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エリック・ロメール逝去とフランス映画にオチがない理由
 エリック・ロメール

1月11日、ヌーヴェルバーグの騎手ともいわれた映画監督エリック・ロメールが亡くなった。
といっても「四季の物語」シリーズ(春のソナタ Conte de printemps 冬物語 Conte d'hiver 夏物語 Conte d'été 恋の秋 Conte d'automne)のうち、「冬物語」を見たことがあるだけだけど。

この映画、一応ストーリー性はあり、メリハリはあるものの、ドラマチックというわけではない。
物語としては陳腐のようでもあり、青臭さや生煮え加減を感じてしまい、個人的にはこの映画の良さが余りわからなかった。

でも、こういう映画が評価されるフランス。
最近KZさんからメールをもらって、なるほど、と思った。

KZさんのアメリカ在住の友人いわく、アメリカでネット上の誹謗中傷が余りないのは、ディベートの文化が成熟しているせいでは?と。
そこから発展して、こんなコメント;

ディベートの文化というのは、実は民主主義には一番大切なんじゃないかと
思ったりしますが、日本人は学校でほとんどそういうことを習わないのでどうにもこうにも苦手ですよね。
議論を尽くす、ということが、本当に下手だと思います。(自戒も含め)

誰かが言っていましたが、フランスでは、結論はあまり重要じゃないのだと。
結論より過程や議論が重要なので、だからフランス映画ではオチはあまり重要じゃないと
あとは各自考えてください、みたいな感じでしょうか。
(単なる監督の力量不足の場合もある気はしますが)



なるほど。
この話を先日友人たちにしたら、一同感嘆の声があがっていた。「そっかー」と。

そういえば、くだんの「冬物語」でも、おしゃべりの場面はたくさんあった。
注視する視点を変えて、”ストーリーは添え物”、と思えば、フランス映画のよさは理解できるのかもしれない。



■ 韓国TVドラマ「私の名前はキム・サムスン」

昨日、新年のあいさつで実家を訪れ、でフジTV14時過ぎからやっていた韓国TVドラマ「私の名前はキム・サムスン」を見たのだけど、韓流が流行するのがわかる気がした。

人を惹きつけるものがある。
今年の年賀状、韓国語やってます、韓国アイドルにハマってます、とかいう友人が多かったっけ。

主演のキム・ソナ(女性パティシエのキム・サムスン役)は、日本で中学時代を過ごしたらしく、日本語の挨拶が番組の終わりに登場。役作りで10kg増に成功したという。
今の本人は、もっとほっそり。

彼女の日本語の解説によると、キム・サムスンという名前・名字はともに陳腐で、名前のサムスン(三旬)ほうはとくに古臭い響きがあり、さらに「三」の文字が3番目の子供という安易な響きがあるという。つまり彼女はコンプレックスをもっている、という設定だ。

彼女が働くレストランの支配人役ジノン(扮しているのはヒョンビン。ほっそりした優男)のことを、サムスンは「サムシク」と呼んでいる。

サムシクも韓国では古臭い名前の部類だそうで、自分の名前を嫌うサムスンが腹いせにわざとかっこわるい名前をジノンにつけてしまう、という流れになっているそうだ。


こういうラブコメディー、日本では最近余りないのでは?
もっとも、チャンネルをまわすと、お笑い系番組ばかりで興味がもてず、ニュース番組以外余り見ていない気もする。


■ ガッラ・プラチーディア廟Mausoleo di Galla Placidiaの「水盤から水を飲む白い鳩の図」

ラヴェンナ回想:
これが有名な「水盤から水を飲む白い鳩の図」@ガッラ・プラチーディア廟 in Ravenna。

以前モザイク再現のラボで、製作中だったのがこの図柄だ。(2枚目の絵)
とはいえ、現代のモザイクは、過去のものを複製するのが主流。このモザイクなどは作製時期5世紀だ。
ラヴェンナのおもな作品の中でも最古に属するもの。
ラヴェンナの街を歩いてみたところ、5世紀の芸術性に届くモザイクの作品が現代にはない。

モザイクなどというややこしい手法を使わなくても芸術作品はできる。
今ではコンピューターグラフィックを使った作品が、例えば明治以降の日本画で有名な近代美術館なんかにも登場している。

素朴な手法で手間暇かけて創造する必要がなくなって、モザイクが美術の中で重要な地位を占めることなんて今後ないのだろう。


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2010.01.12 Tue | Art| 0 track backs,
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