アート&Travel * 写真・文章 Copyright@”Mas Ciclismo Diary”
芸術をどう表現するか 米原万里さんのエッセーから
美術展示の内覧会に出た後は、
ブログでそのレポートを書く。

たぶん主催者として内覧会を開催する目的は、
PR発信を期待してのことに違いなく、
それに応えるには作品解説や概要紹介が一番いいのだろうけれど、
それなら公式サイトを見た方がいい、、、、

そう思ってしまう。

なのでできれば自分の言葉で展覧会をラップアップしてみたい。


となると、どんな言葉で、どのように表現すべきか?
が常に命題となる。


芸術家が音楽・彫刻・絵画といった手段で表現したものを、
言葉に置き換える、そんな作業に関連して、
先日触れた米原万理さんのエッセー集(ベストエッセー)に
面白い話が載っていた。


音楽家が、音楽をどのように言語化しているか、
という最高の例だ。


音を言葉で描写させたら、ムスチスラフ・ロストロポービッチの
右に出る音楽家をわたしは知らない。

天才の名をほしいままにし、史上最高のチェロ奏者と讃えられる彼は

・・・(中略)

正確で詳細な音に関する意思疎通をはからねばならず、
言葉の力を借りる。

それが途轍もなくユニークで、わたしなど通訳しながら
一言漏らさず忘れまいとテープレコーダーになりたくなる。

その語録の一端を紹介しよう。

打楽器に対してー

「東京中のビルのガラスが砕け散り、
東京中の老婆がショック死するような音を頼む!」



間の抜けたピッチカートを弾いたバイオリン奏者に対してー

「君の指は、一時間以上ゆでたスパゲッティーみたいだ」。


お気づきのように、極力形容詞をさけ具体的で
イメージ豊かな比喩を多用する。

その多様多岐にわたる比喩の最終現場に立ち会えるのだから
通訳は三日やったら止められない。




プルーストの「失われた時を求めて」には、
至上の音楽を形容するくだりがたっぷり出てくる。

見えない音をいかに読者に伝えるか、
プルーストですら、試行錯誤がかなりあったと聞く。


宗教ががかった言葉も含め、あらゆる語彙を駆使して
目に見えない”音”のビジュアル化を試みたプルーストだが、
上述のロストロポービッチ氏の言い回しには脱帽だったことだろう。


気取らず、じかに想像力に訴える迫力ある力がそこにはある。
2016.09.24 Sat | Art| 0 track backs,
1000円ランチビュッフェ @神戸屋 / 八重洲店
◆ 神戸屋 八重洲地下街 八重洲地下1番通りのビュッフェの週末ランチ


先月、京橋のフィルムセンターのトークに行く前にランチを、と思い
八重洲口にあるホテルの1Fのレストランを目指したところ、
大ショック、数日前に閉店していた。


1時間ぐらいでクイックランチができる場所を、と考えたものの、
余りそのあたりの店を知らず、東京駅地下の
神戸屋のビュッフェを目指すことにした。


時間は11:15~20ぐらいで、ビュッフェ開始の11:30には間に合う。
見たところ、行列はこの程度。


IMG_7700.jpg



これなら1巡目に入店できそう。


11:30になった。
バイキング形式のため、一度に混雑しないよう、
入店は数組ずつ。

我々は11:40に入店できた。

最初にカウンターで前払い。
994円でワンドリンク+お総菜パン、おやつパン、スープのビュッフェだ。

IMG_7702.jpg



この店は、ランチ時いつも大行列大混雑のイメージがあるけれど、11:30より前なら
まずまず入れるようだ。

ただ、場合によっては11:30前でも一巡目に入ることはできないかもしれない。
我々の後から続々並ぶ人がいたので。


11時なら安全、といったところか。


目標通り、12:30には食事終了。

余裕でトークに間に合った。

ビュッフェは2回取ったけど、もうおなか一杯。


もちろんバイキング形式なので落ち着いて食べられるわけではない。
頻繁に行く人もいるので立ったり座ったりがあちことで発生するし、
バイキングを取る人が集中すると、それの待ちの行列も店内に発生する。


ただ、急きょ食事処を変更した我々には救世主となったし、
一旦入店してしまえば、すぐに食べ物にありつけて、
なによりこのお値段なら、なにも文句はない。


http://tabelog.com/tokyo/A1302/A130201/13115043/
2016.09.23 Fri | Private| 0 track backs,
カリエール展 @損保ジャパン <感想>
◆ 「没後110年 カリエール展 セピア色の、想い。」 @東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館


実は上述のカリエール展に行く前、少々不安があった。

茶色の中からぼーっと浮かび上がる独特のカリエールの絵をこれでもか、
と見せられて、

果たして飽きることはないだろうか?
もう、いいや、と途中で嫌になりはしないだろうか?

しかしそれは杞憂だった。


ウジェーヌ・カリエールは、
印象派とかキュビズムとかいった絵画の潮流の中で
具体的にとらえることの難しい画家であり、

海外の有名美術館で見かけても、絵の宝庫の中では埋没した感があり、
国内では、よく見かけるのは西洋美術館常設展ぐらいといった感じで、
その良さに気づけなかった。


けれど今回、カリエールの作品が一堂に会した本展で新たな発見が続々あって、
彼の作品の魅力を実感し、
個々の絵から立ち上る空気感を存分に楽しむことができたのだ。



例えば、我が子を描いた《彫刻を作るジャン=ルネ》などは、
肝心の彫刻を制作する息子の手先ははっきり描かれず、
背景と一体化して溶けだしている。


それでも、子供がせっせとものをつくっている場面が
具象よりも鮮明に映し出され、
この技は一体なんなのだろう、と驚いた。



エコール・ド・ボザールで基礎を叩き込まれ、
カバネルに師事したと聞けば、
具象画の確かな腕をもつ彼だからこそ、なしえたのだ、と気づかされる。



新潟市美術館が所蔵する《もの思いにふけるネリー》もしかり。
手の先などははっきり描かれず、女性は絵の中に浮遊している。

けれど彼女の瞑想的な様子はこの上なく美しく、
見入ってしまった。

カリエールは、アンビエントの画家なのだ、と思った。
人物が発散するその周囲の空気がこちらに
じわじわと伝わってくる。



母子像なども、ものによっては抽象ともいえるほど
輪郭線は消失しているのに、
メアリー・カサットのような母性がにじみ出ている。


きわめて少ないタッチでズバリ対象物を再現するあたりは、
具象・写実画家の様相さえ呈している。



そして今回の大きな発見:

1.ドレフュス事件の口火を切った有名なエミール・ゾラの言葉
「J'accus・・!!」が発表された新聞の表紙をカリエールが描いていた、
という事実。

作品番号43、《オーロール(ポスターのための習作)》がそれだ。



2.作品番号50の《絵を描くカリエール》をしげしげ見てみていたら、
”A ma fille Elise, E.C.”と書かれているのを発見。

娘のエリーズにプレゼントするための自画像らしい。
しかし画中の彼は、笑顔でなく、厳しい顔つき。
恰好をつけようとせず、ありのままの自分を描いている。

虚勢を張らない誠実さに好感をもった。



3. さらに、気難しいゴーガンとも親交を結び、
ロダンは言うに及ばず、
様々な芸術家たちときわめて良好な関係を保っていたということ。

だからこそ、オーロール紙のイラストの話も来たのだろうし、
様々な著名人たちの肖像画の依頼がきたのだろう。

カイユボットが、画家たちのいじめに遭って、
芸術家たちとの交流を絶ったのとは対極だ。



これまで、本ブログでカリエールの名前に触れたことが何度かあった。
調べたところ、以下の通り4回ほど参照していた。


4つのエントリーのうちの一つは、
ルノワールのモデルとなった姉妹の伝記を読んだ感想で、
その中にこう書いた:


「ルロル家にはドビゥッシー、ドガ、カリエールなど一流の芸術家たちが集ったそうで、・・・」


そして今回の展覧会で、サプライズながら、
カリエールが描いたそのルロール一家の肖像を見つけた。
感激!

未完成のようなこの肖像画に描かれた左手2人の少女が、
ルノワールが描いたピアノの絵のモデル、クリスティーヌとイヴォンヌに違いない。



さらに過去のブログのエントリーでは、
私は、カリエールを”世紀末的”、と称していた。

ムンクを想起させる絵があるせいだろう。

でも、今回改める。


カリエールは退廃の画家ではなく、

人を愛し、母性に目を向け、
雄弁な筆を敢えて自制しつつ対象物の実態を捉えることに専心した
真摯な画家だったのだ、と。



カリエールに触れた過去のブログエントリー一覧:
http://tourdefrance.blog62.fc2.com/blog-entry-2657.html
http://tourdefrance.blog62.fc2.com/blog-entry-2863.html
http://tourdefrance.blog62.fc2.com/blog-entry-2873.html
http://tourdefrance.blog62.fc2.com/blog-entry-2885.html





****

展覧会名: 『没後110年 カリエール展』
場所: 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館
期間: 2016年9月10日(土)~11月20日(日)
開館時間: 午前10時-午後6時、 金曜日は午後8時まで(入館は閉館30分前まで)
休館日: 月曜日(ただし9月19日、10月10日は開館、翌火曜日も開館)
http://www.sjnk-museum.org/program/4196.html

2016.09.22 Thu | Art| 0 track backs,
『フランス人は10着しか服を持たない』 <感想>
◆ フランス人は10着しか服を持たない~パリで学んだ“暮らしの質"を高める秘訣~
   ジェニファー・L・スコット



”大当たりの1冊”と聞き、図書館で予約をした、
『フランス人は10着しか服を持たない』。

これまで予約をした本の中で、もっとも予約待ち人数が多かった。
その数1000人越え。

いつになったら借りられるのだろう、と思いつつ
忘れた頃になんとか借りられた。


ズバリ、感想から先に言うと、

開いて読み始めた時はがっかり。
女子高生向けの本?という印象だったが、

引っかかる部分を重点的に読んでみたら、
生活がいとおしくなるような暮らしぶりのヒントが詰まっ本だと気が付いた。


ほんの数行がずしりと響き、
生活をスッキリさせるモチベーションを与えてくれた。

最低限、自分の好きなものだけに囲まれた暮らしぶりの
なんとキラキラ輝いて美しいことか、、、。


そして、さっそく断捨離を一気に実行したのだった。
(毎年大掃除と称して断捨離はやっているんだけど、そういう目で整理し始めたら、
どんどん不要な物が新たに出てきた。)


無駄をそぎ落として、
お気に入りだけを身近に置けば、
自ずと我が生活への関心も深まり、
丁寧な生活を送ることができる。


丁寧な暮らし、というのは、
丁度朝の連ドラ『トト姉ちゃん』に出てくる
『暮しの手帖』のコンセプトに似ている。


あの時代は物質的に豊かではなかったので、
自然と少ないものを有効活用していたわけだけど、
現代においては、あふれかえる物質の数を制約して
暮らすことが求められる。


背景は違えども、この2つの帰着点は同じことだ。
無駄を省いて優良な品だけを選りすぐれば、豊かさにつながる。



作者のジェニファー・L・スコットは、アメリカ人。

本国で間食ばかりしてきた彼女が、
フランスに行って質素な生活ぶりに目を見張り
帰国後、エッセーにしたらお当たっちゃった、、という背景の本だ。


だから、間食をしないことはヘルシーだ、
と気づくあたりはアメリカ人のメンタリティすぎて
入り込めない。

結構飛ばし読みして、ツボになりそうな部分だけを拾い読み。


”物欲より、限られたいいものを長く”というフランス人の姿勢が
わかりやすく表現されていて、こんな暮らし、理想的、と思わせた。


これまで何度もフランスに行っていた私だけど、
そういう認識には至らなかったので、作者の目の付け所はなかなかのもの。


読みながら、ふと思い出した。
大学時代、語学合宿で2泊した時の事。

フランス人の女性教師(美人!)が3日間
同じ服で通したのが驚きだった。


その時、”フランス人は10着しか服を持たない”という明確な定理に
気づくべきだった。



2016.09.20 Tue | Books| 0 track backs,
渋谷のインドカレー屋さん、23時までランチタイム!
休日の午前中、ジムの後は、
おなかを空かせて渋谷でランチ。

23時まで、つまり営業時間中ずっとランチ営業という
ありがたいインドカレー屋さんへ。

名前は「サパナ」。
明治通り沿いで、渋谷からだとヒカリエの方へ抜けてやや歩くけど、
國學院博物館に行ったときなど、時折利用している。


オーダーしたのは、サパナランチ。

● メニューから3種類好きなカレーをチョイス、
● ナンとターメリックライス(しかもお代わりOK)
● サラダ 
● チキンティカ 
● ムラアチャル
● メニューから好きなソフトドリンクをチョイス。

といった内容で
1090円の良心価格。

ラッシーとサラダ。

IMG_7942.jpg


ここのナンは大きいだけでなく、甘みがあって好きなのだ。

私は野菜、チキンキーマ、豆のカレー、
夫は野菜、チキン、卵のカレー(本日のカレー)。
といっても2人で一緒につついたわけだけど。


卵のカレーの香辛料が初体験の味で
これは家では出せない味だなぁと思いつつ食す。

微妙な甘みのもとは、なんなのだろう。
聞きたかったのだけど、インド人のお店の人は日本語がうまく通じずギブアップ。


IMG_7948.jpg


私はこれだけでおなかいっぱいだったけど、
夫はさらにナンをお代わり。

お代わりのナンもまた大きい。↓

IMG_7950.jpg


年中無休、お手軽で、時間もフレキシブル。
使い勝手がいいので助かるお店。


https://www.hotpepper.jp/strJ000748881/
2016.09.19 Mon | Gourmet| 0 track backs,
シーボルト展 @江戸東京博物館 <見どころ>
◆ 「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」展 VOL.2


昨日のエントリーの続き、現在開催中の江戸東京博物館のシーボルト展について。

本展では、シーボルトが日本で収集した夥しい数の品々を
見ることができるわけだけど、
日本にいてもなかなか目にする機会がないものも含まれている。


これまで私が見てきた江戸文化の遺品といえば、
将軍家のコレクションといった、
しかるべき貴重品が主。


ところがシーボルトのコレクションには
町民文化も併せて丸ごと当時の日本が収められている。

一級品からそうでないものまで。
中には漢方薬、もぐさ、木材の見本まで!


珍品というわけではないけどこんなものもあった。
花魁の高下駄。

実物を見るのは初めて。


先日のエントリーに記したように、

ヴェネチアの高級娼婦はミニ竹馬のごとく高さのある靴を履いていた。


そして日本の花魁も高い下駄。
不思議な一致。


花魁の高下駄を表す品は、以下の2点。

★以下の写真は、ブロガー内覧会の折りに許可を得て撮影しています。

IMG_5447 (3)


『高下駄』ミュンヘン五大陸博物館所蔵 © Museum Fünf Kontinente:


手前の赤い盃の柄にも花魁が。
そして、やはり高下駄を履いている。


IMG_5455 (2)


『花魁蒔絵大盃』ミュンヘン五大陸博物館所蔵 © Museum Fünf Kontinente



知られざる日本という意味では、
職業人を様々描かせた『人物画帖』も興味深い。


今では存在しない職業や珍しいいでたちの数々。
画帖なので、展示では1ページだけしか見られないけれど


IMG_5359.jpg


『人物画帖』 ミュンヘン五大陸博物館所蔵 © Museum Fünf Kontinente


その他のページにどんな職業が描かれているかを
そばにあるタッチパネルでチェックできる。

IMG_5364 (1)


こちらはびっくり、熊の胆売りなのだとか。

生薬として使ったのだろうか。

IMG_5471_2016091800053564a.jpg


その他、職業として認めていいの?という“泥棒”の図や、
鳥を刺して捕える鳥刺しなどの図もあった。


今では存在せず、衣服だけでは判別が難しい職業もあり、
本展企画の方も、職の同定作業には苦労されたそう。

ということは、一部の職業については資料が乏しいということだろう。


当時の人々にとっては当たり前すぎて
記録に残そうという発想がなかったに違いない。

シーボルトの目という異文化のフィルターを通すことによって
こうして記録にとどめられている。

ありがたいこと。


また、シーボルトが絵師を雇って描かせた絵画コレクションの中には、
精緻な動植物の絵もあり、彼が日本の植物相・動物相・鉱物相などにも
強い興味を示していたことをうかがわせる。


ふと、東京駅そばのKITTE内にある東京大学総合研究博物館を思い出した。
ここにはシーボルトが使用していた皿の展示がある。


解説書には、
「シーボルトが佐賀藩の御側医師・楢林栄建の自宅を訪れ
患者の治療をし、医学を伝えた。その際持参していたシーボルト所有の皿は、
楢林が譲り受け、その後三宅艮斎に伝わった」
といったことが書かれていた。


その三宅艮斎氏は、楢林栄建氏の門下生でもあり、
シーボルトとも直接関わりがあった。

三宅氏が収集した鉱物類はシーボルトの手に渡ったそうだ。


弟子に試料を集めさせ、それを自分のコレクションに加えたという
シーボルトの貪欲な収集ぶりが垣間見える。



ちなみに、シーボルトが最初に日本に滞在したのは1823年から1828年まで。

先日ユーラシア文化館で見たシュリーマン展によると、
シュリーマンが来日したのはそれより後の幕末で、
攘夷思想が広まり外国人襲撃が頻発し、
江戸に入るのは至難の業だったらしい。


シーボルトの来日はそれより30年ほど前なので、
命の危険を感じる状況ではなかったようだ。

将軍との謁見も果たしている。


それが、幕末になると、
外人が江戸に入るのはきわめて困難になる。

シーボルトはなんとか紹介で江戸入りを果たしたものの
夥しい数の用心棒付きで、
外出の折りは、毎日変わる合言葉で身分照会を強いられたという。


とにもかくにも幕末であれ、それより前であれ、鎖国という特殊環境下、
わずかな機会をとらえて江戸時代に来日を果たした人たちにとっては、

未知の体験の連続であったに違いなく、
驚きは半端ではなかっただろう。


インターネットで事前に調べて訪問する現代とは雲泥の差だ。
好奇心をたぎらせ、あらゆるものを吸収しようと試みた・・・


日記でそうした日本文化受容を表現したシュリーマンにせよ、
とてつもない収集で日本通が実感できるシーボルトにせよ、

関連展示からは異文化を吸収しようという意欲や、
偏見なくアジアの小国の暮らしと向き合った前向きでみずみずしい感覚を
感じ取ることができる。


シーボルト展 VOL.1 <感想>
シーボルト展 VOL.2 <見どころ>


*****

展覧会名: 特別展「よみがえれ! シーボルトの日本博物館」
会期: 2016年9月13日(火)─2016年11月6日(日)
会場: 東京都江戸東京博物館
休館日: 月曜日(ただし9月19日、10月10日は開館)と10月11日(火)は休館
江戸東京博物館公式サイト: https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/

その他、長崎・名古屋・ 大阪へ巡回。詳細は; http://siebold-150.jp/
2016.09.18 Sun | Art| 0 track backs,
シーボルト展 @江戸東京博物館 <感想>
19世紀中頃にヨーロッパで企画・準備された知られざる日本民族博物館が
150年の月日を経て日本の地でよみがえった・・・

それが、現在、江戸東京博物館で開催されている
「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」展だ。


鎖国時代に来日し、ドイツ人ながらオランダ商館医として
長崎の出島に滞在したことで知られるシーボルト。


実は日本にまつわる夥しい品々の一大コレクターで、
帰国後に日本文化を伝える博物館設立を目指していたことは
余り知られていない。

かくいう私も江戸東京博物館で開催中のシーボルト展で
この事実を初めて知った。


つまり今回のシーボルト展は、彼の医師・植物学者としての側面を探るわけではない。

彼が欧州で目指した博物館の内容、つまり日本で集めた品々を
紹介するという貴重な内容になっている。


ドイツ人の彼が着目したモノたちは、
耽美的趣味のみで集めたものではなく、

学術的な側面をもつものもあり、
日本関連の資料として意義深いと彼がみなしたものばかり。


彼の視点を通して日本を定義づけるものなので、
私たちにとっては江戸文化を再発見する機会であると同時に、
日本を外から眺める気分にさせる。


コレクションはかなりの数に上り、
帰国後にオランダのライデン、アムステルダム、
ドイツのヴュルツブルク、ミュンヘンで展示が叶った。

けれど恒久的な展示となると関係各機関との交渉は困難を伴ったようで、
バイエルン政府がコレクションの多くを買い取ったのは
彼の死後だった。


1863年のアムステルダムの展示は、幸い当時図入りで紹介された。

おかげでそのときの展示の様子が今回再現されている。
日本のミュージアムに、19世紀のエキシビションが蘇ったスペシャルな展示だ。

菩薩や如来像などを配し、現地でも目を引くコーナーだったに違いない。

★以下の写真は、ブロガー内覧会の折りに許可を得て撮影しています


IMG_5355.jpg



さらに、おろし器(写真奥)など、庶民生活の道具も。
昔実家のおろし器がこの形だったのを思い出す。

こうした日本では何気なく当たり前のものも、新鮮に映ったのだろう。

(現代においてジュースの自動販売機を外人が珍しがって
カメラに収めるのと似ている。
日本人にとっては当たり前の光景が、外から見ると違って見える例。)

IMG_5358.jpg



いやいや、シーボルトのみならず、
日本人の私ですら驚いた、知られざる江戸文化の展示もあった。

燈篭のかたちのこれ、お弁当箱ですって、これが。。。!


IMG_5448 (1)


『鉄線蒔絵燈籠型弁当箱』ミュンヘン五大陸博物館所蔵 © Museum Fünf Kontinente


(VOL.2へつづく)

シーボルト展 VOL.1 <感想>
シーボルト展 VOL.2 <見どころ>

******


展覧会名: 特別展「よみがえれ! シーボルトの日本博物館」
会期: 2016年9月13日(火)─2016年11月6日(日)
会場: 東京都江戸東京博物館
休館日: 月曜日(ただし9月19日、10月10日は開館)と10月11日(火)は休館
江戸東京博物館公式サイト: https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/

その他、長崎・名古屋・ 大阪へ巡回。詳細は; http://siebold-150.jp/
2016.09.18 Sun | Art| 0 track backs,
エジプト時代、魚のミイラの意味
数年前にルーブル美術館で動物たちのミイラを目た。

置かれていた場所は、比較的マイナーな一角の隅の方だったと記憶している。

だから普通に訪問していたら、なんか茶色っぽい埃じみたものが見えるなー
と遠目に確認しただけで、完全にスルーしていたのではないかと思う。


でもあの時はミュージアムパスを買って5日間通いつめたので、
時間に余裕があった。
おかげで対面することができた。


ただ、こうした動物のミイラを見ても、
なぜあんなに手間をかけて動物をもミイラ化したのかという点にまでは
思いが至らなかった。


動物信仰なのか、とも思ったけれど、
魚のミイラ+棺まであって(写真)、
こんな小さな生き物が信仰の対象になるんだろうか、と疑問だった。


P1220711_201609162154088d4.jpg



しかも、動物のミイラと一口に言っても、
様々な種類の動物がミイラ化されていて、
信仰の対象にしてはバリエーションがありすぎると思えた。

ワニまであって、もうびっくり。(写真)


P1390410_20160916215425711.jpg



となると、動物を愛好した時代だったのか、
などとうっすら思ったりしたのだけれど、
結局うやむやのまま終わってしまった。

ところがひょんなことから、こうした動物のミイラが存在する理由が
後になって判明した。


エジプト時代は多神教で、神は
1.人間の姿
2.半獣の姿
3.聖獣の姿

で表象されたということを耳にしたのだ。

つまり、動物のからだで表される神があり、
動物のミイラは、神をまつるという意味があったのだ。


こちらは蛇のミイラ。
アトゥムと呼ばれる男神の象徴なのだとか。

ほかにも蛇で表される神があったようだ。
聖蛇というわけだ。



P1220712_20160916215410b2e.jpg



なぜかわからないけれど、”蛇または猫”で表される神も多く、
上述のアトゥム神、バステト女神、ヌゥト女神などは、
蛇も猫もともにシンボルだったという。


猫と蛇、一見全く違う動物が、
一つの神の中に共存しているというのは興味深い。


こちらのミイラは、土産物的だ。

P139039a9_201609162154070c7.jpg


数の上で多かったのは、猫のミイラ。
猫をシンボルとする神が複数いたことがわかる。


さらに上に例を挙げたワニや魚も、調べたところ
それらをシンボルとする神が存在していた。


P1390399_20160916215412ae6.jpg



確かにこうしたスフィンクスもどきの台座付きの像を見るにつけ、
猫が神格化されていたことがわかる。


P1390400_20160916215424395.jpg


手が込んでいるのも、
崇高な対象だからこそ、なのだろう。


P1220718_201609162154100a6.jpg


美術館・博物館の古代展示の場合、
ただできばえを見るだけでは余り意味がない。

なぜあるのか、なぜその形なのか、なぜその時代なのか、
といった意義を考えないと、
真の鑑賞にはなりえない、
とつくづく思った次第。
2016.09.16 Fri | Art| 0 track backs,
ヴェネチアの娼婦が履いていた竹馬のような靴
花魁が履いていた下駄はなぜ「歯」の部分があんなに高いのか。
そして、その傾向が日本に限らず、イタリアでも見られることの不思議を
どう説明したらいいのだろう・・。


このほど花魁が履いていた高い歯のついた下駄の展示を見る機会があり、
(詳細は後日)
ふと、ヴェネチアの美術館で目にした高級娼婦コルティジャーネの竹馬もどきに高い
靴を思い出したのだ。


フェルナン・ブローデルが80年代に著した「都市ヴェネツィア―歴史紀行」には
ヴェネチアで高い靴を履く風習が生まれた背景が説明されている:

 「17世紀の末まで<カルカニェッティ>つまり地面からすくなくとも40センチ以上の高さに押し上げられる奇妙な木の踵、実はミニ竹馬と呼ぶほうがふさわしいものに乗っていたとすれば、それは傾斜のない<カッリ>や路地の澱み水や泥に足が浸るのを避けるためだった。今でも雨水は街路をひたし、澱み、すこし強い雨が降れば、どんな小さな石の凹みもたちまち満されてしまう。」


高さのある靴の出現は、どうやら
ヴェネチア独特のアックア・アルタ(運河の水の洪水)が一因だったと思われるのだけれど、
そういった靴は、どうやら娼婦のマークのようになっていったようなのだ。


そして、展示で私が見たコルティジャーネの靴がこちら。
カルカニーニCalcagniniと呼ばれるらしいのだけど。
館内撮影禁止だったので、同じ画像をネットから拾うと:
==> ヴェネチア娼婦の竹馬みたいな靴


展示されていた場所は、コッレール美術館の一角だった。
ここは、市立美術館が地続きになっている。

靴とは思えず、まるで骨みたい、と思ったのだけど、
須賀敦子さんの著書に、コルティジャーネ展で
奇妙な靴を見たことが記されていたのを思い出し、
ああ、これがそうなのか、と感慨深く見た次第。


コッレーレル術館には、
娼婦みたいだけど実はそうではないヴェネチアの2人の貴婦人の絵
(カルパッチョ)もある。


内部撮影NGゆえ、入り口のみ。

P1010158_201609150957132f8.jpg


そうそう、この時は現代アートの展示も行われていて、
ルネサンスや中世・古代もふくめ、アートの異次元体験をしたのだった。

P1010162_20160915095714fbc.jpg


とにかく、花魁の下駄の歯が高い理由はわからないままだ。
2016.09.15 Thu | Art| 0 track backs,
電車遅延の意外な原因
朝の通勤時間帯。

電車がなかなか来ないハプニングがあったにもかかわらず、
ホームで遅延の案内は一切なし。


15分遅れでようやく電車が入線。
結局最後まで遅延の原因わからぬまま、ほどなくしてターミナル駅へ到着。

すると、遅延の理由が「申し訳ございません」の言葉とともに
一斉にスピーカー越しに流れ始めた。


ローカルな駅では何の案内もなく、
主要駅のみで、という扱いのようだ。


せめてどのぐらい遅れるのか説明があれば
心穏やかにホームで読書ぐらいできたのだけど、
いつ来るとも知れぬ状況で、本を開くことすら難しかった。


理由も遅延時間の目途もなしでは不安が募る。

理由を知ったからと言ってどうなるものでもないけれど、
時に、こりゃまあ仕方ないや、という気になれる。


あのときみたいに・・・


IMG_6678.jpg
2016.09.14 Wed | Private| 0 track backs,
"shw-greenwood" template design by Shallwill