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日常風景 * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
五百羅漢 幕末の絵師 狩野一信
連休中、増上寺秘蔵の仏画100幅一挙公開!という見出しに誘われて、
江戸東京博物館五百羅漢展へ。

悟りを開いた釈迦の弟子500人を描いた狩野一信の超大作。
100幅の絵の中に500人全部描き上げるその直前、47歳の生涯を閉じてしまい、
残された下絵を元に妻や弟子が最後の4幅は描き上げたそうだ。

いやはやなんとも惜しい。
他人によって描かれた作品には、絵師自身の筆によるあの踊るような活力はなく、
最後はしりつぼみ。
へたうま画のような終わり方になってしまっている。

そもそも死期を感じさせるかのように、90番目あたりからは、既に登場人物に生気がない。
それまで様々なシーンとポーズを繰り出した一信の筆も、一気に鈍くなり、
もはや人物は小さな背景と化してしまう。
遥かかなた黄泉の国に自分自身が召されていくかのように、どんどん遠のいていく。


とはいえ、中盤あたりの地獄図の迫力はすさまじく、
奈落の底に堕ちていく救い難い民衆たちと羅漢の対比に、
俗あればこその聖なのだと思った。


それぞれの羅漢の鬼気迫る形相・眼力には、それを描いていた絵師の並々ならぬ魂がこもっているようで、
彼が早世したのは余りの狂気的緻密な作業に精神が参ってしまったせい、、、
そんな話がまんざら嘘でもなかろう、と思われた。

しかもこの100幅を描くのに費やした月日はわずか10年というから驚きだ。

自由闊達なあの想像力をもってすれば、もっと優雅な屏風絵でも描いて、
名声・地位を得ることもできただろうに、
円熟期の10年、つまりほとんど絵師としての人生そのものを、五百羅漢のみで閉じてしまった。

五百羅漢は、いまではその存在すら余り知られることなく埋もれてしまっていて、
こうして江戸博物館でやっと多くの人の目に触れることができた。

もっとも鑑賞者のことなど意識せず、自分の信じるもののみをひたすら描いてきたからこそ
あれほどまでの熱狂的な大作を残すことができたのだろうけれど。


でもって博物館を出たら、激しい雨だった。
傘が全く役に立たぬほど、ずぶぬれ。


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2011.05.07 Sat | Art| 0 track backs,
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