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日常風景 * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
イタリアから届いた便り
チェルヴィニャーノ回想(以前の話の続き)
アクイレイアの遺跡を見たあと、てくてく8kmの道のりを国鉄最寄駅チェルヴィニャーノまで歩いた。3時間待てばバスの便があった。でもそれだと次の目的地トリエステ行きの列車をわずか5分の差で逃してしまう。列車は1時間~2時間に1本しかない。

歩けば1時間半で到着。(バスなら10分だけど)そうすると、1時間半待てばトリエステ行きの列車に乗れる。バスより1本早い便に乗れるというわけ。

で、チェルヴィニャーノに着いて、腹ごしらえを考えた。でもこの町、冴えない。表通りのカフェは、この看板からしてなんかシケてる。

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おなかすいたけど、気の利いた店はなく。歩きつつ考えた。

15時にはこの場所にジロ(ロードレース)の選手たちがやってくる。観戦はここで妥協しようか。トリエステまで行ってゴールを見るより楽だ。トリエステから宿のあるウディネまでの列車がストだから、帰りはまたチェルヴィニャーノまで戻って、そこからウディネ行きのバスで1時間かけて帰ることになる。

迷う。どうしよう。と、そこへジロの応援グッズを持ったおじさん3人組が通りかかる。ちょっと聞いてみよう。

私: ジロってこの町にくるんですよね?
おじさん: うんくるよ。
私: この辺、観戦ポイントでいい場所あります?
おじさん: ああ、あのロータリーあたりがいいんじゃない?

礼を言って、とにかく鉄道駅で時刻表を再確認しよう、と歩き出す。
するとそのおじさん3人組も同じ方向へ。
バールにいくらしい。

おじさん: 一緒にバールに来る?まだジロがくるまで時間あるよ。
私:これからトリエステでゴール見ようと思うんです。あそこなら4周回走ってくれるから、見ごたえあるし。でもウディネ~トリエステ間の列車のストのせいで、滞在時間は2-3時間だけど。

おじさん: トリエステ行きの列車は何時?
私:あと1時間半後。
おじさん:じゃあ、バールに一緒にくるといい。

くっついていったら、裏道に、なんともこぎれいで広いバールがあるじゃないか。
こういうのは通りすがりの観光客には見つけられないな。つい表通りを探してしまうから。

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店内の様子は以前のエントリーにて(ここ)

そこで勧められたのがスプリッツ。「この辺の名物さ。白ワインの水割り。白ワインがとにかくここのはうまいんだ。スペルはSplitz。この地方の呼び名だよ」

・ アクイレイアはローマ帝国に次ぐローマの遺跡なんだ、でも掘り起こし始めたらきりがなくてお金もないから、ほとんど発掘はしていない。

・ 自分は国鉄職員だった。退職して、国鉄は運賃たださ。(でも現役時代から無料だったんじゃないの?と言うと) そうなんだ。大人になってから電車に乗るときお金を払ったことがない、と。

・ フェラーリという僕の名前は、南の名前、この地方にはないんだ。

・ このバールには、山岳が趣味の人がいて、奥の部屋の山岳の写真が見ごたえあるよ、、などなど。

なぜか店内にはキティちゃん。

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ひとりが全員の分ごち。計7ユーロ。なんたる安さ。全品1ユーロ??
ジャンルーカさんがやおらバールのメモ帳にメルアドを書いて、メールおくれよ、と。
(手元にあるのがジロの応援グッズ)

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バールから国鉄駅まで大体の方角はわかっていたのだが、フェラーリさんが念のため駅まで見送ってくれた。
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律義な私は帰国後、メールでジャンルーカに写真を送った。返事がきた。

Molto gentile x le foto .le invio 3 foto del giro che passava x Cervignano ancora tanti cari saluti da parte mia e dal sig ferrari

写真の御礼と、あの日おごってくれたフェラーリさんからもよろしくと言付かっていると。
で、自分が撮った写真を送ってくれた。(↓) あの日、チェルヴィニャーノをプロトンが通過したときのもの。なんだかジロというよりローカルレースみたい。

応援する姿がほのぼのしている。あのおじさんたちもあったかかった。

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2009.06.05 Fri | Travel-Italy| 0 track backs,
治る見込みのない人の河岸
須賀敦子の「地図のない道」の中に、 作者がヴェネツィア・ザッテレの河岸で「治る見込みのない人の水路」(リオ・デリ・インクラビリ)を見つけてひどく驚く、という場面が出てくる。

治る見込みのない人・・とは、なんと残酷なネーミング、と憤慨するのだ。

その水路がかつてあったとされるザテッレに行ってみて、あのくだりはエッセイではなくてストーリー的部分なのだろうな、という印象をもった。

というのも、そんな小さな水路を見つけなくとも、どかーんとこの一体自体が何百mにもわたり、「フォンタメンタ・ザテッレ・アリ・インクラビリ=治る見込みのない人にささげるザテッレの河岸(*)」という名前だったのだ。

よく読んでみると、「地図のない道」には実際、こんな一文がある。
「Fondamenta degli incurabili フォンダメンタ・デリ・インクラビリというタイトルの小さなエッセイ集がある。フォンダメンタというのは河岸の意味で、ちょうど私の目の前にとまったリオにかかる橋の当たりがそう呼ばれている。」

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治る見込みのない人のザテッレの河岸
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治る見込みのない人の橋
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「治る見込みのない人」なんていうネーミングがされたのは、当時そこにそういう名の病院があったため。当時人口10万人中1万人存在したという娼婦が梅毒にかかった際、入れられたらしい。今ではその病院は建て替えられ、いわゆるフランスでいうところのボザールというか芸術学校になっている。場所は河岸のそばではなく、アカデミア橋よりの方。

須賀さんが行ったとされるザテッレのカフェはどれだろう。いくつか海に面して心地よさげなカフェがあった。

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河岸からの眺め。レデントーレ教会が確かによく見える。真正面ではないけれど。

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あちこちに見られるソットポルテゴ=建物同士をつないだようなトンネル。ここは海が見えるソットポルテゴ。くぐるとザテッレの河岸に出る。

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(*) - ”デリ=Degli”でなく”アリAgli”だから、「治る見込みのない人に捧げる」、みたいな意味が入るのかなぁ、と思った。
2009.06.05 Fri | Travel-Italy| 0 track backs,
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