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日常風景 * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
ヴェネツィアのコルティジャーナ
かつて中世ヴェネツィアの人口の1割がコルティジャーナだった、
そんな話を聞いたことがある。
コルティジャーナとはイタリア語で、素養を兼ね備えた高級娼婦のことで、複数形はコルティジャーネとなる。

この言葉は、須賀敦子さんの著書「地図のない道」において、存在感をもって登場する。
ヴェネツィアの風景を見ながら遠い時代のコルティジャーナたちの境遇に思いを馳せる。
イタリア通の須賀さんならではだ。


本書では、こんな衝撃的事実も提示される:

・インクラビリ(治る見込みのない人の施設)などというとてつもなく露骨な表現を使った施設がかつてあった。
伝染病を患う娼婦たちを隔離して押し込める施設のことだ。

・ヴェネチアの当時の人口は約10万人。うち1万人が娼婦だった。

・ユダヤ人隔離地域ゲットーという言葉の由来はイタリア語であり、しかも最初期に隔離政策を施したのがヴェニスであった。この言葉自体、ヴェネツィア発祥のものであるらしい。

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ほかに須賀さんの著書「トリエステの坂道」に出てくる伝染病隔離施設「ラッザレット」が、ヴェネチアにもあったようで、
ラッザレット・ヴェッキオと呼ばれるヴェネチア周辺のその島は、まるごと疫病感染者放置場所であったと聞く。


今でも、ときおり見かける通りの名前などにかつての隔離施設の跡がうかがわれる。
ヴェネチアの表向きの顔とは好対照をなすこうした影の部分は、
怪しげな吸引力を内包しつついまも人知れずその名残をとどめている。


さらに塩野七生さんの「緋色のヴェネチア」にもコルティジャーネが登場し、
当時のヴェネチアを描くには不可欠な要素だったことがやはりうかがわれる。


ちなみに、NHK BS1 朝8:00の『私の1冊 日本の100冊』の中で、須賀さんの上述の本「地図のない道」が紹介された。

番組中、本書を紹介したのは福岡伸一氏(生物学者・青山学院大学教授)。
とくに福岡氏のお気に入りは同書に収められている「ザッテレの河岸で」。
彼女の文章に建築物のような秩序を見出し、須賀敦子がすべてを語ることはしなかった宗教観に思いを馳せていた。


↓さて、 昨日もらったメールを引用させて頂く:

Aさんからのメール

塩野七生さん、日本の女性作家にはちょっと無い、抒情性を極力排した硬質な文章を書かれますね。
といいつつ、『ローマ人の物語』(新潮社)に取り掛かる決意を、まだ持てずにいるのですけれど。(笑)

女性よりは男性にファンが多いのか、ビジネス雑誌などによく対談で登場なさいます。

「歴史上の人物や出来事を、現代の政治経済に結びつけて語りたがる」傾向が世のビジネスマン諸氏にはおありのようで、故に、彼女に天下国家を語らせたがる編集者が多いのではないかと推察します。

ともあれ。

「ヴェネツィアが呼んでいる」のならば、『海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年』(中央公論社)を読まねばなりません。
しかし、これとて最初は取っ掛かりが悪いかも。
第一章は、土木から始まりますから。
これを征服出来れば、『コンスタンティノープルの陥落』 『ロードス島攻防記』『レパントの海戦』(新潮文庫)の三部作に挑む勇気も湧いてくるというもの。

でも、『ルネサンスの女たち』などの短編集や、歯に衣着せぬエッセイなどから進まれても良いかもしれませんね。

塩野女史の著書を読みだした後に、須賀さんに巡り合いました。
須賀さんの方が年上(九歳差)ではあるものの、お二人ともイタリア生活が長く、どちらも御主人はイタリア人。

無理は承知で、つい、お二人を比べてしまったりするのです。
庶民としてミラノに暮らした須賀さんと、フィレンツェやローマで執筆に勤しむ塩野さん。
抑制された端正な文章でひとびとのシルエットを浮かびあがらせる随筆と、英雄たちや歴史上の人物を格調高く謳い上げる歴史小説と。

御主人の死後帰国して教鞭をとる傍ら、翻訳で文章力を磨きあげ、遅咲きの花を咲かせた須賀さんが、塩野さんの文壇での活躍をどうご覧になっていたのか。

「好き嫌いのはっきりした」性格だったという須賀さんの塩野評を、聞いてみたかった気が致します。

まぁ、こんなことは第三者の勘ぐりであって、「イタリア」という大まかなくくりでお二人を語ること自体が、間違っているのでしょうけれど。

2008.11.14 Fri | Books| 0 track backs,
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