ。

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さざんかが今は満開。

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そしてキク科の花たち。

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あ、雨が降り出した。

濡れると瓦に光沢が出て、なんとも艶かしいことに気がついた。
瓦には、雨が似合う。

あ、こんな絵、竹橋の近代美術館で見たことがある。
雨に打たれる瓦だけをクローズアップした絵。

福田 平八郎 の「雨」だ。

湿り気を帯び、生気を取り戻すかのような瓦の様子に見せられたひとりなのだろう。


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さて、雨も降り出したことだし丁度いい、屋内に駆け込み、ゆっくりと三の丸尚蔵館を鑑賞だ、、と思いきや、どっと込みだした。

やはり朝早いほうが空いていた模様。

ひっきりなしに団体が来る。
しかし、そういう団体に限って滞留時間が極端に短い。

グループにいる人の数と滞在時間は反比例するようだ。

鑑賞する気がないなら、入館しなくてもいいのでは?と思ってしまうほど、一瞥を投げかけることもなく絵の前を素通りしていく団体も。


展示の絵は、用度課所管の1点を除き、すべて三の丸尚蔵館 所蔵のものばかり。

川端玉章の作品は皇室向きだったのか、数が多い。

竹内栖鳳のものも1点あった。
残念ながら、前期を逃しているので、彼の「和暖」という鹿の絵は見損なう。

川端玉章と村瀬玉田コラボの画帖があったのだが、前者の多才さには目を見張った。
動的な武士の絵などは軽妙にいきいきと、雉の絵などは、力強い筆さばきで重厚感漂うように。
見事に描き分けられている。


出口のところに円山応挙から竹内栖鳳まで、ツリー型の分派の様子が書かれていたけれど、温厚な人柄もあり応挙は大勢の門下生を抱えていたようで、そこから派生して、質・量ともにすごい画人を生み出している。

竹内栖鳳までたどり着くのは、かなり先だ。
2012.10.28 Sun | Art| 0 track backs,
FC東京 vs 札幌コンサドーレ
前半17分、チャン ヒョンス選手のゴール。
前半はこの1点のみだったものの、後半4点をたたき出し、今差ドールの気勢をすっかりそいだ。

左の背を向けかけているのが蹴ったチャン ヒョンス。
ボールはネット向かって右端を揺らしている。

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試合前、徳永悠平選手が200試合出場で花束。
家族も一緒に。

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月が見える。
ナイターなのだ。
17:00キックオフ。

防寒具をもっていったつもりだったが、風が時折吹いて結構冷えた。
この季節、デイゲームがいいなぁ。

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前回のジュビロ磐田に比べると、敵陣営の応援団は少なめ。
札幌からくるのはツライ。

それでも応援団は熱気むんむん。
アウェーだからこそ、のがんばりだった。

結果的に5対0で、FC東京の勝利。
必死の応援むなしく。


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正直、攻められていても安心して見ていられた。
これまで以上に相手に脅威感がなかったのだ。

2軍オチ最短記録らしいけれど札幌、FC東京も去年は2部に降格した。
1年でてこ入れして復活したわけで、
札幌も、来年しっかり修正すれば・・
2012.10.27 Sat | Sports| 0 track backs,
山種美術館 / ブロガー内覧会 『竹内栖鳳―京都画壇の画家たち展』
その1 : キーワードは落款

先週末行われた【青い日記帳×山種美術館 ブロガー内覧会 『竹内栖鳳―京都画壇の画家たち展』(@山種美術館)】。

参加費800円で、閉館後の展覧会をじっくり楽しめる。1枚の例外を除き、すべて作品は写真撮影OK。和菓子のお土産付き。そして館長の山崎妙子さんの解説付き、青い日記帳のTakさんのトーク付き、と盛りだくさん。

なにより、落ち着いてゆったりと見ることができるのが嬉しい。

まずは目玉とも言える『班猫』の絵。


この絵では、落款をわざと左上に持っていくことで、空間のバランスを保っている。

左上の落款から、右下の猫の腕にかけて斜めの動き。
その直線的な動きの中でからだを思い切りくねらせる猫の、螺旋の動きが生きている。


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この落款では、文字が上にきていて縦の配列。
文字が落款の脇にきているものもある。

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瞳の周りに金色使いが施されていると聞いたので、じろじろと猫とにらめっこ。
確かに金色のラインがかすかに入っている。

艶かしさは、この色使いのせいだろうか。
色と筆遣いで無機質な絹本の上にかくもみずみずしい生命が吹き込まれる

エメラルドグリーンの瞳に吸い込まれそう。

そして思わず撫でたくなるような毛並み。
繊細な筆さばき。

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画家がこの猫を見つけたのは旅先の沼津の八百屋の店先。
画人でもあった徽宗皇帝が描いた猫を彷彿させたといい、頼み込んで譲り受けたそうだ。
(講演会とギャラリートークで得た話。)

展覧会にはモデルになったこの猫の写真もある。
ポーズが違うので、瓜二つとはいえないけれど、誘うような怪しげな目つきを共有している。

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画家、60歳のときの作品。

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左上に落款を配した絵は他にもある。
例えばこの『緑池』。

落款で平衡感をもたせる演出は、空白・空間を生かす日本画ならでは。

画面を塗りこめる洋画なら、しっかりとした線で構図のバランスを取るところ。
例えばセザンヌの絵だったら、テーブルの端を下方に描き、画面に水平に引くことで、全体を引き締める、とか。


視線を転じれば、淡いブルーの水面に透けているカエルの優美な足。
「透ける」加減がなんとも絶妙。
水彩画のよう。


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落款クローズアップ。

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63歳の作品。

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さて、『象図』でも ー意図的か意図的でないのかは不明ながらー、見えない斜めの線の演出が見られた。

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でもこちらでは、左上に配しているのは落款ならぬ、鳥の絵。

空に羽ばたく動きを映し出し、からだが一部、切れている。

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右下には落款。
鳥から落款にかけて、見えない対角線が引かれ、六曲二双がひとまとまりになる。

左の象には猿が乗っているというお茶目っぷり。


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事前に講演会やギャラリートークで”落款”というキーワードをもらったので、それを中心にいくつか見てみた。

ちょっとしたヒントが得られると、絵画鑑賞の視点が変わり、新たな楽しみができる。
2012.10.25 Thu | Art| 0 track backs,
没後70年 竹内栖鳳 - 京都画壇の画家たち
10月13日に入れたエントリーが消滅していて、ショックな気持ちを抑えつつ、今頃思い出しながらしたためてみる:

山種美術館で開催中の竹内栖鳳展を見に行こうと思っていたら、山下裕二先生の講演会があると知り、鑑賞前に行ってきた。

タイトルは、「教科書に載らない実力派・竹内栖鳳について」。

理想的には講演会の当日、事前に展覧会を見て、講演会の後に再度鑑賞する、というのがいいのでしょうけれど、その時間がなかったため、鑑賞前での聴講となった。

出展作品がことごとくスライドになっていて、全部見てしまったらサプライズがなくなってしまう?と思ったけれど、時間の関係もありすべてを紹介したわけではなかったので逆にそれがよかった。

円山四条派というのはこれまで縁がなかったものの、なるほど、東京より当然のごとく西に所蔵が多いのだそう。
とくに京都美術館にはなかなかのコレクションがあるとのこと。
(山下氏は、所蔵はともかくも、京都博物館は老朽化している建物が残念賞である、といったことを話されていた。)

長沢芦雪の絵に関しては、「唐子遊び図」が「伝」となっている理由が明かされた。
通常芦雪の絵は筆癖があり、ひとひねりが顕著なのだが、この絵に関しては、それがないため、真贋の区別がはっきりとは、つきかねているそう。

この芦雪という人は、なにやら性格も悪かった人だといい、同門の絵師たちからも恨まれ、実際暗殺されたという説もあるとのこと。

一番力説されていたのは、若冲や大観人気の影に隠れてしまった画家たちを掘り起こし、世にアピールしていきたい、とのこと。

そんな埋もれている画家の一人として名前があがったのは、今回の展示で公開されている円山応挙。

バランス、陰影、遠近、すべてを取り入れて、次の時代への架け橋となった人。
ただし、若冲のように個性の強い画家ばかりが人気となり、埋没してしまっていると。

近々、愛知県の美術館で応挙展が大々的に開催されるらしいが、山下先生の肝いりのよう。


年末から2ヶ月に1冊のペースで発売される「小学館創業90周年記念企画 日本美術全集 全20巻は、そういった巷の「流行」にメスをいれ、今の時代の目で見た切り口が売りなのだとか。

山下先生いわく、価値観は時代とともに変化する。歴史は変わらないけれど、それを見る目は固定化してはならない、と。

そんな意図が上述の全集には色濃く反映されているらしい。
こうした美術全集は、1992年に講談社が出して以来だそうなので、比較によって20年という時代の移り変わりを、論じられている絵のラインアップや、その論じられ方の中に感じられることだろう。

そういえば、先日実家から、「La Muse」と「世界の美術館」というシリーズものの本を引き取った時のことを思い出した。
処分するけど、欲しいならあげる、ということで引き取ったのだ。

そのシリーズの発行がまさに1992年だった。しかも講談社。

つい先日この本を見ていた時のこと。
絵の解説が、既知のことばかりで、深みがなく、余り楽しめなかった。
当時の美術本って、こんなアウトラインに終始していたのか、と驚いたのだ。

インターネットの発達が顕著になった2000年の前と後では、情報の拡散速度に隔世の感があり、情報の質、量ともに2000年以前の解説本では物足りさを感じてしまう。

となればこの小学館の試みは、正解であり、タイムリーなのでは、と思う。

ついでに述べるなら、とある美術館で所蔵品解説(この日のテーマは印象派)を聞いたとき、なんら学ぶことがなく、ありきたりの情報ばかり、いわゆる”情報高速化時代=ネット台頭期2000年”以前の知識で構成されているなぁ、と感じたのだった。

わざわざ足を運ぶからには、何か目新しい知識を、と期待したのだけれど。
2012.10.22 Mon | Art| 0 track backs,
戦前、異文化に飛び込んだ日本人たち
1950年代に単身フランス、イタリアに渡って芸術を吸収してきた人たちのポテンシャルに驚嘆していたというのに、
和辻哲郎氏の「イタリア古寺巡礼」で垣間見た状況、つまり戦前の文化人たちの吸収ぶりが圧巻で、
すっかり目を丸くしてしまった。

そんな矢先、下記メッセージを頂き、そういう華やかなりし時代があったのかと再認識。
確かに戦前は、想像以上に豊かな時代があり、渡欧の後、海外文化を身につけて帰国する人たちがそこそこいた、
須賀敦子さんの父もそうだった、といったことをどこかで読んだことがあったけれど。

そして、先日の富士フィルムの昭和の写真展でも、戦前の女性のおしゃれぶりに不意を突かれたのだった。

戦争があそこまでの破壊力と文化の分断をもたらしたというのは、知っていたようで、ビジュアルで見ると改めて驚愕だ。
そして残念だなぁ、という思いに包まれる。

そんなこんなで、戦前時代の渡欧文化に興味を持っていた矢先、さらに知らない世界に遭遇しそうな予感。

(Email from mkさん)
先日のイタリア古寺巡礼の記事も興味深く拝読いたしました。

当時は、帝国大学の教授になるためには海外留学の経験が必要でしたから多くの研究者が海外、特にヨーロッパ、なかでもベルリンとパリに留学していました。

当時のイタリア紀行文については、末永航という方の『イタリア、旅する心 大正教養世代がみた都市と美術』(青弓社、2005年3月)に色々紹介されてあります。和辻哲郎氏の記事もあります。よろしかったらご参考にされてください。



ちなみに、下記にて頂いたメールにある天正少年使節団。
以前イタリアのヴィチェンツァで、彼らのことを描いた絵を見たけれど

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彼らは幼すぎて、異文化を吸収できず、病に伏す人も出たそう。
結局異国後余りそれを生かすことはできず。
だから、文献や成果を著した文献が少ないと聞く。

カルチャーショック、強すぎたのだろう。
やはり精神的にマチュアでないと難しいだろう。
今みたいに事前にネットや地球のなんとかで情報を吸い上げ、それに備えておくことができないのだから。


(email from SSさん)
和辻哲郎、興味深い本の紹介、ありがとうございます。

おっしゃる通り、ほとんど情報を持たずに異文化の中へ入っていくという経験は、
今の我々から見ると、恐ろしいけれど羨ましくもありますね。

明治時代、やたらパリに留学していた東京美術学校の画学生や、6歳でアメリカ留学した津田梅子。
もっとさかのぼれば天正少年使節団。

いったいどんな気持ちで日々を過ごしたのか、想像ができません。

2012.10.18 Thu | Books| 0 track backs,
イタリア古寺巡礼 その2 :アッシジとフィレンツェのフランチェスコ
ローマ、ナポリ、シチリア、アッシジ、フィレンツェ、ボローニャ、ラヴェンナ、パドヴァ、ヴェネツィアから構成されている和辻哲郎氏の「イタリア古寺巡礼」。

ナポリ以外は行ったことがあり、実際に見たものであふれているので文章を追うごとに、感心しきりだ、和辻氏の洞察力と、造詣の深さに。
繰り返しになるけれど、1927年に書かれたものとは思えない。

いや、今と違って情報量が少ない昔だから知識量も少なかったであろう、などという浅はかな自分の考えを恥じるべきかもしれない。
今も昔も、ものごとの価値を見分ける力をもった人はいる、ということだ。

そして改めて思う - こういう人こそが、真に芸術の都に行くに価する人なのであり、私なんぞが半端なガイドブックの知識で行った気になることが、そこはかとなく軽薄に感じられて仕方ない。

今日読んだのは、アッシジの章。
なんとあの有名なジョットの壁画をけちょんけちょんにけなしている。


「写真で想像していたよりも実物の方がよいと思ったのは二つしかない。そのひとつは、、、<聖フランチェスコ小鳥に説教する図>である。」



「そして、<ラザロの復活>の絵にいたっては、おおぜい並んでいる人物の衣が、あまり感じのよくない赤や青に塗ってあって、それがひどく感じを損なっているように思う。」

とある。

「しかしこの絵などはまだいい方なのである。ほかに二間四方もあろうと思われる大きい画面で、赤い色の使い方の実にひどいのがある。フランチェスコが手を上げて立っている絵などでは、街の中に見える塔がいくつも赤い色に塗ってある。それが非常に目障りである。」




恐らくこの絵のことだろう。(ガイドブックの絵から:右)


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悪魔たちを追い払うフランチェスコが描かれているのだが、この悪魔の様子がお茶目で笑いを誘う。
そして建物のパステル調のファンシーな色使いが現代的でハイカラだと思った。

だが、言われてみれば、この赤の色のモダンともいえる色使いが、荘厳なイメージを損なっているのは確かで、ちょっとファンシーすぎるかもしれない。
赤、というより桃色、ともいえる少々品のない色、という見方もありだろう。

ただ、”巨匠”の絵を前に、素直に見るより先に、まずすごい絵という先入観が先に来るので、これを桃色だなんて思うことに考えが至らないわけだ。

和辻氏は、写真を見たりして、下調べをばっちりしているようなのでこの絵のこともすでに知識として持った上で対峙したに違いないけれど、有名な絵、上手な絵、という先入観なしで、自分の目で見て、自分の言葉で語っている。

名声に左右されない鑑識眼、読むほどに圧倒される。

下左が、小鳥に説教するフランチェスコの絵。
突飛な色使いがなく、彼がほめている絵。
私などは、周囲の絵がカラフルなので、この絵の寒い色調が地味でさびしく思えたのだった。


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ただしその後のフィレンツェの章で、和辻氏は、ジョットの聖母子の絵を高く評価している。
特に色使いに拘って鑑賞しているのがわかる。

「。。この赤色の効果は、金色と絡み合うことによって発揮されているのであって、両者をひき放すことはできないであろう。マリアの光背やキリストの光背の金色、さらに玉座の背面の壁の金色などはいうまでもなく、マリアの衣の縁には金糸の装飾があり、玉座の敷物にも、装飾文様にも、すべて金の細い線が入り混じっている。その金色が濃朱や濃紺の色と相映発して、なかなか荘厳な感じである。」



このあとパドヴァの章もあるので、スクロヴェーニ礼拝堂のジョットの絵を、彼はどのように評価するのか、楽しみだ。


そして、ダヴィンチの絵に話は移り -

「こういう点を考えていくと、ジョットーやフラ・アンジェリコのころまでは宗教芸術であったものが、15世紀後半に至って宗教芸術でなくなってくる、という1つの転機を認めなくてはならぬ。
題材は同じものを襲用していくのであるが、しかしそれを現す人間の姿は、題材から独立したそれ自身の意義を担ってくる。ここにイタリアのルネッサンスの根本的な意義は現れているように思われる。」



ルネッサンスの絵画を目にして、言葉があふれ出てくる和辻氏。
真の芸術に圧倒されつつも、それを自分の中で受け止め、一旦自分なりに咀嚼して、外に向けて発信できる技がうらやましい。

次々と論評し、語っていく様子はすなわち感動の証であり、興奮しながら鑑賞した様子が伝わるようでもある。
2012.10.15 Mon | Art| 0 track backs,
イタリア古寺巡礼
キッカケは、先日読んだ「アルプスの谷 アルプスの村」(新田次郎著)。

富士フィルムギャラリーで開催された新田次郎が愛した山々の展覧会でこの著書のことを知り、さらにお勧めと教えてくれた人がいて、手に取った。

何のキッカケになったかというと、その昔、ヨーロッパを旅した人たちの新鮮なまなざしに惹かれるようになった、そのキッカケのこと。

新田氏が旅したのは1960年頃のはずで、地球の歩き方もネットもない時代。
事前調べをどうやったのかフシギだけれど、とにかくあちこちフットワークよく動き回る。

そこで出会ったものたち、見たものが生き生きと描かれ、やはり未知のものに対する鮮烈な印象は、既知のものをなぞったものよりも読者に感動を与える。

須賀敦子さんも、同じような時期に海外を飛び回っていた。
それを題材にした珠玉の作品に圧倒されるけれど、彼女の場合は海外のものたちを自分のところに引き寄せる力がすごくて、驚きの要素は新田氏に比べると少ない気がする。
そこに住んだ人の視点になっているから、当然であり、同化しながら書かれているので、いちいち目新しいことを書き留めるという手法でもない。

第一、帰国してかなりのときを経て、自分の中でエッセンスだけが抽出され、昇華された後に書かれた作品ばかりなのだから、やはり新鮮味という点で、”一介の”旅行者のエッセイの方がうぶなのは当たり前といえる。

というわけで、すっかり味を占めてしまった。
一介の旅行者のエッセー。しかも、うんと昔にヨーロッパに行った人の。

でも、鴎外とか漱石とかじゃなく、もっと渋いところに手をつけた。

和辻哲郎氏の「イタリア古寺巡礼」。
なんと氏がイタリアを訪れたのは1927年。戦前だ。
新田氏の時代よりもうんとさかのぼることになった。

そして思惑は当たった。

先入観のない純粋な目を通して見たヨーロッパ、ことイタリアの芸術。
美術家ではないのに、ありえない造詣の深さ。

イタリアで数々見たヴィーナスも、有名だから、といった偏見を取り払い、自分の心で見る。
そして、独自の観点で美を品定めしていく。

ヴィーナスの肉体の盛り上がりが彫刻の内から隆起している、と称え、
部屋の片隅に追いやられている彫像であっても、独自の価値を見出せば、それを最大限の賛辞をもって言葉に紡いでいく。
逆に、いくら美術館での評価が高い彫刻であろうと、単に表面だけ磨いて凹凸をつけただけのもの、と切り捨てたりもする。

彼の心眼は見抜く。
いい、悪いは自分が決める。世間の評価に左右されない信念がある。

先入観抜きの、純粋な目と心で見るからこその言葉たち。


ガイドブックとくびっぴきでいくら彫刻と対峙しても、文字先にありきの鑑賞でしかない。
心の目で見ることは難しくなる。

無垢な心で、自分の目をひたすら信頼して鑑賞することの素晴らしさ。
むろん芸術に対する膨大な予備知識なしではなし得ないころだけど。

自分の美術鑑賞のありかたが恥ずかしくなる、そんな一冊だ。


ひとつ面白いなぁと感じたのは、日本との比較が頻出すること。

イタリアで見る景色をつど日本の山や平野と比較する。
それは、「アルプスの・・」の中で信州の山との比較を何度も試みていた新田次郎氏とあい通じるものだ。


海外の景色の日本との違いと類似を、あそこまで書き立てていて、やはりとりもなおさず出会った光景を事前にビジュアルで見ることなく、いきなり実物を見たからこそのリアクションなのだろうと思う。


ここまで鮮烈な感動をつづったエッセーは、もう今後望めまい。
ネットの発達による情報過多はよいことばかりではない。

不便さと引き換えでしか、見出せない価値もある。



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2012.10.13 Sat | Books| 0 track backs,
レーピン展@Bunkamura
10/8で終了した、Bunkamuraで開催されていたレーピン展

ロシアの画家ってなじみがなく、行くつもりはなかったのだが、
陶芸をやっている友人の師匠お勧めの画家と聞いて興味を持った。

イリヤ・レーピンは、デッサン力が素晴らしいと。
会期終了間近だったけれど、土曜の遅めの時間を狙っていってみた。

画題は多岐にわたるものの、描かれているのは基本的に人間。
すごいなぁと思ったのは、それぞれの絵の中の人物が、それぞれ個性をもち、
筆ひとつで、その人の生き様までもが手に取るようにわかる、その人間観察力。

船曳きを描いた絵もインパクトがあった。
労働者の過酷な生き様が胸に迫る。

肖像画にしても、そのしぐさや描かれている細部の隅々からにじみ出る。

恐らく、その人の性格をもっともよく表す仕草をうまく抽出してキャンバスにのせているせい。

ムソルグスキー、ドストエフスキーの肖像画もあった。

当時の一級の文人たちと、軒並み交流があったことがうかがわれる。
当時のサロン、一体どんな様相だったのだろう。

ロシアの底力を断片的に垣間見ることができた。

2012.10.11 Thu | Art| 0 track backs,
ツーレ、怒りまくる、日本人の足元をみるオランダのホテルに
昨日からオランダ出張のツーレ。
例によって出発の2時間前にパッキング開始。
その間、私はジムへ。
戻ってきたら、ツーレ、興奮冷めやらぬ状態で鼻息が荒かった。

なんとなれば、突然出発間際になって、予約してもいないホテルから予約Confirmationが来たのだとか。
焦って予約した宿に電話をかけたら、丁度そのタイミングで別のメールが後追いできて、「オーバーブッキングのため、別のホテルに予約を変更させてもらいました。アップグレードです」と。

その問題すり替えアップグレード発言が、彼の心情をまた逆なでした模様。
とはいえ、「怒るのは難しい!」と本人も言っていたとおり、普段余り怒るタチじゃないので、彼的には怒ってたつもりでも、電話の向こう側にはちょろいものだったのだろう。
とにかく、たらいまわしにされて終わった模様。

もっとも、私なんて、2人の旅行の手配を毎年やっていて、こんなのはザラ。
日本人=おとなしい、だからキャンセルの対象になるのじゃないか、と勘ぐりたくなるほど、頻発する。
事後にホテル変更されるケース。

フランスでは、予約OKになったあと、ずいぶん経ってから、宿変えさせてもらうと連絡がきた。
ブッキングしてたメルキュールホテルにツールのスタッフがごっそりあとから予約を入れらしく、前から予約してた私たちがはじかれた。

その連絡は有無を言わせずで、ノーといっても、ダメだった。
しかも宿は、格下のキリヤ。
もうがっかりで大抵抗したけどだめ、

むろん値段は安くはなったけど、いやいや向かった。

結果として、余りの抵抗が功を奏したか、
最上階、バスタブ付き、コーヒーメーカー付き、いろんなギブアウェープレゼント付きだった。

へえ、キリヤでこんな隠れ部屋があるのか、と感心したのだった。


さらにツール観戦で訪れる予定のイタリアでも、せっかくよさげなホテルを予約したのに、同時に予約が入ったからと私のほうがサイドラインへ押しやられ。

なんで私なの?とやはり猛烈抵抗。
でもだめ。
聞いたことのないホテルで、HPもだめだめで、もう大ショック。
ところが到着したらHPの写真より数倍素敵なホテルで、さらにスリップストリームとCA(自転車チーム)が一緒だったというオマケ付き。

まあつまり、予約をはじかれたあとは、いつもいい思いはしている。

一回だけニースで、チェックインに早いからと荷物だけ置いてモナコでツールのチームプレゼンを見て、帰ってきたら、部屋がなくなってたことがあった。

このときはツーレが翌日から合流で私一人。
なんでも1部屋雨漏りで急遽修理することになったと。

帰りが遅かったのが仇になった。
代わりの宿はぼろ宿。

悲しいぐらい。
予約した宿と同じ値段なのに、すすけているし、侘しいことこの上なし。
せっかくニースの宿は、コスパ、クリーンさなどを厳選したというのに。

唯一の慰めは、朝食だけは、元の宿に無料で食べに来ていい、というオマケがついたこと。
それと、グラースの香水石鹸のサンプルをくれた。


まあとにかくいろいろあったわけです。
果ては、そもそも独身時代、真夏の20時のロンドンで勝手に宿キャンセルされていて、まったく代わりが見つからず、途方に暮れたこともあった。
(バカンス中の宿の息子の部屋になんとか泊めてもらえたと言う顛末)

だから今回のツーレの騒動なんて、甘ちょろい。

そもそも彼の場合は同じホテルのチェーンで、場所も代わりの宿のほうがいいし、しかも超わかりやすい場所にある。星の数も上。
というのが最初からわかってる。

普段私に予約を任せきり。
まるで他人事のように処していたことが今回の件でよくわかった。
2012.10.09 Tue | Travel-Others| 0 track backs,
大掃除第一弾終了
先日、高校時代の友人が急遽自宅に遊びに来て以来、急に大掃除意欲が掻き立てられた。

我が家は、とにかくものが外にいっぱい出すぎている、そう感じたのだ。

で、第一弾は、すっきりさせるかたちで大掃除。いっぱい捨てた。爽快だ。

クローゼットの中も整理したが、押入れ、引き出し、箪笥などの中はまだぐちゃぐちゃなので、第二弾は、それらの中もきれいに片付けることを目指す。

でも、中に収まっているものをこれ以上外に出すつもりもないので、今後の大掃除はいくらやっても、部屋の外観は変わらぬままのはず。

もちろん網戸掃除や換気扇掃除は残っているわけだけど、それはほんとの暮れにやる。

今回は結構画期的に片付けた。
それが証拠に、我が家のトレードマークともいえる、トイレギャラリー(自転車選手のポスターだらけ)を廃止。
突如、こざっぱりしたトイレが恋しくなった(!)

はがしたポスターはしかし、消毒液で拭きとり、すべて保管。

あとあと見ると、新しい発見もあるし、あの選手こんな若かったのかみたいな感慨も湧くから、捨てきれない。
でも紙はかさばらないからよいのだ。

第二弾、まずは下駄箱から開始かな。
2012.10.09 Tue | Private| 0 track backs,
お手軽ランチ: 1000円でミニデザートも(内幸町・カスピタ)
内幸町でお気に入りの店。
お昼あたりにそっち方面で用事があると嬉しい。

店名は、「カスピタ」。

1Fが、バル・カスピダ。B1Fがカスピタ

ランチメニューが微妙に違うので、どっちに入ろうか迷ってしまう。
どちらもランチメニューにはドリンク、デザートがついている。
B1Fはランチ日替わり(1000円)。パスタメニューあり。

1Fは、月~水が同じメニュー、木、金が同じメニュー。(980円)
13:30以降はパスタランチもあるみたい。
土日は休み。

でも先日1Fで食したほうれん草など野菜入りエビフライカレーが超美味だった。
カレーは中の具を週2回変えて、毎日あるみたい。

昨日はこちら。
サーモンのきのこホワイトソース。
スープ付き、パンあるいはライス付き。

ドリンクはこの日はグレープフルーツジュース。

IMG00685-20121002-1238 (1)

デザート皿には必ずデコレーションで絵が描かれている。
あわただしいランチの時間帯にすばらしい。
この日はキャラメルケーキ。

いつも込んでいる。人気の店なのだった。

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新橋界隈では目下一番のお気に入り。
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2012.10.04 Thu | Gourmet| 0 track backs,
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