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日常風景 * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
アジサイ狩り
駅を出て商店街を歩き始めたら、AED(自動体外式除細動器)の看板が目に飛び込んできた。ややするとほどなく2つ目のAED。そして次から次へ。やたらあちこちに置いてある。ここは巣鴨。おばあちゃんの原宿といわれる場所。

白山神社にアジサイを見に出かけたのだけど、その前に巣鴨に寄り道。この日は偶然「すがも商人祭り」なる催しをやっていた。歩きながらスタンプを集めたら、最後にくじびきを引いてください、と。

結果はハズレ。ハズレの景品は、、、50円。ん???なんだこりゃ?驚いた。こんなの初めて。現ナマがハズレの賞品だなんて。1等賞は5000円の商品券らしい。

巣鴨っておもしろいな~。その後歩いて白山神社へ。アジサイ祭りまっただなか。
ここのアジサイが見事、と聞いてやってきた。
去年の鎌倉長谷寺は絶景の中咲き誇るアジサイが素晴らしかった。

けれど白山神社も頑張っている。なにより種類が豊富。近所では見かけないような珍しい花の競演を楽しんだ。

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この1枚だけ、神社の界隈にある東洋大学のキャンパスにて。あじさい祭りを町中で盛り上げている。
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2009.06.07 Sun | 国内探索| 0 track backs,
フォンダメンタ・ヌオーヴェから船で、「愛してる」の光景
ヴェネチア回想
9時ヴェネチアのマルコポーロ空港に到着。ネット予約していたバス・ヴァポレット1週間乗り放題のチケットを空港の観光所で入手。これでヴェネチアの玄関口・ローマ広場行き市内バスも無料になる。

(空港専用バスはこれでは乗れない。普通の市内バスのみ。でも両者は時間的に変わりない。)

そこから先は、やはりこのフリーパスでヴァポレット(水上バス)に乗船。リアルト橋へ。

ちなみに、バスに乗らず、空港から直接ターミナル専用ヴァポレットでサンマルコ広場に入る手もある。これだと料金2000円弱。チケットは空港で荷物が出るのを待つ間、自動販売機で買えるようだった(バゲージクレームのターンテーブル脇に自販機あり。)

宿にチェックインののち、すぐに向かったのがフォンダメンタ・ヌオーヴェ。この日の目的地ブラーノ島とトルチェッロ島に行くには、この船着き場が起点となる。

最寄駅リアルト橋からヴァポレットでフォンダメンタ・ヌオーヴェまで行くと、相当迂回するので歩いて最短距離を歩くことに。断然こっちのほうが近い。ところがこれが迷う・迷う。というか、運河だらけでこっちの方向に行きたいのに、道がない、そんな状況で、右に左に迂回し続けるともう方向がわからなくなる。

こんな狭い路地があったり

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なんか寂しくなるような魚屋さんがあったり。

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まあ初日なので、なるがままにまかせ、そのうちたどり着いた、フォンダメンタ・ヌオーヴェ。ヴェネチアの裏側といった風情で、だだっぴろいのに人がいない。殺伐、とまではいかないけど、枯れた光景だ。これもヴェネチア?

金網越しに、小さな島が見える。建物でできた島、という感じ。なんだろう?地図で調べるとサン・ミケーレ島とある。島全体が墓地という、あれだ。

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フォンダメンタヌオーヴェの河岸のうらさびしい空気だとか、鬼気迫るお墓の島についての記述をどこで目にしたのだっけ?と帰国後調べてみたら、これまた須賀敦子の本だった。

(出発前、陣内さんの本はしっかり読んでいったものの、須賀敦子の本を読み返すことなく行ったので、現地では本の中の情景と目の前のものがなかなか合致しなかった。)

以下抜粋:
『うらさびれた空気が、海岸沿いの道路にも、家々のたたずまいにも、たちこめている。。。周辺にただよう、人の世にとり残されたようなこのうらぶれた雰囲気は、波止場の真向かいに見える小さな島からやってくる。その小さな島、サン・ミケーレは、ヴェネツィアの墓地の島なのである。 ~ “地図のない道 ザテッレの河岸で”』

『同じ河岸の海をへだてた正面にあるサン・ミケーレ島に行こうとしていた。いっしょに来ない?と誘われたのを、私は断った。死者がやすらう街を、元気な友人たちと歩きまわる気になれなかったのと、その朝を逃すと、この旅のあいだにトルチェッロに行く時間は他に確保できないことを知っていたからだ。 ~ “時のかけらたちヴェネツィアの悲しみ”』

船に乗ると、この島が目の前に迫る。こぎれいだけど、果てしなく異様。

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さらに進むと、島を囲む壁に落書きが見えた。こんなところにまで落書きとは・・・

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よく見ると「TI AMO=アイシテル」って。

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2009.06.06 Sat | Travel-Italy| 0 track backs,
イタリアから届いた便り
チェルヴィニャーノ回想(以前の話の続き)
アクイレイアの遺跡を見たあと、てくてく8kmの道のりを国鉄最寄駅チェルヴィニャーノまで歩いた。3時間待てばバスの便があった。でもそれだと次の目的地トリエステ行きの列車をわずか5分の差で逃してしまう。列車は1時間~2時間に1本しかない。

歩けば1時間半で到着。(バスなら10分だけど)そうすると、1時間半待てばトリエステ行きの列車に乗れる。バスより1本早い便に乗れるというわけ。

で、チェルヴィニャーノに着いて、腹ごしらえを考えた。でもこの町、冴えない。表通りのカフェは、この看板からしてなんかシケてる。

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おなかすいたけど、気の利いた店はなく。歩きつつ考えた。

15時にはこの場所にジロ(ロードレース)の選手たちがやってくる。観戦はここで妥協しようか。トリエステまで行ってゴールを見るより楽だ。トリエステから宿のあるウディネまでの列車がストだから、帰りはまたチェルヴィニャーノまで戻って、そこからウディネ行きのバスで1時間かけて帰ることになる。

迷う。どうしよう。と、そこへジロの応援グッズを持ったおじさん3人組が通りかかる。ちょっと聞いてみよう。

私: ジロってこの町にくるんですよね?
おじさん: うんくるよ。
私: この辺、観戦ポイントでいい場所あります?
おじさん: ああ、あのロータリーあたりがいいんじゃない?

礼を言って、とにかく鉄道駅で時刻表を再確認しよう、と歩き出す。
するとそのおじさん3人組も同じ方向へ。
バールにいくらしい。

おじさん: 一緒にバールに来る?まだジロがくるまで時間あるよ。
私:これからトリエステでゴール見ようと思うんです。あそこなら4周回走ってくれるから、見ごたえあるし。でもウディネ~トリエステ間の列車のストのせいで、滞在時間は2-3時間だけど。

おじさん: トリエステ行きの列車は何時?
私:あと1時間半後。
おじさん:じゃあ、バールに一緒にくるといい。

くっついていったら、裏道に、なんともこぎれいで広いバールがあるじゃないか。
こういうのは通りすがりの観光客には見つけられないな。つい表通りを探してしまうから。

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店内の様子は以前のエントリーにて(ここ)

そこで勧められたのがスプリッツ。「この辺の名物さ。白ワインの水割り。白ワインがとにかくここのはうまいんだ。スペルはSplitz。この地方の呼び名だよ」

・ アクイレイアはローマ帝国に次ぐローマの遺跡なんだ、でも掘り起こし始めたらきりがなくてお金もないから、ほとんど発掘はしていない。

・ 自分は国鉄職員だった。退職して、国鉄は運賃たださ。(でも現役時代から無料だったんじゃないの?と言うと) そうなんだ。大人になってから電車に乗るときお金を払ったことがない、と。

・ フェラーリという僕の名前は、南の名前、この地方にはないんだ。

・ このバールには、山岳が趣味の人がいて、奥の部屋の山岳の写真が見ごたえあるよ、、などなど。

なぜか店内にはキティちゃん。

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ひとりが全員の分ごち。計7ユーロ。なんたる安さ。全品1ユーロ??
ジャンルーカさんがやおらバールのメモ帳にメルアドを書いて、メールおくれよ、と。
(手元にあるのがジロの応援グッズ)

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バールから国鉄駅まで大体の方角はわかっていたのだが、フェラーリさんが念のため駅まで見送ってくれた。
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律義な私は帰国後、メールでジャンルーカに写真を送った。返事がきた。

Molto gentile x le foto .le invio 3 foto del giro che passava x Cervignano ancora tanti cari saluti da parte mia e dal sig ferrari

写真の御礼と、あの日おごってくれたフェラーリさんからもよろしくと言付かっていると。
で、自分が撮った写真を送ってくれた。(↓) あの日、チェルヴィニャーノをプロトンが通過したときのもの。なんだかジロというよりローカルレースみたい。

応援する姿がほのぼのしている。あのおじさんたちもあったかかった。

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2009.06.05 Fri | Travel-Italy| 0 track backs,
治る見込みのない人の河岸
須賀敦子の「地図のない道」の中に、 作者がヴェネツィア・ザッテレの河岸で「治る見込みのない人の水路」(リオ・デリ・インクラビリ)を見つけてひどく驚く、という場面が出てくる。

治る見込みのない人・・とは、なんと残酷なネーミング、と憤慨するのだ。

その水路がかつてあったとされるザテッレに行ってみて、あのくだりはエッセイではなくてストーリー的部分なのだろうな、という印象をもった。

というのも、そんな小さな水路を見つけなくとも、どかーんとこの一体自体が何百mにもわたり、「フォンタメンタ・ザテッレ・アリ・インクラビリ=治る見込みのない人にささげるザテッレの河岸(*)」という名前だったのだ。

よく読んでみると、「地図のない道」には実際、こんな一文がある。
「Fondamenta degli incurabili フォンダメンタ・デリ・インクラビリというタイトルの小さなエッセイ集がある。フォンダメンタというのは河岸の意味で、ちょうど私の目の前にとまったリオにかかる橋の当たりがそう呼ばれている。」

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治る見込みのない人のザテッレの河岸
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治る見込みのない人の橋
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「治る見込みのない人」なんていうネーミングがされたのは、当時そこにそういう名の病院があったため。当時人口10万人中1万人存在したという娼婦が梅毒にかかった際、入れられたらしい。今ではその病院は建て替えられ、いわゆるフランスでいうところのボザールというか芸術学校になっている。場所は河岸のそばではなく、アカデミア橋よりの方。

須賀さんが行ったとされるザテッレのカフェはどれだろう。いくつか海に面して心地よさげなカフェがあった。

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河岸からの眺め。レデントーレ教会が確かによく見える。真正面ではないけれど。

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あちこちに見られるソットポルテゴ=建物同士をつないだようなトンネル。ここは海が見えるソットポルテゴ。くぐるとザテッレの河岸に出る。

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(*) - ”デリ=Degli”でなく”アリAgli”だから、「治る見込みのない人に捧げる」、みたいな意味が入るのかなぁ、と思った。
2009.06.05 Fri | Travel-Italy| 0 track backs,
これからパドヴァに行く人のために
パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂は、入場制限があるので、バカンスシーズンにはネットで事前予約しておくと確実。

この礼拝堂は、パドヴァカードという市内交通乗り放題とその他特典付きカードがないと実質入れない。ネット予約の際も、現地で入場券を購入しても、どのみちこのカード(48hで15ユーロ)と予約料1ユーロが必要。

で、ネットで予約した場合、礼拝堂の窓口(市立美術館が礼拝堂の窓口になる)に行かずとも、このパドヴァカードを受け取ることが可能。以下私の場合:

・ウディネからヴェネチア経由鉄道でパドヴァに到着。
・すぐに駅の観光案内所へ。(出口付近)
・予約受付のアウトプットを提出
・パドヴァカード発行
・パドヴァカードを使って市電で宿の最寄駅へ
・同じくこのカードでバス/市電に乗り、宿から礼拝堂最寄駅へ
・市立美術館は休館日だったけど、入り口はオープンしていて、礼拝堂の受け付けをやってくれる。予約番号を見せ、あとは自分の番がくるまで待つ。

駅から礼拝堂は歩ける距離だけど、荷物があったので、駅から直行せず、宿に荷物を置きたかった。そんなとき、先にパドヴァカードを受け取っておくと、余計な交通費を払わずに済む。

2009.06.04 Thu | Travel-Italy| 0 track backs,
フェニーチェ劇場
ヴェネチア回想

ある日記者会見を終え、いつもと違う道で宿に戻ることにした。途中しゃれた建物を見つけ足を止める。

ああこれ、ジロのプレゼンが行われたフェニーチェ劇場だ。しかも裏口。今はここは搬入口になっているけど、かつて貴族たちは劇場まで自家用ゴンドラで乗り付けてやってきたので、ここが実質のゲートだったとかいう話。

2度も火事に遭い、蘇ったから不死鳥フェニーチェという名前になったそうだ。もともとの名前はサン・ベネデット。

2度のうち1度は、工事中の出来事だった。工期が守れないと悟った下請け業者が違約金を恐れて燃やしたのだとか。 (これまた陣内さんの本の受け売り。かえすがえす陣内さん、ありがとう。)

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はしけを渡ってその搬入口に行ってみる。へえ、ここは「マリアカラスの河岸」なんていう名前がついている。

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さて、表玄関へ、、と思いきや、これがどうやっても行けない。回り込もうとすると水路に阻まれる。ドイツ人夫婦が憤慨している。「信じられない、表口に行けない劇場なんて!」

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橋のあるところまでぐるりと迂回して路地をてくてく歩いたら、なんとか着いた。(悪態をついていたドイツ人夫婦は多分諦めたのじゃないだろうか。姿は見えない。)これが玄関。意外に小さい。

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劇場ツアーもやっているようだ。

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2009.06.03 Wed | Travel-Italy| 0 track backs,
「ヴェニスに死す」とインフルエンザ患者との出会い
5月の話。
ヴェニスに出発する前、国内外でインフルエンザ流行の話が取りざたされて、ことさら恐怖を感じたのにはワケがある。トーマスマンの「ヴェニスに死す」がいけなかった。

今年になって読んだこの小説には、ペストがヴェニスを不気味にむしばんでいく様子が描かれている。おかげで、水の都でひとり、またひとり、とインフルエンザ患者が増殖していくイメージが頭にこびりついてしまった。

実際、ヴェニス到着2日目にして、インフルエンザ患者と対面!なんていうドラマ(?)が待っていた。

(下記写真は持っていった予防道具。使い捨て手袋、以前鳥インフル対策用に会社から配布されたなんかすごそうなマスク、うがい薬、消毒ジェル。それに、写真にはないけど普通のフィルターマスク。)
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プレスルームで。

「あら、それってインフルエンザじゃない~」と ひどくのんびりした声が目の前で響いて、ぎょっとした。

私のプレスパス発行手続きをしていた女性の隣の隣を見ると、だるそうに腰かけている女性がひとり。
鼻水が出るせいか、鼻の頭が真っ赤。目はうるんでいて、激しく発熱している様子。
本当にこれはインフルエンザだ。

で、その次の瞬間、何が起こったかというと・・・

・・・ 何も起こらなかったのだ。

熱のある具合悪そうな女性は、そのままプレスパス発行作業を続け、周囲は何事もなかったかのようにまた仕事に戻った。
「病院に行ったら?」なんて言う人はひとりもいない。そのまま放置プレー。

「A型かどうか保健所に行って調べたら?」なんていうフレーズは、ヴェネチアっ子の思考回路の中には存在しない。

周囲では何十人もの人たちが働いていたけど、みな無関心。

泡を食ってその場からほうほうのていで逃げだした私は、宿でうがいと手洗い。その後数日間は、朝起きて、喉が痛くないかびくびくした。

そうなのだ。イタリアでは、豚インフルエンザなんて、その他大勢の風邪と同じ認識。感染者数なんて、数えちゃいないのだ。

ヴァポレットだって日本の通勤電車のごとく大混雑。いやーな湿った咳をしている人も多い。狭い路地ではあふれる人で前に進まない。こんな人口密度の高いところで、しかもこんなに無防備ならば、多分相当感染者を出しているのでは、と思った。

改めて「ヴェニスに死す」を思い出しつつ街角を歩いていたら、「黒い水の通り」なんていうのを見つけて、思わず身震いする。ますます不衛生なイメージをかきたてるではないか。

しかしよく見たら、「黒い水(acqua)」じゃなく、「黒い鷲(aquila)」だった。
(大文字にすると地震の被害を受けた都市ライクア(L’Aquila)になる)
神経質になり過ぎてる自分に苦笑。

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幸い体調に支障をきたすことなく帰国。
日本の報道ぶりを目にした途端、その余りの落差に混乱してしまった。

律義に感染者数を数え続ける日本:
どこ吹く風のイタリア:

成田で北米便だけ監視しても、国内だけでせっせと検査しても、封じ込めは万全とはいえない。世界をトータルで考えれば、ザル状態。
2009.06.02 Tue | Travel-Italy| 0 track backs,
ヴェネチア点景
見るのを楽しみにしていた『ヴェンドラミン・カレルジ』は、工事中。1481年のルネサンス様式の建築物らしいから、メンテナンスが大変なのだろう。現在カジノとなっているけれど、時代とともに所有者を変えながら、19世紀にはワーグナーが家族とともに暮らしたこともあり、ここで息を引き取ったと聞く。

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工事中でも、上記のように、建物の様子を覆いに描いてくれているところはまだ雰囲気がぶち壊れなくていい。↓ はひどい。。。ドカーレ宮殿が外装工事中だったのだけど、あのでかい広告はNGでしょう、ふつう。

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サンマルコに近い繁華街にある民家の扉を見て、思わず噴き出した。
「No Picnic」
恐らくこの家の玄関口の階段のところに座って、テイクアウトした食べ物をほおばり、たむろする観光者が後を絶たないのだろう。

でも、そういうものに対して真っ向から青筋立てるのではなく、「ピクニック禁止」なんていうちょっとユーモアをまじえてチクリとやるそのセンスが好き。

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ジャクソン・ブラウンがヴェネチアに来たって、別に驚きはない、、はずだけど、なんだか意外。

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2009.06.01 Mon | Travel-Italy| 0 track backs,
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