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日常風景 * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
「藝術の無限感」:中村彝
お正月に竹橋の近代美術館に行ったときのこと。
中村屋に集った画家たち、という特集をやっていた。
中村屋ってカレーやあんぱんだけではなかったのだ。
フランスでいえば、ル・ドーム、ラ・ロトント、ラ・クーポールとか。
つまり、文人、芸術家たちが集った場所。

エロシェンコの肖像画で知られる中村彝もこのサロンのメンバーだった。
展示は絵と彫刻に加え、ガラスケースのなかに中村彝の著書(というか死後編纂されたものらしい)「藝術の無限感」が開かれて置かれていて、ふと中をのぞいてみると:

「藝術には自然の如く無限が鎮座していなくてはならない。常識に目をまはさせるだけの無限がなくてはならない。超感傷的な意思だけがよくそれをなし遂げることが出来るのだ。それは美や正義よりも均衡を、愛よりも本能を、個人よりも運命を、職業よりも性格を、女よりも牝を、外貌よりも解剖を、肉体よりも構成を、肉色よりも色調を、固形体よりも対比形を、物質よりも律動を基脚とすることだ。山や草木や家よりも、太陽、風、水、微分子、霧雲、空気、狂気、毒気、霊気に根をおろすことだ。」(実際の本文は昔の漢字を使用。)

というくだりが読めた。
”画家”というより、”思想家”が信念を具現化するために創作をした、そんな印象。

文章が気に入ったので、その後図書館に行った折、本があるかどうか確認した。なんと貸し出し中。一体どんな人が借りるのだろう?と自分のことを差し置いて思ったりした。
もしかしたら近代美術館に足を運んで好奇心にかられた人?私みたいに。

ようやく予約の順番がきて、借りてぺらぺらめくっている。

評論だけでなく、無限というテーマと対峙し、理想に掲げながらも、目先の心配事に心をかき乱される弱さを露呈させつつ、繊細な音色を奏でる詩の数々もあった。たまにはこういうのも悪くない。ちょっとレトロな気分。
2009.02.06 Fri | Books| 0 track backs,
年賀状の話から
先日の年賀状の話から。


* Email From なまはげ74さん

理不尽なクレームをつけるお客さんって、何処の世界にもいるんですね。
私は某公共交通機関に勤めていますが、ご多分に漏れず理不尽クレームのオンパレードです。

最近激増傾向の事故(いわゆる飛込み)での見合わせや遅延時の罵声は極々日常的。
乗り遅れ乗車券や定期券の期限切れすら、払戻せとかチャージで通勤した分を返せと言われます。

この分だと、見逃したテレビ番組を放送し直せとか、忘れてて賞味期限が過ぎた食品を交換しろ等と言ってくる人も出てくるでしょうね(もう居るかも)。
もちろん、製造業やサービス業の倫理観やコンプライアンス意識の低下で消費者が敏感になっている節はありますが、自己の過失を他へ転嫁し、それも意識的ではなく極当然の様にしているのです。
これは世代は関係ありませんが、意外と団塊世代に自己中心的な方が多いと感じます。

世知辛い世の中ですね。

以上


日本は俺たちが支えている、と肩で風切っているサラリーマン=横柄ってことよく感じます。

外出先で腸閉塞になって七転八倒の痛みに襲われたときのこと。上司に連絡して早退させてもらうことになり、交差点でタクシーを捕まえようとしてた。

タクシーがこういうときに限ってなかなか来なくて、もうくらくらして地べたにしゃがみそうになっていたそのとき、やった!やっと来た!と手を上げて合図をしたら、、、
突如3人組のサラリーマンがきて、私の2m先に走って駆け込み、折りしも前方からやってきたタクシーにぶんどるかのように乗っちゃったことがありました。
(みなさん、とある世界をまたにかけた大企業の封筒や袋を持参されておられました。)

自分たちは大事な案件があるから、青息吐息の病人よりも偉いのだ、という態度。
タクシーがそのあとなかなか来なくて、そのときの3人の行為が、この世のものとは思えぬほど残酷な仕打ちに思え、、、

以来大手町の○○○○(株)の社員を見るたびに、反射神経的に青筋が立つ私です。
2009.02.06 Fri | Society| 0 track backs,
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