日常風景 * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
ヴェネチアと旧岩崎邸の船底天井、そして須賀敦子さんのマリア様
先日訪れた旧岩崎庭園内ビリヤード室で、ある発見。
天井が船底天井だった。


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船底天井といえば、思い出すのがヴェネチア・ムラーノ島の教会だ。
(下の写真)

造船所跡が今も残るヴェネチアならではの船底天井、
そんな話を聞いたけど、
日本でもこれを採用した建物があったとは。

ヴェネチアの方が仕切りの幅が狭く、
連なりが長い。さすがに壮観だ。

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こちらの教会上部には、よく見ると丸い窓がついている。
それがあたかも船倉の窓みたいに見えて、
すっかり船のイメージなのだった。

シャンデリアのようなものが設置されていたけれど
(たぶん後年追加)
これはヴェネチアンガラス製。

ムラーノ島といえばヴェネチアンガラスの一大産地だものね。
サン・ピエトロ・マルティーレ教会の光景。


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ムラーノ島でヴェネチアンガラス探しよりも教会巡りというのはレアだけど、
新婚旅行の際にガラス屋さんはあれこれ巡ったので、
穴場と言われる教会に専念したのだった。(2011年の旅行にて)

さらにムラーノ島のドゥオーモの天井にも、
これほど精緻ではなかったけれどやはり船底天井があった。

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目を引いたのは、クーポラにある黄金の聖母。
須賀敦子さんのエッセーに出てくるマリア様を思い出した。

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須賀さんが見たのはトルチェッロ島のサンタマリア・アッスンタ教会。
しかもマリア様単体ではなく、あちらは聖母子だ。

とはいえ、黄金のクーポラにそっと佇むマリア様の様子が
そこはかとなく似ている。
どちらも建造開始は7世紀と古く、時代的に近いのではないだろうか。


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船底天井から話がそれてしまったけれど、
要は、
ムラーノ島は、ヴェネチアングラスだけではありません。
教会も見応えがあります、
そして行ったらぜひ天井もご覧あれ!
2017.06.30 Fri | Travel-Italy| 0 track backs,
フィレンツェ空港バス<時刻表><運賃><フィレンツェの乗り場地図>
◆ フィレンツェ空港 爆弾予告の思い出、、、、と実用情報備忘録


今年のフィレンツェ旅行。
空港からフィレンツェ国鉄駅まで移動し、さらにそのままオルヴィエートまで行く行程だった。
飛行機到着から乗りたい電車の出発時間までは2時間弱。

飛行機が多少遅れてもなんとか乗れそう、という目算だった。

遅延なくフィレンツェまで到着したのはいいけれど、空港から国鉄までの移動で波乱があった。
なんでも爆弾予告があったとかで、一時タクシーもバスも一斉に見合わせとなりビビる。

一旦空港出口のところで全員待機。
結局20分ほどでそれは解除となり、その途端、一斉に乗客がタクシー乗り場へ殺到。

後から来た人が猛然と前に並んでいた人を追い越すなど、それはすさまじい争奪戦だった。
その点バス乗り場は混乱もなく、全員が1台に収まった。
タクシーよりもバスの方が盤石だったというワケ。


ということで、フィレンツェ空港バス備忘録。


空港からフィレンツェ市内行きバス時刻表。

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フィレンツェから空港市内行きバス時刻表。

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2015年6月時点のバス運賃。
片道6ユーロ、往復10ユーロ。

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フィレンツェ発空港行の地図:
右の赤い飛行機マークが空港からフィレンツェまでのバスの停留所(終点)。
左の赤い飛行機マークが空港行き乗り場。

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拡大。
空港行きのバス乗り場はスカーラ通りx S.C.ダ・シエナ通りに囲まれた部分。
チケットもコチラで。

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フィレンツェのバス乗り場はキレイ。

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2015.12.07 Mon | Travel-Italy| 0 track backs,
アレッツォの見どころ / ヴァザーリの家 その2
画家、建築家であり、「芸術家列伝」なる貴重な資料を残した美術史家でもあったジョルジョ・ヴァザーリ。

彼の家は、イタリアのアレッツォの町に複数あるけれど、美術館として体裁が整っているのが、
結婚前に建てた家だ。

以前触れた絵画に彩られたアブラハムの部屋など、彼の想いが強く反映された部屋は
美術館とはまた違うぬくもりに溢れている。


こちらは、アポロとミューズの部屋。

上品な色合いで、壁には自作の絵、或いは彼が購入した他の画家のタブローが並んでいる。
芸術に満ちた館で生活を送ることの贅沢さを日々かみしめていたのでは。

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中央、円形部分にいるのが歌と詩のシンボル、アポロ。
周囲に描かれた9人の女性にも、それぞれ寓意が込められている。

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左手に竪琴、右手に弓を持ち、
弓の先からは2本の月桂樹が生えている。

空中の2人の天使が、アポロの頭に月桂樹の冠を授けている構図だ。

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周囲を取り巻くミューズのうち、同定できている一人がこちら。
仮面を手にする女神は、ドラマをつかさどるメルポメネ。

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地球儀と相対しているウラニアは、天文学の女神。

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本を携えてるのが、詩の女神カリオペ。

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他の部屋にもミューズの寓意をモチーフにしたものがあり、
当時の嗜好でもあったのだろうけれど、ことさら女神さまがお好きだったと見える。


ヴァザーリの家の外観はこんな感じ。
華美なわけではなく、内装がここまで豪華とは思いもよらなかった。

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扉の右手にヴァザーリの家博物館の文字。
地番は Via XX Settembre, 55, Arezzo。

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ピエロ・デッラ・ フランチェスカ作フレスコ画「聖十字架伝説」の入場チケットとの
共通券もある。
私は気づくのが遅く、別々にチケットを購入したけれど、共通券の方がお得。

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2015.12.05 Sat | Travel-Italy| 0 track backs,
アレッツォにあるヴァザーリの家 <部屋のエピソード>
 アブラハムの部屋に隠された秘密


先のイタリア旅行では、アレッツォに2泊し、
芸術家列伝の著書で知られるジョルジョ・ヴァザーリの家を訪れた。

この家がなかなか見どころ満載で個人的に気に入った。

ヴァザーリの著書は、全てが正確に記されているわけではないものの、
今でもルネサンス期のそうそうたる芸術家たちの歴史的手がかりとして貴重な役割を果たしている。

そんな彼は画家でもあった。
日本では西洋美術館に「ゲッセマネの祈り」が所蔵されているものの、
作品を日本で目にする機会は少ない。
フィレンツェあたりの教会では、結構何気に作品が掛かっていたりするのだけれど。

人物画は細長いわけではないものの、どことなく奇妙さが漂いマニエリスムの作風で、
個人的に好み、、とは言い難い。
やはり著者としての彼の方がすごい、という感じ。


そんな彼が住んだ家は、フィレンツェから列車で1時間ほどのアレッツォにある。

彼の思いがいっぱいつまった、愛情に溢れた館だ。
自身で描いた絵画のみならず、他の作家たちの絵や彫刻で埋め尽くされている。


そんな中、アブラハムの部屋は、婚姻の部屋と言う位置づけで、
多産を祈る寓意に満ちている。


部屋の着工は1549年5月9日。
天井画は自分で手掛け、古典的手法テンペラを使用して描かれた。

そのために今も発色がよく、また、明色を使いつつ
遠近を際立たせている。

テーマは旧約聖書からで、中央円形部分は、アブラハムの子供を神が祝福している図。


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四方の女性もはやり旧約聖書から取られ、
家族への幸福祈願を意味しているという。


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当時彼は独身だったが、将来の結婚に対する夢と子孫・家族の繁栄を祈願した。

2年後、彼は14歳の(!)ニッコローザ・バッチと結婚。
アレッツォの裕福な家柄の子女だそう。


しかし残念ながら、2人が子供を授かることはなかった。
彼の子孫繁栄の想いだけが、今もこうして残っている。


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2015.11.30 Mon | Travel-Italy| 0 track backs,
アレッツォのキマイラ(キメラ)像 一見ライオン、でも、しっぽは毒蛇!
ギリシャ神話のキメラ(キマイラ)は、いくつかの動物が合わさった怪物だ。

ほんの1年ほど前、このキメラという言葉が一世を風靡した。

例のSTAP騒動で、STAP幹細胞から「キメラ」マウスを作製し、多能性を獲得した、
とかいった誤謬が一時期広まった。
あのキメラは、この神話上の怪物から命名されている。

先のイタリア・アレッツォ旅行では、このキマイラなる怪物像が城門(サン・ロレンティーノ門)に置かれているのを目撃した。

この場所で発掘された400BCのエトルリア文明における彫像の青銅レプリカだ。
発見されたのは意外に昔で、1553年のことだそう。
オリジナルは今、フィレンツェの博物館にあると聞く。


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エトルリアは、紀元前8世紀~紀元前1世紀頃、ローマに近接するイタリア中部に形成された都市国家で、
ローマに行くと、エトルリアの遺物をよく目にする。

このキマイラ、頭はライオン、胴体部分はヤギ、尻尾は毒蛇という組み合わせ。
神話によると、おどろおどろしく獰猛なキマイラはカーリア王アミソーダロスのもとで育ち、
やがて勇者ベレロポーンにより退治される。


この位置からだと蛇の部分はよくわからないが、

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まわりこむと、しっかりしっぽが蛇になっているのがわかる。

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なかなかタフガイ的な面構えだ。

そして蛇が噛んでいるのは、自らの胴体につながったヤギの角だ。

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このキマイラ、頭は確かにライオンだが、ヤギの胴体とされている背中部分には
小さな羊の頭も乗っかっている。
曲線を描くヤギ角が、しっぽである蛇に噛まれている、というなかなか凝った構図なのだ。

羊の頭の反り返り具合なども絶妙で、エトルリア人の想像力の豊かさ・技術の確かさに脱帽した。


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この像なかなかイケていて興味深く見たのだが、さらにファンキーだったのは、
広場で開催されるフェスティバルのために乗りつけていた車両。

車体に、このキマイラの絵が描かれていた。
アレッツォの人たちにとって、このキマイラが象徴的な位置づけであるのがうかがわれる。


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神話から生物学出も使われるようになった言葉 キメラ (chimera)。
上述のSTAP細胞の場合は、”2つの異なる遺伝子セットを持つ個体:キメラマウス”
http://www.nig.ac.jp/museum/genetic/05_p.html)を指すそうだ。

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2015.11.13 Fri | Travel-Italy| 0 track backs,
スポレート / 塔(トッリ)の橋 の見どころ
今年のスポレート旅行回顧録。

イタリア・ウンブリア地方スポレートで、大聖堂のフィリッポ・リッピの壁画とともに見どころとされるのが、
町はずれにある塔(トッリ)の橋だ。
緑の谷間に抱かれて、堂々たる威容を見せている。


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建設は8-9世紀。
長さ230m、高さ80m弱。
8つのアーチ型の橋げたに支えられている。

向こう側に渡ることもできる。
ここはイタリア。
橋の中ほどでは、妙齢の(婉曲法を取り去れば、老齢の)男女が愛のささやきを交わしていた。


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橋の下は、そこはかとなく奥深そう。
何を隠そう私は高所恐怖症。

でも濃密な木々の枝が眼前に迫っており、
やわらかなビロードのクッションのような風合いをかもしだしているせいで、
眼下がいわゆる谷底といった感じではない。

2カ所にそびえる要塞の姿も麗しい。

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この橋については14世紀以来書物にも記述が散見され、
ゲーテもイタリアの旅でこの橋に魅せられたひとり。

いにしえの建造物を、人と自然を結び付ける存在としてとらえている。

ゲーテの1786年10月の旅の碑が、後年つくられたようだ。
橋のたもとに置かれていた。

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どうやら雨が降り続いた後のようで、橋を渡った先がかなりぬかるんでいた。
それがなければ、先に続くハイキングコースを歩いたのだが、諦めて引き返した。

スポレートは坂の町で、普通に街歩きするだけでへとへとになったので、
ハイキングを断念したのは正解だった。


橋のたもとでは、例のTV番組「ドン・マッテーオ」の撮影中
絵になる風景だもの。

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2015.09.30 Wed | Travel-Italy| 0 track backs,
バチカン博物館の馬車ミュージアム
先日触れたバチカン博物館の馬車ミュージアム。
もちろん法王の車のみならず、メインの馬車の展示も素晴らしい。

どこをとっても絵になる。

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表面の飾りやペイントも豪奢。

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御者の位置に彫刻があしらわれたものなどは、
御者はどこに座るのか?と首をかしげる。

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金ぴかの彫刻。
座る場所はなさそう。

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答えは展示されていた絵の中にあった。
なるほど、御者を乗せるのでなく、複数の人が馬に直接乗ってコントロールするのだ。

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上の絵の中で確認できるとおり、
馬にこのような装飾を付けたらしい。

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古式の鞍のみの展示も。
絵画とともになかなか壮観。

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圧巻の美術コレクションを見学したあと、
ちょっとした息抜きにこちらまで足を延ばすのも悪くない。
バチカンの敷地内にあり、博物館のチケットでそのまま入場できる。

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2015.09.29 Tue | Travel-Italy| 0 track backs,
バチカン博物館 / ローマ法王狙撃時の使用車
ニューヨークを訪問中のローマ法王に対するものものしい警戒ぶりが話題になっている。

1981年にサンピエトロ広場で狙撃事件があってからというもの、
法王の使用車は防弾ガラス付きに変更になったが、
バチカン博物館には、変更前、狙撃時に使用されていた車が展示されている。

まったく無防備だ。

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事件を風化させないように、という配慮からか、この車は
バチカン内の馬車博物館に壮麗な数々の馬車とともに置かれている。

防弾ガラス付きの現在の使用車もむろん展示されている。
不格好だけど致し方ない。

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当時の様子を映し出す館内ビデオ:
人々の前に生身でさらされ、いかにも警備は心もとない。

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別の角度のカメラが、法王に向けられた銃口を映し出していた。

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狙撃直後の様子も。

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痛々しい。

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ヨハネ・パウロ2世は一命をとりとめ、1983年、収監中の犯人と接見。
犯人は神の許しを得た。
実際、2000年には教皇により恩赦が下され出所する。

しかし母国トルコで犯した別件の殺人事件が勘案され、
トルコで再度収監。最終的に出所したのは2010年だという。

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狙撃のビデオや、法王の車の展示というのはバチカンならでは。
ここでしか見られないであろうし、ここで見るから意義がある。

しかしいかんせん。訪れる人はほとんどいない。

絵画や彫刻をたっぷり見て、いい加減疲労度がマックスに達している頃
出口に近い場所にあるため、スルーする人が大半なのだ。

というよりも、そもそも馬車博物館にこういうものが展示されているとは想像しない。
馬車の展示ならパスでいいや、という気にもなる。

私も当然疲れていた。
けれど昼頃来て、閉館までまだ少し余裕があったので、変わり種の内容だし、ということで
身体に鞭打ってのぞいてみた。

いやはや、どうしてなかなか、貴重なものを見ることができた。
私としてはお勧めだ。
むろん、バチカンは素晴らしい古代の遺物や名画が目白押しで、プライオリティは正直低いことは間違いないけれど。


いかにこちらの展示が空いているか、というと、こんな感じである。


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そして本日の、くだんのニューヨークパレード:


2015.09.26 Sat | Travel-Italy| 0 track backs,
オルヴィエートのドォーモ 秀逸な扉の浮彫 : カインとアベル編
オルヴィエートのドォーモのファサードの話の続き。
アダムとイヴの浮彫の上方には、その続きの話が4つの浮彫で表されている。


最初は、アダムとイヴが原罪を犯した後の人間の営み。

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次は、芸術の萌芽。
男が紙に何か描きつけている様子。

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そして旧約聖書の創世記、アダムとイヴに続くストーリー。

つまり、アダムとイヴの息子のうち、アベルは羊飼い、カインは農耕者となったというお話。
左がアベル、右がカイン。

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最後の浮彫は、兄のカインが弟アベル野原に誘い嫉妬から弟を殺害する、その場面だ。

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アダムとイヴ、カインとアベルの2つの物語は、オルヴィエートの大聖堂のファサード、
一番左の太い柱部分に展開している。


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実はこの柱の一番下層には、以下の浮彫が並んでいる。

下から物語が展開することを考えると、
創世記の天地創造場面と考えるのが自然だろうか。

鳥たち、

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動物たち、

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最後に土から人間が生み出された場面だろうか。
そして中段のアダムとイヴの物語に続いていくと推察される。

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これで柱ひとつ分の鑑賞が終了。
いやはや、見るものは、まだまだある。

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2015.08.20 Thu | Travel-Italy| 0 track backs,
オルヴィエートのドォーモ 秀逸な扉の浮彫 : アダムとイヴ編
先に訪れたオルヴィエートのドォーモ。
全体をただ見渡すだけでも息を飲む美しさなのだけれど、
細部を見ていくと、その細かい妙技に溜息の連続なのだった。

例えばこの天使。

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風にはためき、足元に巻き付く薄い衣、
丁寧に1つずつ彫られた天使の羽・・
個々の浮彫は、それ単体でも見事なのだけど、
でも実は、壮大なファサードのほんの小さなひとつのパートに過ぎない。

4本あるうちの一番左手の柱部分は、 創世記からの引用で
アダムとイヴの物語が彫られている。


● 神が人間を創造 

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● アダムの肋骨を一本取り出す神。
(聖書では、眠らされた男から採取されたあばら骨から女を創造、と記されている。)

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● アダムの肋骨からイヴ誕生。

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● 天使につきそわれた神がアダムとイヴに禁断の実を食べないよう促す。

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● それを無視して、アダムが差し出すリンゴを受け取るイヴ。

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● アップ:木に巻き付いた蛇が邪悪な目で、リンゴを受け取るイヴを見守る。
蛇の鱗の表現なども細緻!

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● 掟破りを犯し、木の陰に隠れるアダムとイヴを神が見下げる。
聖書にはやはり、神が近づくを聞き、木陰に隠れる2人の記述がある。
(この2人のおびえっぷりが秀逸!)

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● アダムとイヴの楽園追放。二度と二人が帰ってこないよう、天使が剣を振り回し、あたりは火に包まれる。

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● 上の写真のアップ。
左下に燃え盛る炎の表現。
聖書には、たしかに燃え盛る剣を天使=ケルビムが振り回す、とある。chérubins qui agitent une épée flamboyante,

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● 楽園を追放された2人。
アダムは労働をするよう言われ、イヴにはお産の苦しみa souffrance de tes grossesses, tu enfanteras avec douleurが
与えられる。

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● イヴの方は、ややノー天気ぽい様子だが(上のアップ)。

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これらアダムとイヴの物語が彫られているのは、大きなファサードのこの一角。
こんな小さな範囲にも、凝った浮彫がふんだんに施されていて、
つぶさに見ていたら随分時間がかかった。
一泊して正解だった。

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壮麗なファサードを構成する小さな芸術作品のきらめき、
洗練された建築芸術の中の、ぬくもりある人物表現、
そういったものが、このドゥオーモを崇高な芸術作品に仕上げている。

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2015.08.19 Wed | Travel-Italy| 0 track backs,
ピントリッキオ「「聖母マリアと諸聖人」 / スポレート
以前触れたスポレート大聖堂にあるピントリッキオのフレスコ画「「聖母マリアと諸聖人」について少々付加したい。

まずピントリッキオと聞くと、ロンドン・ナショナルギャラリーにある「オデュッセウスの帰還」の絵の作家としての印象が強い。
神話オデュッセウスから題材をとり、なかなか賑々しい画面構成だ。

夫オデュッセウスがトロイ戦争に出征している間、
妻ペネロペのもとには求婚者たちが日参した。
夫の生還を信じっていた妻は、それらの求めに応じないために機織りを続けた・・・
そんなお話だ。

本神話に基づく絵としては、機織りをするペネロペと周囲に群がる求婚者たちの構図をよく見かけるが、
ピントリッキオの作品では、オデュッセウスが帰還してドラマチックに部屋に踏み込み
スカをくらった求婚者たちが、あーあ、と溜息つくような図になっている。


カラフルで、思わせぶりな猫や船を画面の周囲に散らばせたロンドンの1枚に対し、
もスポレートの聖母はまったく趣が異なって、静かで優美な雰囲気だ。


ほんのりピンクに染まった頬は絶妙で、
子イエスすら恥じらうような様子を見せている。

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全体図はこんな感じ。
スポレートの大聖堂、エローリ礼拝堂入口にある。

背景の風景には、ラピスラズリが使用されたと聞く。
つまりなかなか贅を尽くしたフレスコ画ということだ。

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マリアの両側は聖人がひとりずつ。
左が洗礼者聖ヨハネ、右がキリスト教最初の殉教者 聖ステファノ。

最初ヤシの木が南国風で、聖母子図と違和感を感じたのだけれど、
実はヤシの木は、殉教のシンボル(正確にはキリストと殉教者が迎えた死を信仰の勝利とする)だったのだ。


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傷みかけたせいで色彩が失われ、その枯れた風情が逆に味わいを付加している気がする。
気品あるマリアに、しばし見とれてしまった。

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2015.07.31 Fri | Travel-Italy| 0 track backs,
真っ暗い教会で写真撮影出来るすぐれものカメラ
先月のイタリア旅行では、教会をメインに見るつもりだった。
そこでふと思いついて前日、暗所に強いカメラを衝動買い。
これが吉と出た。

実はこれにはあるキッカケがあった。

美術館の内覧会などで写真OKというとき、
暗くてぼやけた写真しか撮れない。
ところが美術好きでカメラに強い友人Lさんの写真は美しい。

違いを聞いたところ、どう操作しても、もともとのカメラのF値で、
限界があると知る。
F値が低いほうがよく、F2.0あたりなら大丈夫と。

手持ちのカメラは2つともそれより大幅に数値が大きかった。

それを思い出して、ビックカメラでとにかくF値が低くて、光学ズームも比較的大きいものを選んだ。

さっそく威力発揮。
スポレートのひなびた教会で真っ暗で肉眼でも見えない礼拝堂があった。
喜捨するとライトがつくケースも多いけれど、そんな気の利いたシステムもなし。

そこでこのカメラで撮影してみた。
もちろんフラッシュなし。
見えた!

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肉眼では、最初全く見えなかったものが映っている。

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もっとも暗さに慣れると徐々に肉眼でもうっすら見えるようにはなった。
でもまさかここまで写真に撮れるとは驚きなのだった。


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私が買ったのはオリンパスのタフ。
防水もあり、パノラマもあり、気に入った。
今後海外の教会へ行く際は、必携となった。
今回2台カメラを持参したが、
ウフィツィ美術館などの館内撮影では、すべてこのカメラを使用した。

2015.07.28 Tue | Travel-Italy| 0 track backs,
聖フランチェスコ自筆の手紙が置かれたスポレートの大聖堂
スポレート大聖堂の見みどころは、フィリッポ・リッピやピントリッキオのフレスコ画だけではない。

中世の聖人、アッシジの聖フランチェスコ(1182 - 1226年)の自筆の手紙などという
それはたいそう貴重なお宝が遺されている。

WIKIによると、聖フランチェスコは簡単なラテン語しか書けなかったため、
残された書は、おもに口述筆記がメインらしいが、
こちらは正真正銘の自筆のレター。
兄弟レオーニに宛てたものだそう。

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聖フランチェスコというと、アッシジにジョットが描いた壁画を中心に
ルネサンス前から画家たちにより描かれている。
そのせいで、当時の画家たちが描いたギリシャ神話の登場人物などとときに同化してしまう。

つまり、想像上の人物であるかのような錯覚をときに覚えるせいか、
こうして自筆などという生々しいものを目にすると、
空想とリアルがまぜこぜになって、少し混乱してしまうのだった。

でもこうしてみると、いやはやリアルだ。
ちょっと心もとない筆跡が、かえって完璧な花文字よりも、生命感を与えている。

暗い内部で、黄ばみもせず、ぼろぼろになることなく残っている。
(こんなとき、暗所に強いカメラが威力を発揮する。)

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礼拝堂内の解説にも兄弟レオーネ宛アッシジの聖フランチェスコ自筆のレターとある。

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ひなびた場所にひっそりと壮大な歴史の一部がさりげなく置かれているのを見ると、
思いがけない出会いにたいそう感激してしまう。

これが、夥しい数の華麗な歴史の痕跡をとどめるフィレンツェだったら
それほど感激しないのではないか、などとも思った。

2015.07.24 Fri | Travel-Italy| 0 track backs,
スポレートの大聖堂
 フィリッポ・リッピの天井画・壁画に隠された秘密


古代の遺跡・中世の面影が今も残るスポレートの街並みは魅力的ではあるが、
この街を世の中に知らしめているのは、ルネサンス期の遺産だろう。

もともとこの町は、フィレンツェなどと違いルネサンス芸術からは縁遠かった。
そこで、ある種の町おこしの意味合いで、一流の芸術家を招聘した。

それがフィリッポ・リッピだった。
魅惑の聖母子画などで知られ、ボッティチェリの師でもあった彼は
スポレートの招待を受け入れ、息子フィリピーノとともにウンブリア地方までやってきた。

彼はこの地にある大聖堂の後陣の壁画を任される。
そのうちのひとつがこの、マリンブルーの「聖母の戴冠」の大作だ。


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沈んだグレーなど、落ち着いた色調の印象があるリッピだが、
メインカラーにあえて明るいブルーを選んだ。
ひときわ目を引くこの色と虹のコンビネーションで、従来の作品より一段と明るい。

救済を求める人たちへのサービス精神の表れのように思えてならない。


右側はやや傷んでいるものの、色とりどりの天使たちがいきいきと描かれ、
ざわざわとしたささやき声が聞こえてきそう。

老齢期に入ってもなお、瑞々しい筆致は健在だ。

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一番有名なのがこのヴォールト部分の戴冠図だけれど、それだけでなく、
実はその他の聖母マリアの生涯の図もリッピは描いている。

丁度ヴォールト部分の下の3枚の壁画のうち2枚が彼の手によるものだ。
最後の1枚は終えることなく命が尽きた。

左側に見えるのがリッポ父の受胎告知。


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中央がリッポ父が手がけたマリアの死の場面。

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マリアの死の場面を少しアップにしてみる。

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中央には土気色のマリアが横たわる。

かつて彼が描いた聖母よりもずっと簡素なたたずまいだけれど
臨終の場面なのでそれは当たり前か。
キリストをはじめ、人々の深い悲しみが、控えめに表現され、心を打つ。


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そしてこの絵の秘密は、右側にリッピ自身と息子・弟子たちが描かれていることだ。
(黒い服がリッピ)
息子フィリピーノがどれかはわからないが、一番左かもしれない。

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こちらは受胎告知。

こちらの聖母もリッピにしては地味で、いつもの艶っぽさはないが、
この時点ですでに、身体は相当消耗していたに違いなく、
死に向かう静かな境地が反映されているようにも見える。

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受胎告知左上には神なる父の姿。
なにかビームを送っている。

神話のゼウスがダナエに子供を孕ませるためのビームを
窓の外からまき散らしたあのシーンを思わず浮かべてしまった。
不謹慎にも。

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さて、右の1枚だけが、弟子の作品だ。
仕上げることなく、天に召されてしまった。

下絵をもとに弟子が描き上げた。
お題は、キリストの誕生である。

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だがしかし!!!
やはり弟子はリッピにはなれなかった。
幾ら下絵が元とはいえ、哀しいかな繊細なあの筆遣いはあとかたもない。

たとえば左に入るヨハネの衣服の襞(ひだ)を見ると、愕然とする。
なんとも雑な線でしかない。

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フィリッポは、もっと布の軽やかな質感を生み出し、
絶妙な襞をもつ衣で天使を飾っている。


「キリストの誕生」の1枚だけ、どこか大味で、感情をゆさぶられない。
見真似で描いたものと、魂を込めたもののちがいなのだろうか。

想像力の力を借りて、美しいものを心の目の裏に再現し、それを絵筆にのせる筆力という点で、
死を目前にしたフィリッポは弟子よりはるかに勝っていた。


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迫りくる死の影と闘いながら、彼は一体どんな絵を残したのか、
ずっと気になっていた。

それをこの目で確認できて、爽やかな気持ちになった。
なにかひとつ大事なことを達成したかのような気がした。

これまでの絵に滲んでいた華美なものはそぎ落とされ、しっとりと落ち着いた人物像がそこにはあった。

リッポは最後まで女好きで手に負えなかった、という話もあるけれど、
とはいえ、しっとりとしたある種の落ち着きを絵の中に感じる。


渾身の力で描き、尽きた、その絶筆ともいえる作品を前にして、
リッピの息吹を確かに感じることができたのだった。


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過去のエントリー:
フィリッポ・リッピのお墓 in スポレート
スポレートで見た人気TVドラマロケ
2015.07.23 Thu | Travel-Italy| 0 track backs,
フィリッポ・リッピのお墓 in スポレート
気品と魅惑的雰囲気をまとった聖母子を描いたルネサンス期の画家フィリッポ・リッピ。
イタリア・スポレートでは、そんな彼の遺作となった壁画を見ることができる。

今回の旅のメインの目的が、この壁画鑑賞だった。
場所は、市内にある大聖堂(ドゥオーモ)。


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こちらにはそのフレスコ画のみならず、彼のお墓もある。↓
場所は、中央祭壇部に近い右手。

一緒に作業をしていた息子フィリピーノが作製したと聞く。
フィリピーノはボッティチェリの弟子となり、父や師の画風を受け継いだ。

父のように女性を追いかけまわした話は聞かないので、
女たらしの遺伝子は、それほど引き継がなかったのかもしれない。


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リッピはもともとフィレンツェからある種の出稼ぎ状態でスポレートにきていた。
突然の客死という状況で、フィレンツェのメディチ家は、遺体引き取りを求めた。

しかしスポレートは首を縦に振らず。
芸術家たちの宝庫として栄華を極めた彼の地ではだんだん大切に扱われなくなったリッピを呼び寄せ、
手厚くもてなしたその意地と誇りがあったのかもしれない。

街の宝としてこの地に葬ることとした。
メディチ家は折れて、資金だけを提供したという。

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そんな生き生きした史実は
辻邦生の「春の戴冠」にもさりげなく盛り込まれている。

たとえばフィリッポ親方のことを考えても、何もわざわざスポレトに行かなくても仕事はありそうなのにさ、あそこで、はじめて大きな仕事を見つけたんだからね。もっともフィオレンツァでは味わえないような待遇を受けているらしい。兄弟子が帰って来て、そう言っていた。



半月ほどのち、フィリッポが壁画を描いているとき、突然、発作が彼を捉え、間もなく息を引き取ったという報せがスポレトからフィオレンツァに届いたからである。人々の話では、スポレトに行ってからも相変わらず美しい女たちに熱中し、死ぬ前日にも・・・(略)

コシモが死んでからのち、フィリッポの描く甘やかな憂鬱な白と緑の色調は、メディチ家の当主から遠ざけられていたふしがある。数年後、ロレンツォはパオロ親方に壁画を依頼したのであったが、フィリッポとパオロとでは、色調、形態、気分、方法がすべて異なっていた。パオロ親方の絵は装飾的、図案的な画面に、きわめて抽象的な幾何学ふうの遠近法がほどこされていた。



フィリッポが死んだのが10月9日のことで、私がサンドロ(ボッティチェリ)に会いに行ったのがそれから4,5日あとだったと思う。フィオレンツァの市当局が遅まきながらフィリッポ親方の遺骸を市で引きとりたいと申し出たとき、スポレトの支庁ははっきりそれを拒絶した。理由はフィオレンツァには優れた画工も多いが、そうした画工に恵まれぬスポレトはフィリッポの墓を持つことで、都市の名誉にしたい、というのだ。




2015.07.17 Fri | Travel-Italy| 0 track backs,
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