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日常風景 * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
須賀敦子 「ヴェネツィア案内」
須賀敦子 「ヴェネツィア案内 新潮社とんぼの本」を読んでみたら・・
「地図のない道」の内容がそのまま収められていた。

インクラビリ( なおる見込みのない人たちの)の水路・病院の話の後に
高級娼婦を題材にした展覧会を見たくだりがでてきて、
それで、2つのものが頭のなかですぐさま繋がった。
順序が逆で、展覧会の話が先だったら、種明かしされるまで気づかなかったかもしれないけれど。

それにしてもいっとき娼婦の数はヴェネチアの人口の1割にも及んだという話に唖然。
そういえばカサノヴァもヴェネチア出身か。
過去に一度だけ訪れたヴェネチアは、あっけらかんとした観光地の顔だったけど、実は奥深そう。
ゲットーの存在などまったく知らなかった。

ヴェネチアにいきたくなった。
来年、ジロのスタートはヴェネチアのリド島。
そしてそのあとはトリエステに向かう。
なんだか誘われている気がする・・・のは気のせい?


p.s.須賀敦子、「 こうちゃん」(河出書房新社) という本も出しているらしい。


■■■■ メールその1 ■■■■

須賀さん、やはり良い文章は人を惹き付けて止みませんね。


さて、大竹さんの「須賀敦子のヴェネツィア」。
ご存じでしょうが姉妹本がありまして。
以下全て河出書房新社から、タイトルは「須賀敦子の○○」。
「ヴェネツィア」「ミラノ」「ローマ」(大竹昭子・文写真)
「トリエステと記憶の町」「アッシジと丘の町」(岡本太郎・文写真)
「フランス」(稲葉由紀子・文 稲葉宏爾・写真)


須賀さんの本に出てくる町や風景・建物・絵画・彫刻・・・
ありふれた坂道が、街角が、かつて彼女を導き、あるいは慰めていった。
とりわけ「ミラノ」には、夫ペッピーノと暮らしたアパートの玄関や、
ペッピーノの実家である鉄道官舎が出てきます。
傘を持って迎えに行った彼女を、夫がそっけなく扱ったのはこんな街角だったのか。
パイの一片のような彼女のミラノが、浮かび上がってきます。

そしてもう一冊。
須賀敦子 霧の向こうに」(河出書房新社 KAWADE夢ムック 1998年)


亡くなった年に出版された追悼本で、彼女と親交の深かった大勢の方々の追悼文と、いくつかのエッセーが収められています。
なかでも、イタリアから帰国後エマウス活動に携わっていたころの新聞記事と写真には、
著書から受ける印象とは違った彼女の一面を見た思いがいたしました。


でも一番驚いたのが、考古学者の森浩一氏が須賀さんのいとこだった、ということ!
「遠い朝の本たち」の『「サフランの歌」のころ』に出てくる大阪の郊外に住んでいた母の兄
「おなじ学年だったコウちゃん」が、そうなのでしょう。


■■■■ メールその2 ■■■■

河出の「須賀敦子の***」シリーズは6冊あります。

 アッシジと丘の町
 フランス
 トリエステと記憶の町
 ローマ
 ヴェネツィア
 ミラノ


このうち僕は3冊持っていますが、どれもマットな落ち着いた紙質で好感が持てます。
この本を見ていると、
須賀さんの文章って、写真(風景)との相性(親和性)がとても良いな、と感じます。
それだけ須賀さんの文章表現がすばらしい、周囲の空気まで伝えている、という事でしょうね。

須賀さんについていつも思うのは、
終戦直後の日本でよくもまああんなに高い志を持っていたものだという事。
もちろん、志を果たすにはその為の環境も必要で、
須賀さんにはそれもあったのだとも言えますが、
いろいろな条件が良い意味でピタリと合った、そういう瞬間を逃さなかった、
という方が正確な気がします。

また、えらそうに言いますが、
時代が激動しているときほどこういう人物が出て来る様な気もします。

たとえば、兼高かおるさん。
子供の頃、「世界の旅」は日曜朝の大きな楽しみでした。
また観たいなあと思っていたら、少し前CSのTBSチャンネルで

初期(1960年前後)の「世界の旅」を集中放映していていました。
いくつか観たのですが、写っているもの以上に、兼高さんの堂々とした態度・物腰に感心しました。
小柄な方ですが姿勢も良いし。
これもあの時代の平均的日本人の枠からは完全に飛び出していた人の1例でしょうね。

2008.10.31 Fri | Books| 0 track backs,
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