日常風景 * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
ツール・ド・フランスをめぐる名文句
「ツール・ド・フランス」(”フランス”と”ススフランス”=SOUFFRANCE=”苦痛”の掛け言葉)や、「ロードの徒刑囚」などという言葉を生みだしたアルベール・ロンドルの話を先日のエントリーで書いた。

そのほかにも、ツールをめぐっては、こんな名文句を生みだした人がいる。

「プロトン(レースを走る集団)の中には、ヒッチコックがいる」

この言葉を発した人物の名は、ピエール・シャニー。

スポーツ紙『レキップ』のロードレース担当記者としてツールの取材を実に49年間もの長きにわたって行った人だ。

ツール50回目のツール取材を記念して、彼と作家クリストフ・ペノとの対談をもとに書かれた『ピエール・シャニー:ツール・ド・フランス50回の男』という本が出る予定だった。

ところがツール開始わずか11日前に病に倒れ、帰らぬ人となる。
49回の男としてこの世を去ってしまったが、すでに出版の手はずは整っていた。

敬意を表し、当初予定どおり『ピエール・シャニー:ツール・ド・フランス50回の男』の書名で世に出ることになったのだった。
2009.11.30 Mon | Cyclde Road Race| 0 track backs,
「ジャパンカップ」に反応する
先週末錦糸町でランチ。
隣の席のおじさんたちが、しきりに「ジャパンカップ」と言っていて、思わずピクンと反応する。
が、しかし、競馬のことだった。

ある友人の場合はちょっと違う。

おじさんのスポーツ新聞に「Jカップ」の文字。
Hビデオだった・・・


我々にとってジャパンカップといえば、サイクルロードレースの名称なのだった。
2009.11.30 Mon | Private| 1 track backs,
速水御舟のイタリア
先日触れた山種美術館での速水御舟の展覧会で、さらに驚いたのがこれ。
画家がめぼしい訪問先としてマークした場所の自筆メモ。

アッシジの聖フランチェスコ教会、パドヴァのジオットのフレスコ画なども、是非行きたい場所としてメモされていた。

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「Assisi 
San Francesco寺ニ於ケル諸壁画、特ニ、Cimabue作ノモノ」。

チマブーエの有名な一枚も彼はチェック済みだった。

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この話、後日もう少し触れたい。
2009.11.30 Mon | Art| 0 track backs,
我が家の事業仕訳
ツーレの風邪は4週目に突入。
結局彼は、今月1回しかジムに行っていない。

もっとも、風邪をひいてなくても、元来彼はジム通いに熱心なわけではない。
健康体でも、せいぜい毎月4-5回程度。

それで年会費を払うというのは、なんだか無駄な気がして仕方ない。
そこで思い立った。
よし、我が家でも事業仕訳をやろう!


事業仕訳項目:1.ジムの年会費、2.雑誌の購入費

1. ジムの年会費を払うのを辞め、回数券(1回2000円)に切り替える。

2. 出張時に毎回「ターザン」を買うのを辞める=ツーレの新幹線の友はいつもターザンなのだ。(ターザンはジムに置いてあるからいつでも行けば読める。ジムに行かなくて読めないなら、からだを鍛える特集を読んでも仕方ない、というのが私のロジック。)

==> 結局2つとも言下に却下された。

私はといえば、、、家庭版"蓮舫"にはなりきれなかった。
2009.11.29 Sun | Private| 0 track backs,
シエナのドゥオーモに溜息
以前本Diaryで触れたイタリア文化会館で開催されたイタリアのパノラマ写真展では、群青の海と古代劇場のコントラストが素晴らしかったタオルミーナが印象的だった。

なんでも映画「グランブルー」の舞台となったところのようだ。
風光明媚な海岸とローマ時代の遺跡が一度に楽しめる、そんなタオルミーナに行きたいと思ったけれど、南イタリアということで諦めた。
9月のボローニャ往復の旅ではカバー不可能だった。

そこで次に9月の訪問地として考えたのが、やはり上述写真展で感銘を受けたオルヴィエートだった。
Photolibraryさんのところに写真がある。

特にファサードの浮き彫りの妙が見事で、これひとつで世界中から観光客を呼び寄せることができる、見て損のない建造物と思われた。

が、こちらも時間がタイトであることを考え断念。アッシジまで行くのがせいぜいだった。

代わりに選んだのはフィレンツェからほど近いシエナ。こちらのドゥオーモを見た時、オルビエートに執着するがあまり行程を乱す、などということを回避できてよかった、と心底思った。

オルビエートほどではないのかもしれないけれど、それでも美しさに息を飲んだ。

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上の写真を見てわかるとおり、脇の方は白x黒の組み合わせのモダンな造りになっている。
正面上部のゴシック様式と対比すると、しっくりこない感じもある。

製作年代が異なるせいだ。
ゴシック最盛期よりも前に建てられた下部は、上にのびる様式ではなく横に伸びる動きを重視している。

その後、尖塔が印象的な天空へ伸びる代表的ゴシックの上物がついたので、別々のものが合わさったような感がある。特に、斜めの角度からこの大聖堂を眺めると、少々統一感がない印象。

ただ、その不統一さがユニークで、訪問者をある意味喜ばせてくれる。

即ち、私はドォーモへのアプローチとして、脇から入る道を選んだ。
見えてきたのはこの↓風景。
白と黒の幾何学的な壁面と鐘楼をもつ、どちらかというとシンプルな大聖堂の姿。

ところが周りこんで正面に立つと、一番最初の写真の全貌が現れる。
驚き100倍というわけだ。

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このドゥオーモは長い年月をかけて仕上げられ、最初にミネルヴァ神殿跡地に教会が建てられたのが9世紀のこと。

ファサード部分。よく見ると大理石でできた動物や聖人の彫刻が。
もっともこれはオリジナル(付属美術館に収蔵)ではなく、複製なのだけれど。

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クローズアップ。
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さらにクローズアップ
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そして、町のエンブレムとなっているのが、これ ↓。狼の乳を飲む2人の子供。
これはシエナ建国の神話に依拠している。

神話には、オオカミの乳を飲み育ったロムルスとレムスの双子の兄弟が登場する。

ロムルスRomulusはのちにローマRomaの名前の由来となり、レムスRemusの息子セニウスSeniusは、シエナ建国の父となったというのだ。

もっともシエナの名前の由来については、ラテン語のsenex(=Old)からきたとか、Saina家からとられた、といった諸説あるようだ。

いずれにせよ、この神話がもとで、双子の兄弟と狼の構図は、シエナのシンボルとなっている。
下の写真の彫刻はドォーモ入り口向かって左手にある。

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以前書いた内部の装飾の話で登場したこの床面装飾の中央にも、オオカミx子供の構図がすえられている。

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ファサード向かって右手にもオオカミと2人の子供の彫刻が。(見づらいけれど、一番下の方)

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ほかにも群像が諸々に見られ、人間味のある建物に仕上がっている。

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入り口の床面。

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オルヴィエートまで行かずとも、素晴らしいドォーモを見ることができてよかった、そう思っていた。
が、どうやらこのドォーモ、オルヴィエートに触発されて出来上がったようなのだ。
類似点があるのはそのせいなのだ。

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シエナのドォーモ全景。
p.s. でも次はやっぱりオルヴィエートのドォーモも見てみたい・・・

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以前のシエナのエントリー:
○ 床面装飾 (09/09/26)
○ マンジャの塔 (09/11/16エントリー)
2009.11.29 Sun | Travel-Italy| 0 track backs,
100+200-10,000は・・・
先日、会社帰りに思い立ってジムに寄った。

● 軽く何か食べたくてベーカリーカフェに入店。「只今キャンペーン中です」と、次回使える100円割引券をもらった。

● 突然ジム行きを決めたので、替えの下着を持参していない。MUJIに立ち寄って下着購入。2枚以上お買い上げで10%引き。200円得した♪

● ジムの受付では、抽選券が渡された。数字が当たっていれば賞品当たります。発表は来週!


わー、なんか小さなお得が嬉しいな~、なんて喜んでいる私はおめでたい。

実は今週末、旅行で岡山に行くはずだった。鷲羽山に、倉敷に、、、と、ガイドブックとにらめっこで楽しみにしていた。
ところが、ツーレが突如行かれなくなり、キャンセルに。
すでに一週間を切っていた。

航空券とホテル代キャンセル料で1人分、一万円とられた。
ドル預金とユーロ預金も目下大赤字。

だから100円得しようが200円儲かろうが、焼け石に水。
全然補てんされないのだ。

なのに!。。。。このささやかなオマケを単純に喜ぶ私がいる。


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で、上の写真は岡山。ツーレが先日出張で行った時のもの。
(これがきっかけで岡山行きを決めたのだった。)
2009.11.28 Sat | Private| 0 track backs,
日経新聞 あすへの話題 「史実と虚構の狭間」
昨日の日本経済新聞「あすへの話題」は、日立製作所フェローの小泉英明さん。

キュリー夫妻を描いたフランス映画の字幕監修を務められ、御礼が主演女優イザベル・ユペールとの会食だったとは。フランスらしい演出だ。

ところで、この記事の主旨である「史実と虚構の狭間」については、なるほど確かに、と思う。

モーツァルトを描いた「アマデウス」の映画もそうだけれど、見せ場をつくるために実在の人物を思いきりデフォルメするのは仕方なくもあり、少々納得いかない気もある。

ヘレンケラーも確か同様だった。実際の彼女のパーソナリティは決してすべて美しかったわけではなく、、、とかいった暴露話が出たことがあった。

100%人格のできた人はありえない。
美談の影に、どろどろした人間ドラマがあったとしても不思議ではない。

でも、その人が成し遂げためざましい業績と、否定的な話を比べて、前者を打ち消すがごとく後者の話をクローズアップすることに少々違和感もある。

歴史に打ち立てた金字塔を5%、暴露話を95%として評価するのか、あるいはその逆の配分にするのか、それは伝記を読んだり、その人の作品を見聞きしたり、業績を評価しながら、個人個人が好きに解釈すればいいのでは、と。

映画には、その裕度を少し残しておいてほしいと思う。
2009.11.28 Sat | Society| 0 track backs,
「兼高かおる世界の旅」に登場した三井物産ヒューストンオフィス (in 1966年)
先日来繰り返し触れている「兼高かおる世界の旅」の再放送の話。
1966年ヒューストン編には三井物産のヒューストンオフィスが登場。

海底油田の掘削機を輸入する何10億円規模のビッグビジネスを取り付けたそうで、立派なビルの30Fにオフィスを構えていた。
窓からはヒューストンの町が一望に見渡せる。

当時、メーカーが独自の力で海外取引を行うノーハウも人員も体力もなかった時代、世界をまたに掛ける商社マンにとって、ビジネスチャンスはごろごろころがっていたことだろう。

今では特殊でめんどくさい業務以外では仲介役を必要としないメーカーも増え、商社はもっぱら投資会社となりつつある。

写真はもちろん(この番組のスポンサーである)パンナムではないけれど。
先日のイタリアからの帰り、久々に飛行機の中から写真を撮った。眼下は銀世界。雪をいただいた山が陽光を受けて眩しかった。

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2009.11.27 Fri | Society| 0 track backs,
悪魔おじさんがクリスマス自転車製作
ツール・ド・フランスの風物詩、悪魔おじさんは、本国ドイツで自転車博物館の館長さんでもある。
自身で製作したオリジナル自転車を展示しているそうだ。
さて、師走のこの頃、新たな作品が完成したようだ。

AFP からこんなニュースが...

自転車競技ツール・ド・フランスのファンとして有名な、ドイツのディディ・
センフトさんが、また新たな自転車を生み出しました。

そりのようにも見えますが、ちゃんとペダルをこいで進むのですね。

名物自転車おじさん、新作はクリスマス仕様(11/26)

TDF の悪魔おじさんこと ディディさん。
サッカーワールドカップやオリンピックに会わせておもしろ自転車もつくってい
るようですが、今回は特大そり風自転車。

悪魔がサンタになっているのがなんとも楽しいですな。

リンク
電球約3000個が取り付けられているそう
http://www.afpbb.com/rd/a/4960346

過去のおもしろ自転車
http://www.afpbb.com/rd/a/2810409

(From 源外さん)

2009.11.27 Fri | Cyclde Road Race| 0 track backs,
読み返したり見返したりして新鮮に感じるもの
以前のエントリーで触れた兼高かおる世界の旅の再放送。すごく新鮮で、自分でも驚いた。
古き良き時代を映してはいるものの、古びているというより斬新に感じてしまう。
当時としては、これはかなりプログレッシブな内容だったろうな、そんな視点で見るせいだろうか。

昔のものを現時点で改めて見返してみて、そんなふうに新鮮に感じることがほかにもある。
今のようにセレブになる前、死と向き合っていた頃のランス・アームストロングの言葉しかり。

ツールで7連覇という快挙を成し遂げ、今ではすっかり肩で風を切って歩いているけれど、メンタル的に極限まで行っていた時期が本当にあったのだな、と。
以下、自伝 It’s Not About The Bikeから。


 「生きるか死ぬか、二者択一で、僕は1年でも多く生き延びてやる、そう思っていた。
化学療法の最初のワンクールは、案外簡単に思われた。
2回目に入って、きつくなり、3回目はひどく辛かった。
4回目に入ったときは、化学療法で僕は殺されてしまうのではないか、そこまで思った。
化学療法は獣のように激しい。
苦痛が突き刺さり、みじめになる。もう余力はゼロだ。
むかむかし、吐き続ける。ベッドから起き上がる気力も潰える。」


 「レースを再開して、明らかにメンタリティーが変わったことに気がついた。
癌は精神的に僕を助けたね。
とにかく自分を鍛え続けて、苦しみたいという気持ちで満たされるようになったんだ。
病気になる前は、先のことをいろいろ考えたものだ。
でも、罹患後は、もしも病を克服したら、今後は 今という時に集中しよう、そう決意した。
僕にとって 確かなことはひとつだけ。
明日も、もう一度バイクに乗る、ということだけさ。」


 「僕は自転車競技を心から愛している。だから負けるのが怖い。
勝つことは生きることで、負けることは死を意味するんだ。」
2009.11.27 Fri | Cyclde Road Race| 0 track backs,
アルベール・ロンドル Part2)「ロードの徒刑囚」という言葉を生んだ彼は元流刑囚のレポーター。来日経験もあり、彼が日本を評した言葉は・・・
ツールを走る選手を称して「ロードの徒刑囚」=「Les Forçats de la route」という言葉を生んだリベラシオンの編集長ロンドルは、元従軍記者。
正義感が強く、社会的弱者には人一倍敏感だった。

フランス領ギアナにあるカイエンヌ監獄を数ヶ月間取材し、ツール取材の前年、1923年には、非人間的な扱いを切々と訴えたルポルタージュを発表。過酷なツールを走る選手たちを囚人たちになぞらえたのは、自然な流れであったと思われる。

カイエンヌ取材の前年には、アジアへも赴き数々のレポートを出している。
実は来日経験もあり、印象をレポートにまとめた。日本を評するのに彼が選んだ形容詞は、「不可思議」だった。

くだんの「ロードの徒刑囚」の記事は、ペリシエ兄弟の独白内容に誇張があったものの、この表現自体は定番となる。

レポートは本にまとめられ、書名は「ツール・ド・フランス-ツール・ド・スフランス(SOUFFRANCE 苦痛)」。

「フランス」「スフランス」(苦痛)をかけたこの言い回しもまた、この後雑誌や新聞などで多用されるようになる。

ツールの厳しさをシンプルながらインパクトのある言葉で表現した彼のセンスには脱帽だ。


ただ、彼はひとつの主題にとどまることはなかった。あっさりとツール取材から足を洗うと、アフリカのセネガルやコンゴ、ユダヤ人、パレスティナ問題など、相変わらず世間から取り残された周辺部の人々の取材にかけずり回った。

最後まで、弱者の立場に立った視点でものを書いていたようだ。


1924年、世間を激震させる文章を発表した彼は、ツールというテーマに関しては、単発的な発信者で終わったけれど、もし今の世に彼が生きていたら、果たして薬を飲まねば走り切れないと訴える選手を「弱者」としてとらえただろうか?

このご時世だったら、薬に手を出さずに頑張っている選手にスポットライトを当てたのでは?

***
アルベール・ロンドル Part1=>http://tourdefrance.blog62.fc2.com/blog-entry-1010.html

アルベール・ロンドル トリビア : 現在アルベール・ロンドル賞がもうけられている。優秀なフランス語圏ジャーナリストに授与される。
2009.11.26 Thu | Cyclde Road Race| 0 track backs,
イタリアで見つけた日本
アッシジで。
意味なしカタカナの服を着たイタリア人。

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これのみ今年5月のヴェネツィアで。(あとは今年秋の写真)
日の丸が日本の国旗だということを知らずに買ったそうだ。

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フィレンツェのスーパーでアサヒスーパードライ。

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フィレンツェでも武道が流行っている?

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フィレンツェ。イタリアはほんと、キティちゃんがあちこちに。

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フィレンツェ、意外に和食の店は少なさそう。

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2009.11.26 Thu | Travel-Italy| 0 track backs,
事業仕訳が日常生活に波及するとき
来年度の仕事として、結構な数字で部内収支表に見込んでいた仕事がある。
しかしお客さんの方から、来期予算がつかなかったら、この話はなかったことに、と言われる。

彼らのやっている業務が、「事業仕訳の対象になっちまった」らしい。
2009.11.26 Thu | Society| 0 track backs,
自転車乗りは脚を剃る
昨日の自転車好きの集まりで、もっぱらの話題は:

「谷垣総裁も、脚を剃っているのでせうか。」

ひとしきりああでもない、こうでもないという話になり、中には事情通もいて、こんな話を。

「なんでも谷垣総裁が自転車で出かけるとき、SPは最初は置いてきぼりを食うけれど、体力自慢なだけあって、あっという間に速くなるらしい」
2009.11.25 Wed | Private| 0 track backs,
アルベール・ロンドルがツールの選手たちを評した「ロードの徒刑囚」 Part1
2009年6月、一風変わったステージレースが開催された。日程や総距離はツールの約3分の2という規模で、ゴールはパリ、など、レース概要はごく普通なのだが、出場者はなんと服役囚。

スポーツも教育の一環、更生への足掛かり、というわけでベルギー国境に近いロースの刑務所が世に送り出したイベントだ。囚人たちのツール・ド・フランスとも呼ばれたこのレース。ただし当然「逃げ」は許されない。あくまで団体として走ることが義務付けられている。

この報道に接したとき、アルベール・ロンドルがツールの選手たちを評した「ロードの徒刑囚」という言葉を思い出した。

1924年、ル・プティ・パリジャン紙の記者としてツールを取材していた彼は、あるスキャンダルに遭遇する。

前年優勝者のアンリ・ペリシエが、主催者に抗議し、弟のフランシスやアシストのモーリス・ヴィルとともにレースをボイコットしたのだ。

理由は1枚のジャージだった。当時の規定では、毎レースごと、開始時に所持していたものは機材・ウエアに関わらず、すべてゴールまで欠けることなく携えていなければならなかった。しかしアンリは2枚重ね着をしていたジャージを途中で道端に放置した疑いがかかっていた。

この行為は1920年制定の規定第48条により違反と見なされ、主催者側からクレームがついた。すったもんだの挙句、権威的な理不尽さに嫌気がさしたアンリは、途中でレースを棄権。

クタンスの駅でココアを飲みながら列車を待っていた彼らを待ち受けていたのがロンドルだった。

不平不満をぶちまける機会に恵まれた3選手は、インタビューでツールの非人間性を雄弁に語った。ロンドルはさっそくそれを記事にまとめる。

がんじがらめの規則に縛られ自由を奪われた選手を称して彼が用いた言葉が、「ロードの徒刑囚」だった。

本書の中で、筆者はツールを「受難」と弾劾。コカインなど薬物を使用して走らざるを得なかった、などという選手の談話も登場するのだが、すべてそのまま鵜呑みにはできない。

ペリシエ兄弟たちは、ツールのスペシャリストではなかったロンドルを甘く見て、自分たちをないがしろにした大会主催者アンリ・デグランジュ氏を見返してやるつもりで大げさにしゃべったらしいのだ。

(続く)
==> Part2はこちら
2009.11.25 Wed | Cyclde Road Race| 0 track backs,
ツアーダウンアンダーの冠スポンサー交代に思う
1月に行われるオーストラリアのロードレース、ツアーダウンアンダーの冠スポンサーにサントスという天然ガス会社がついたそうだ(くまたろうさんの情報)。

くまたろうさんは嘆く(?)・・・
以前のスポンサー「ジェイコブスクリーク」はワイン会社だったので、つい愛着を感じてこの会社のワインを買ってみたりするけれど、天然ガスの会社だと、いわゆる「サポート買い」ができなくてちょっと残念、と。

“買う気をそそるスポンサーと、そそらない(というか買えない)スポンサー”、というお題目に関して、ちょっと思い出したことがある。

世の中、“買う気をそそる社内販売と、そそらない(というか買えない)社内販売”というのも存在する。

買う気をそそる社内販売は、例えばブランド品を扱う会社の社員向け割引販売。滅多割引にならないものが安くなるのが魅力。

以前、皇居をのぞむ某商社の1Fで外車の割引販売をしたところ、高級外車2台を即金で買った社員がいた、なんていう話も聞く。

かと思えば、私の友人のケース。

彼女の会社はいわゆるメーカーで、カスタムメイドで受注したオーダーがキャンセルになり、社内販売に出たそうだ。

回覧された社販の案内を見て、彼女は固まった。

「激安!トラクター」
2009.11.25 Wed | Society| 0 track backs,
山種美術館 「新美術館開館記念特別展 / 速水御舟 - 日本画への挑戦」 その2 /速水御舟が描いたイタリア、私が心酔したイタリア
山種美術館の速水御舟展では、サプライズがいろいろあった。
なかでも外遊時のスケッチは初めて見るものばかり。

不意打ちの楽しみがあっただけでなく、画家と興味の対象を共有したような気がして、それが秘かに嬉しかった。

なにしろ、画家が恐らく目を輝かして描いたであろう風景を、つい最近私もわくわくしながら眺めてきたばかり。

彼がイタリアを訪れたのは1930年、昭和5年のこと。でも、私が目の当たりにしたイタリアとなんら変わることはなかった。


例えば、「フィレンツェ アルノ(川)の川岸の家並み」のスケッチ。

9月末にフィレンツェを訪れた際、相変わらず独特のたたずまいを見せるアルノ川沿いの家並みを、せっせとカメラに収めた私。
速水が描いた場所は、あのあたりでは?と心当たりがある。

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今回展覧会は前期・後期だったので、私が行った時には展示がなかったものもある。
下記もそんな一枚。カタログのみの鑑賞となったのだが、この絵との遭遇も抜き打ち的に嬉しかった。

アッシジを描いたものだ。絵を見た瞬間、なつかしさを感じた。
ホテルへ行く道すがら、上り坂に埋もれるかのように分岐点の中央に堅固に建つ石造りの家に惹かれて、こちらも写真を撮っている。
聖フランチェスコ聖堂は、その後方だ。

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もっとも、アッシジやフィレンツェは歴史的名所なので、スケッチのために彼が足を運んだとしてもさして驚きではないかもしれない。

むしろ、「ルミニ海水浴場」と題されたスケッチ(こちらもカタログで)を発見したときの驚きのほうが大きかった。

ルミニとは、ロードレース界のアイコン マルコ・パンターニが亡くなった場所としてこの9月に訪れたリミニ海岸のことだ。

英語のタイトルがRimini Beach(リミニビーチ)となっているので間違いない。
こんなところにも、速水氏は足を運んでいたのか、、、

絵を見ると、当時(1930年=昭和5年)から、すでに大衆海水浴場として、ずいぶん栄えていたのがわかる。

私が訪れたのは9月末、シーズンオフで、海岸のビーチパラソルは閉じていた。
画家は、真夏に足を運んだのだろう。私が見た光景よりも、はるかににぎわっている。


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ベロナの街というスケッチに描かれた橋にも馴染みがある。

ヴェローナに行ったのは今年ではないのだが、ストで足止めを食って、夜行でニースまで移動するはめになった思い出の場所。
2日間の観光で、こまごまと町を散策した。

市内の川にかかる橋はいくつかあるけれど、この橋は中央に向かって高くなっていて、なかなか味がある。

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昭和5年と平成21年という時の隔たりをまったく感じさせない絵の数々。
改めて感じるイタリアの永遠性。
ローマ時代から、時の歩みがやけにゆっくりした不思議の国だ。

今年、私がロード世界選をフイにしてまで訪れたいと願ったイタリアの町の数々は、画家にとっても魅力の町だったらしい。
彼は、訪れたヨーロッパ諸国の中でも一番長い92日間もの月日をイタリアで過ごしている。
今も昔も、変わることなく人を惹き付けてやまないなにかがイタリアにはある。
関連記事
2009.11.24 Tue | Art| 0 track backs,
チーム ラジオシャックの顔ぶれの中に別府史之(フミ)の名前が
ナイスサプライズ。
去年ロード界に復帰を果たしたランス・アームストロングの来季からの新チーム ラジオシャックのメンバーが発表となり、日本から別府史之(フミ)がチーム入りを果たした。

フミといえば、今年スキルシマノのメンバーとしてツール・ド・フランスに出場。
新城幸也選手とともに、日本人初の完走を果たした。

ラジオシャックの布陣==>トクダネNews

フミを初めてヨーロッパのレース会場で見かけたのは07年ツール・ド・ロマンディだった。05年からトッププロチーム ディスカバリーで走っていたものの、なかなか会う機会がなかった。

当時日本ナショナルチャンピオンジャージを着用し、山岳ステージでは優勝争いを展開し、惜しくも2位になった。

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(*チーム名はラジオシャック。ジャックではない、、、のだがついジャックと打ってしまう自分がいる)

2009.11.24 Tue | Cyclde Road Race| 0 track backs,
週刊朝日とアサヒグラフの古い歴史
今日読み終わった「パリの日本人」(鹿島茂著・新潮選書)。

新潮選書 パリの日本人新潮選書 パリの日本人
(2009/10/24)
鹿島 茂

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この本の中に、1925年発行の「アサヒグラフ」に維新の頃の日本を映した写真が満載だった、というくだりが出てくる。

1925年!大正14年にアサヒグラフは存在していたのだ。
調べてみると、1923年11月24日の創刊号は、「関東大震災復興記念号」と銘打っている。
休刊の2000年10月13日まで、75年間写真で日本の変遷を綴っていったことになる。

創刊号から昭和14年までのアサヒグラフの表紙がすべて見られるサイトもあった。
http://hamajam.hp.infoseek.co.jp/asa_g.htm

拡大写真も見ることができ、こちらは大正14年の表紙一覧:http://hamajam.hp.infoseek.co.jp/htm_8/asa_0101.htm
当時としては、なかなか洗練されている。


さらにおとといは、速水御舟の展覧会(山種美術館)で、昭和9年=1933年の週間朝日を見つけた。画室巡礼と題して、速水御舟ほか、画家の活動風景が写し出されている。

今ならさしづめ、アトリエ拝見、みたいな題がつきそうな、斬新な企画。

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週刊朝日も歴史は古そうだ。調べてみると、こちらはアサヒグラフよりも1年早い1922年創刊。

どちらも、なかなか野心的にスタートした気骨あふれる雑誌だったようだ。

高杉晋作がアサヒグラフに出ていた、そんな時代があったなんて。昨日の話に相通じるけれど、歴史上の人物が身近な雑誌に出ていた事実がちょっと信じられない。
2009.11.23 Mon | Books| 0 track backs,
命日に
友人のサイクリストBMさんが急逝して1年が経った。
休日出勤を余儀なくされたツーレとは1日別行動。

気持ちの朝だった。乃木坂からぶらぶら歩いて墓地まで。

神宮のイチョウが色づき始めていた。

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お墓では、ドリンクボトルに水を一杯入れてお供え。
手を合わせたら、平常心のはずだったのに涙が出てきた。

帰り際、ブリヂストンの自転車アートエギジビションがウィンドー越しに見えた。
こんなところにこんなギャラリーがあったとは知らなかった。
BMさんのお墓のすぐそば。本当に自転車が好きなんだね。

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レクサスのショーウィンドウに飾られていたクリスタルの模型が太陽の光を浴びていた。

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歩いて某百貨店へ移動。
ジムの友達から、衣料品にのみ使用できる割引券をもらった。期限が迫っているから、なにか買おうかな、と。
でも好みのものは見つからず。

諦めて、自宅から電車で1時間ほどのところにあるスポーツジムへ移動。
好きなインストラクターが今日はそちらのジムでクラスをもっている。

行きがけに実家に寄ってランチを食べさせてもらう。
顔見せの親孝行も兼ねて。

お気に入りのインストラクターさんのパワーヨガに今ハマっているのだが、今日は祝日で特別時間割ということで、マニアック系のエアロビのクラスだった。
初めて出るクラス。緊張する。難しいのがわかっているだけに。

4つのブロックをやって、最後に3つを続けて行うタイプのエアロ。
組み立てがどんどん進んでいく。周囲はみんな常連ばかり。
かなり必死。
大崩れはしなかったけど、ついていくのがやっと。

でも、こういう段階を経ないと上のクラスにはチャレンジできない。

ジムの後、銀座にある某デパートへ直行し、リベンジの買い物をしようと思ったが、実家で渡されたお持たせに保冷剤がいっぱい入っていたせいで、手荷物が重くていったん帰宅。

家に帰ったら、なんだか銀座の気分ではなくなってしまった。
そうなのだ、そんなことより、トイレ掃除の方がプライオリティーが高いと気付いてしまったのだ。
2009.11.23 Mon | Private| 0 track backs,
時事ニュースが歴史になるとき
時事ニュースを記録にとどめるという作業は、その時点でリアルタイムでありながら、時が経てば、我々受け手はそうやって書かれたものを歴史として認識する。

過去のある時点で書かれた「現在」を、私たちは、あたかも初めから歴史であったかのような錯覚をもって見つめてしまうことすらある。
でも、ふとした拍子に、「この話は、過去のある時点では歴史なんかではなく、いきいきとした時事的記録だったのだ」と気付いて妙に感動したりする。

先日別ページに記したとおり、「New Cycling」という雑誌の記事の中に見つけた加藤一氏のツール・ド・フランスレポートがまさにそれだった。

トム・シンプソン選手が1967年ツールで(恐らく薬物摂取で)亡くなったという話は現在では有名な「史実」なのだが、加藤氏は、67年に現地に行って生レポートを記していた。

当時、シンプソンの死亡ルポルタージュを生で綴っていた日本人がいたことにも意外性があるけれど、さらに、その時点で彼の死がリアルタイムだったこと自体に妙な驚きを覚えた。

20世紀前半から2000年にかけて生きた加藤一氏という人の存在を介して、歴史としてちょっと遠い目で見つめていた出来事が現実に引き戻された気がする。

丁度、セピア色の写真が、急にカラーになったかのような。

記事には、その場に立ち会っていたという臨場感がにじみ出ていた。どんなに精緻なバーチャル記事にも、できない芸当だ。
2009.11.22 Sun | Society| 0 track backs,
東京スカイツリー
今日、友人のコンサートに行く途中、東京スカイツリー(建設中)を初めて見た。
完成すれば高さ634mらしいけれど、まだその半分もいっていない感じ。
ずんぐりした形だった。

家に帰ってネットをチェック。
サイトに、丁度最近の建設状況が載っていた。
200mを超えたところらしい。

エッフェル塔はアンテナ付きで324m、東京タワーは333m。
一気に倍もの高さになるというわけだ。

当初は610mという話だったけれど、中国で竣工予定の610mの電波塔を意識して、高さをアップ。

634m=むさし=武蔵というごろ合わせを兼ねていると、電車の車内広告で読んだ記憶がある。

建設主体が東武なので、その『武』の字もかけ合わせているという話。

もともと東武という名称は、武蔵の国の東、ということでついた名称だ、とツーレが横でつぶやいている。それは知らなかった。なんで『東部』じゃないのかな、とは思っていたが。(漢字変換では、『東部』の方が先に出てくるものだから。)
2009.11.22 Sun | 国内探索| 0 track backs,
山種美術館 「新美術館開館記念特別展 / 速水御舟 - 日本画への挑戦」
移転後の新装 山種美術館は、恵比寿駅から駒沢通りを広尾高校方面に10分ほど歩いた右手にある。
オープン記念は速水御舟の特別展。

竹橋の近代美術館で御舟の円熟期の作品は数点見たことがあるけれど、山種が所蔵している数は圧巻だ。

今しがた山種美術館サイトを確認してみたところ、「二代目館長の山富治が旧安宅コレクションの速水御舟作品105点を一括購入」とある。

本美術館の十八番というわけだ。
今回はそれに個人蔵のものも混じっていて、予想外に充実した素晴らしい展覧会だった。
人間の身体の観察に専念した時代のスケッチなど、珍しいものもある。

ほかにも、外遊時のスケッチは馴染みのないものばかり。
とくに、イタリアのスケッチは、自分が見たイタリアとだぶるものがあった。

渡航前後にびっしりメモした手帳の内容をつぶさに読むのが楽しかった。
その話は長くなるのでまた後日。

目玉のひとつ≪炎舞≫は、重要文化財だ。

外に上品さ、内に優しさを秘めた絵の数々。

最近絵画や芸術作品を見ながら、「この人はこんな感じの人だったのじゃないかな」などと勝手に想像したりすることがある。
御舟という人は、精神的に安定感があり、温和な人だったのではないだろうか。

描かれた花鳥の優美な線を見ながらそう思った。

以前九段にあったときは、至って小ぶりの美術館で、コストパフォーマンスはいいとはいえない感もあったが、新美術館は予想外に広かった。

サイト情報によると、展示室床総面積: 751.79㎡。
丁度赤坂の旧サントリー美術館が525㎡で、ミッドタウンに07年にオープンしたサントリー美術館が1,000㎡というから、その中間程度の広さということになる。


山種証券株式会社の創始者 山種二氏がコレクションを開始し、実際に画家との交流をまじえつつ収集したものだという。
そういう意味で、出光美術館とだぶるものがある。

山種証券株式会社は、現在、SMBCフレンド証券株式会社という名称に変わっている。
同じく種二氏が創設した山種物産株式会社は、株式会社 アサヒトラスト。

株式会社ヤマタネは、今でもその名称で存続しているけれど、今では「ヤマタネ」といえば、真っ先に美術館が浮かぶ、という人は、私だけではないだろう。


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駒沢通りを歩いて、まだかなーと思う頃、「山種美術館 もう少し先の右側です」という張り紙が見えてくる。
近所の人から道を頻繁に聞かれたための対策なのかもしれないけれど、なんとなくなごむ張り紙だ。

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2009.11.21 Sat | Art| 0 track backs,
野寺さんのブログに思わずツッコミを入れた人
先日野寺秀徳選手のブログに、キティちゃんが自転車に乗るキーホルダーの写真と野寺さんのナイスなコメントがエントリーされていて、それについて少し触れたところ、直後にこんな突っ込みが。

ところで野寺選手紹介の宇都宮キティ選手、よく見ると足が微妙にペダルに
届いていないんですよ…。 気合で乗るのでしょうか? 誰か突っ込んで
あげた方がいいかと思うのですが。 ブレーキング後に捻挫してしまうかも
しれませんね~。(From Iさん)



野寺さんの着眼点もさることながら、Iさんの目の付けどころも楽しいのですが。

私はキティちゃんの足先までは、気付かなかった。

そこで、野寺さんのブログの写真を再度見てみることにする。

本当だ。確かにビミョー。

こんなところによく気づいたものだと感嘆していたら、どうやらほかにも同じ思いの人はいたようで、同様のコメントがその後ついていた。
2009.11.21 Sat | Private| 0 track backs,
ボーヌのオテルデュー (フランス・ブルゴーニュ地方)
フランス回想)
2007年、ツール・ド・フランスがブルゴーニュ地方を訪れた際、宿をボーヌにとり、オテルデューを訪問した。

この場所は11月に行われる「栄光の三日間(Les Trois Glorieuses)」と呼ばれる催しで行われる、ワインの競りが有名、などと聞いたことがあり、訪問するのはこれで2度目。

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Hôtel-Dieuオテルデュー というのは神様の宿という意味なので、初訪問の際、ホテルとして使われていた建物を公開しているのかと思ったら、元病院=救済院なのだった。

ホスピタル(Hospital) とかホスピス(Hospice)の語源は 「host, hostess」といった意味をもつラテン語のhospes。

もてなしを表すホスピタリティ(Hospitality)も同様に、hospes=「host, hostess」という言葉から派生している。

つまり、病院=Hospitalもホテル=Hotelも、根底にHostとかHospitality (もてなし)というニュアンスを背負っており、もてなしする場所がホテルで、救済する場所がホスピタルという現在の意味の区分が成立する前の過渡期には、ホテルという言葉が救済院として使われていたとしてもおかしくない。

ちなみに、ホスピタリティの語源となったホストはラテン語のhostis=敵、からきているというのだから、ここまでくると、よくわからない。なぜ敵が迎える主人という意味に変化したのか。

唯一明確なことは、このhostisというラテン語は、Hostility=敵対心という言葉として、今も脈々と息づいている。


ところで、このオテルデューの起源は15世紀半ばにさかのぼる。
案内板にあるように、法王とブルゴーニュ公の支援のもと設立に至った。


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中に入るとすぐ、礼拝堂になっている。
病む者の心を限りなく癒したに違いない。

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ベッドは壁に沿ってずらりと並んでいる。
パイプむきだしの素っ気ないベッドを想像していたら、軽く裏切られた。

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医療用の器具の展示もあり、注射針・注入器とおぼしき道具がケースに並ぶ。

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こちらは薬瓶。
整然と戸棚にしまわれていた。

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こちらは病人、スタッフの食事をまかなっていた台所。
人形を用いて、当時の様子を再現。

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壁にかかるキリストの絵は、キリストがおこした奇跡の数々を伝えていた。
キリストのお陰で病が治癒した、といった伝説を表したもの。
病人にとって希望は薬に違いない。

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当時の様子がしのばれる。

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P1100692観戦の合間に観光

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2度目の訪問とはいえ、毎回見ごたえを感じる。

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2009.11.21 Sat | Travel-France| 0 track backs,
出張土産
某国の首都から出張者が続々帰国。
で、そのお土産の包み紙をいちいち保管している私。

”某国の首都”は、ロードレースプロチームのチーム名になっている。
そんなわけで、ちょっと捨てがたい。


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2009.11.21 Sat | Society| 0 track backs,
ツール・ド・フランス トリビアその2  ツールに心酔し、アトリエで実況放送を聞くのを楽しみにしていたダリ
先日兼高かおるがスペインのシュールレアリズムの画家サルバドール・ダリと面会した場面を再放送で見て、驚いた話を書いた。

ダリといえば、彼もまたツールの大ファンだった。

 「私にえもいえぬ喜びを与えてくれる唯一のスポーツは、厳密にいえば自転車競技だ。具体的にいうと、ツール・ド・フランスである」、、、
そんな言葉を残している。

彼がツールの大ファンだったことは余り知られていないが、アトリエでラジオ放送を聞くのを心待ちにしていたといい、1959年、オフィシャルポストカードのために筆をとっているほどだ。

当時のオフィシャルポストカード、今でも残っているものがあるとしたら、相当なお値打ち品のはずだ。


そのほかにも、一流の作家・芸術家たちがこぞってツールのことを書いたり、描いたりしている。ツールの細部を探せばきらめく星のごとく魅惑的な題材がちりばめられている。ふところの深いスポーツだと思う。


写真は今年のツール・バルセロナステージ。カタルーニャの旗があちこちでひらめいていた。
ダリもカタルーニャの人だ。

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2009.11.20 Fri | Cyclde Road Race| 0 track backs,
アルベルト・コンタドールがアスタナ残留に一歩前進。ところで新マネージャー、イヴォン・サンケル(Yvon Sanquer)って誰だ?
今朝、小ネタで入れたニュース(下記***以下を参照)に関してちょっと考察。

2010年度プロロードレースチーム「アスタナ」のマネージャーにイヴォン・サンケルという人物が突如就任することになった。

この馴染みのないサンケル氏とアスタナの結びつきってなんなのだろう?・・・と考えてみた。

彼がトッププロロード界に貢献したのは1999-2001年、新生フェスティナの監督としてのこと。それ以降、なにをしていたのかさっぱりわからない。

1999年フェスティナに注目してみると、カザフスタンのアンドレイ・キヴィレフが在籍していた。

キヴィレフは、のちにレース事故で亡くなるのだが、現アスタナチームのアレクサンドル・ヴィノクロフ選手とは同郷で無二の親友だった。キヴィレフ経由でヴィノクロフがサンケルの名前を耳にしていて、アスタナスポンサーに推薦したという可能性はあるまいか?

ちなみに1999年、ヴィノクロフはフランスチームカジノ(AG2Rの前身)に所属していた。



*** コンタドール、来季のチームの動き ***

ツール・ド・フランスの今年の覇者で、3大ツールを制したスペイン人アルベルト・コンタドールがアスタナチーム残留の方向で動き出した。ただし、チームが来季もプロツールライセンスを取得できたら、という前提条件がついている模様。

決断に向けて背中を押したのはチームの新体制ではないかといわれている。

今季のチーム主要メンバーが新チームラジオシャックに移るのを受け、前監督ブルイネール色が一掃されただけでなく、かつて敏腕監督としてランプレを支えたジュゼッペ・マルティネッリが監督に就任したのだ。

マルティネッリといえば、ダミアーノ・クネゴの育ての親。ランプレ離脱後、どこの監督になるのか去就が注目されていた。

さらに、かつてスキャンダルに見舞われたあと、イメージ向上につとめていたフェスティナに監督として在籍していたサンケル氏がマネージャーに就任することになった。
2009.11.20 Fri | Cyclde Road Race| 0 track backs,
フィレンツェ メディチ家礼拝堂 アンナ・マリア・ルイーザの彫像
フィレンツェのメディチ家礼拝堂裏手の庭には、アンナ・マリア・ルイーザの彫像がある。

この女性は、メディチ家の家系の最後の一人。
彼女を最後に家系が途絶えたのだそうだ。

メディチ家礼拝堂庭には、最後の相続人の彫刻がある、という話は聞いていた。
写真は見たことがなかったのでどういうものかは知らなかったが、白亜の華麗な女性の像だった。

以前書いた話に戻るけれど、旅行前、全て完璧に調べて行くのと、少し現地でのサプライズの余地を残しておくのと、まったく何も知らずにまっさらな気持ちで訪れる、といった3通りの楽しみ方がある。

私の場合、やっぱり、知識は少しだけ携えて、ビジュアルは現地に行ってからのお楽しみ、というのが性分に合っているようだ。

ということは、あまり写真のないガイドブックが最適、ということか。


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2009.11.20 Fri | Travel-Italy| 0 track backs,
乳がん検診 : マンモグラフィー不要論について
本ブログで乳がん検診の話(無料検診にエコーが必要かどうか)を書いたその日に、日経でマンモグラフィー不要論が出ていた。
同じニュースを読んだMogさんから、その意見に反対の旨メールがきた。

ピンクリボン活動などで、マンモグラフィーを受けようといった動きが日本で出始めた矢先、アメリカで反対論とは。

誤診を理由に、となっているけれど、放射線を不用意に当てることに対する抵抗感なのではないかという気もする。

胸部X線よりも線量が多いはずなので、頻繁に使用するのはよくないという人もいる。けれど、放射線への懸念ということでいえば、胃のバリウム検査などにもそれは言えること。

心配なら、エコーとマンモを交互に利用すればいい。

エコーにも弱点があり、マンモと相互補完することにより精度は上がるはず。

マンモ廃止は性急すぎる。

(From Mogさん)

Yahooで乳がん検診についてこんな記事が。
40代の検診率は高いのでしょうが、
受診の利益より、誤判定や過剰診断のリスクの方が多いなんて、
どうも納得いかないです。

誤判定によるリスクは再検査やセカンドオピニオンで、
カバーできると思います。
過剰診断によるリスクってよくわかりませんが、 
早期発見、早期治療の実現には、今のところ定期検診以外に
方法がないように思います。


以下Yahooより。


 乳がんマンモ定期検診で議論沸騰=40代勧めず-米政府作業部会
 11月18日10時57分配信 時事通信

 【ワシントン時事】米政府の予防医療作業部会は17日までに、
乳がんの早期発見に有効な乳房エックス線撮影検査(マンモグラフィー)
に関して、40代の定期検診は勧めないとの勧告を発表した。
誤判定や過剰診断などを理由に挙げている。

 同部会は2002年に40歳以上の女性に対して、隔年で同検診を受けるよう勧めて
いただけに、新たな見解の是非をめぐって議論が沸騰。
ハーバード大学医学部のコパンズ教授(放射線医学)はワシントン・ポスト紙
に「マンモグラフィーは何万人もの命を救ってきた。ひどい勧告で非論理的だ」
 と批判している。

 作業部会は16日に発表した勧告で、「誤判定や過剰診断によるリスクと受診によ
る利益を比較した場合、40代はリスクがほかの年齢層より高い」と指摘した。
 ただ、部会はマンモグラフィーの効用を否定しているわけではなく、
 「50~74歳の女性は隔年で受けるべきだ」ともしている。 

2009.11.19 Thu | Society| 0 track backs,
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