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日常風景 * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
方丈記の中の地震と、点と線

「火災が起こったからといって、地震は起こりません」と、
評論家の清水幾太郎氏が地震の恐ろしさを書いていた・・・
地震は、いわば「災害複合体」である。それに大地がゆれる不気味さは、
風水害の比ではない。

最後の頼りにしている不動の大地がくらりときては、人間存在の根底がゆさぶられてしまう。。。

七百余年前の『方丈記』にも「恐れのなかに恐るべかりけるは、ただ地震なりけり」なのに、
月日がたつと「ことばにかけて言ひ出づる人だになし」という。
考えないこと、早く忘れることしか、安心を得るテはなかった。


これは、昭和48年の朝日新聞の記事。

たまたま地震の2日後、目にする機会があった。

いにしえの昔から、地震の前になすすべもない現実。
科学がいかに進化しようとも、人知の及ぶ範囲ではないことを、
改めてボディブローのように受け止めた。


そして昨日、同じく朝日新聞にこの鴨長明の言葉が引かれていた。

恐らく自社のアーカイブを読んでいた執筆者が、私同様、
35年前に書かれていた”今”を暗示するかのような記事を目にとめたのだろう。


いや、今を暗示するかのような、、というのはあくまで地震の恐怖をあげ連ねた箇所の話。
S45年の新聞記事や「方丈記」が、今のメンタリティと決定的に違う点がある。

「考えないこと、早く忘れることしか、安心を得るテはなかった」というくだり。

今この世に生を受けている日本国民は、この日のことを、一生忘れはしないだろう。

阪神淡路大震災の被災者の人の言葉を思い出す:

「過去の出来事を思い出して、あれは一体いつのことだっけなぁ、とわからなくなる時、
そうそう、あれは震災の前だった、とか、
震災の後に起こった出来事だ、
などと震災の日が、頭の中で一種の時系列的指標になっているのよ」

そんな内容だった。

今回の東日本大震災も、悲しいけれど、
きっと昨日から今日、そして明日へと繋がる自分の人生の線の中で、
ぽつんと浮き出た点として、それ以前とそれ以降を分ける分岐点になる気がする。

そのぽちっとした点を境に、未来の線を力強く描くこと
そのために自分に何ができるのか、考えていかなくちゃなぁと思う。

福島原発の状況沈静化を祈りつつ、いろんなことがぐるぐると頭の中を駆け巡る、
今日この頃。
2011.03.18 Fri | Society| 0 track backs,
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